《滴合ふ》、そして未だ見ぬ未言

 ユウは地面に踞って、うじうじと鼻を啜っている。いや、本当に仕事しろ。

 こんなに煩くても、そしてひたすらに待たされても、変わらずにキャロの肩で羽を休めているシジミチョウは、かなり忍耐強い性格をしているのではなかろうか。

「話して待つだけなのももったいないから、おれらも【アート・プレイ・タイプ】のレベル上げしてようぜ」

 セムは【ストレージ】から、空気ポンプと風船を取り出して提案する。手際良く風船を膨らませて、くるくると捻り、あっと言う間にダックスフンドの形に仕上げた。

 セムのバルーンアートを始めて見た悠は、ぱちくりと瞬きをしている。

 セムはさらに風船で、花、クマ、白鳥を次々と作り出していく。

「すごいですね」

「昔取った杵柄よー」

 悠が思わず漏らした感想に、セムはあっけからんと答える。

〔〈アート・プレイ・タイプ:未言〉が25レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:造語〉が28レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:詩語〉が7レベルになりました〕

 スタンダードなものなら、片手間で作れる程には、セムのバルーンアートは熟達している。

[このプロゲーマーの主な仕事は、イベントで風船を子供にあげることだからなー]

[それ、プロゲーマーの仕事じゃなくてマスコットとか着ぐるみの仕事だろ]

 そのネコ科モドキ仮装大賞は、現実でも奇怪な生態をしているらしい。

「そうそう、ベータテスターのデータキチが調べたところによると、このゲームはアウトプットで【アート・プレイ・タイプ】に経験値が入るらしいよ」

 セムはヒマワリの要領でライオンの鬣を作りながら、悠に話し掛ける。

「アウトプットですか……?」

「そうそう。例えば、建築の設計図を頭ん中で考えても、〈建築〉や〈設計〉の【アート・プレイ・タイプ】は成長しないんだけど、設計図を起こすとレベルが上がって行ったんだな」

 悠は、セムのもたらした情報を聞いて、ふむ、と考え込む。

「紡岐さんがどんどんレベルアップしてるのは、未言を事あるごとに口にしているから、という訳ですね」

「そーねー。ま、声に出しても紙に書いても、いっそ連携してるパソコンアプリを起動させて打ち込んでもいいんだけどね」

 セムは鬣をライオンの顔部分に嵌めて、風船ライオンを完成させると、掌に浮かせてバウンドさせる。

「え、このゲーム、パソコンに入れてるソフトが起動できるんですか?」

「できるよー。絵描きソフトとか作曲ソフトとかみんな使ってるからな」

「誰もが筆と絵の具で絵を描ける訳ではないからな」

 私からも一応補足を加えて置く。

 『コミュト』では電子機器はロストテクノロジーだ。しかし、それでデジタル専門で創作をしているプレイヤーが本領を発揮出来ないのは不公平になる為、緩和措置としてアプリ連携がなされている。

 その一方で、アナログな創作には素材集めが必要になる訳だが、そこでも【アート・プレイ・タイプ】が取得出来るという利点もある。

「なるほど……。なら、私もちょっと短歌を打ち込んでみますね」

「既存のをこっちで書き出してもレベル上がるからやってみそー」

 セムのアドバイスの通りに、悠は文書ソフトを起動して、空中に現れたモニタパネルに向かった。

 これで【アート・プレイ・タイプ】のレベルが上がりステータスが上昇すれば、悠にも活躍の機会が増えるだろう。

《未世に滴合ひたるたましひの

 きみといぶきをくちうつしたし》

〔〈アート・プレイ・タイプ:未言〉が26レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:造語〉が30レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:短歌〉が19レベルになりました〕

〔《ブレス:滴合ふ》を取得しました〕

〔《ブレス:未世》を取得しました〕

 その時、ユウの短歌が《ブレス》に認定された事をシステムメッセージが告げる。

「今度は《ブレス》いっぺんに二つも出して来たんかい」

 それに対してセムはまた呆れ果てた顔になり。

「いまだよ……?」

 悠は始めて聞く未言に困惑した。

 そんな二人の合間を縫って、水の塊が触手のように伸ばされて、キャロにゆるゆる向かって行った。

「でゃっ!? なななんでこっちに来ますか、こいつ!?」

 スライムにも見える未確認物体に狙われて、キャロは驚愕の声を上げた。と言うか、あんな声を出していいのか、話題の声優女子よ。

 誰も止める間もなく、キャロの方へその液体は進み、のたりと鎌首をもたげた。そして、身を竦めるキャロから飛び立ち離れたシジミチョウを、呑み込む。

 触腕の先にシジミチョウの妖精を捕らえた水塊は、ずるずると縮まって本体へと向かう。

 戻った先を見れば、ユウの手杯の上に、バレーボール程の大きさの水珠が浮いていた。

 ユウの後ろには、二人の未言巫女が控えている。

 一人は《滴合ふ》の未言巫女。ユウの背中からしなだれかかり、羽衣の如き透明なネグリジェを纏った肌をぴたりとくっ付けている。

 滴合ふは、ユウの肩越しに手を伸ばし、ユウの掌に浮かぶシジミチョウが納まった水珠を撫でる。

 水珠に七色の光が滲み、緩かに舞い、溶け合って真っ白になる。

 もう一人は、体の向こうが透けて見える、寝惚け眼の幼女で、ユウの頭上で丸まっていた。

 悠がその宙に浮かんだ方の未言巫女を見て、やはり知らない未言だと目を瞬かせている。その一方で、悠はもう一人の妖艶な雰囲気を惜し気無く振り撒く滴合ふを努めて意識から外そうとしている魂胆も見え隠れする。

「で、上手くいったんか?」

 滴合ふは深みのある微笑を浮かべるばかりで、《未世》の未言巫女である半透明の幼女は眠たそうに瞼を開け閉めするばかり。

 セムは、この二人を一旦放置して、ユウに事の次第を尋ねる。

 セムに言葉を向けられて、ユウは嬉しそうに、にやけた。

「ばっちし」

 ユウがVサインを見せたところで、《滴合ふ》の《ブレス》が効果発動を完了させた。

 シジミチョウが水の球から逃れて、慌てた様子でキャロのスカートの裾に飛んで行った。

 それを見送り、ユウは水珠を顔の高さへと浮上させる。

「《滴合ふ》の効果は、この水珠に注いだ液体を完全に混ぜ合わせること。水珠の体積は創作リソースに依存し、混合の進行はMP消費で強められるの」

 滴合ふとは、滴と滴が触れて一つになる事。

 合わさった滴はもう元の二つには別れず、分裂しても合わさった滴の一部ずつとなる。

「例えば、キスをする時、女性は相手の唾液から、自分に相性がいいか、相手が繁殖準備ができているか、無意識に汲み取っていると言います」

 ユウは託宣を告げる巫女のように、しずしずと畏まって、《滴合ふ》の能力が及ぶ範囲を語る。

 他にも、犬を始めとして、動物の多く、昆虫類の一部でも、尿等の体液でコミュニケーションを取る。

 体液やそれから発する香りは、意思疎通の大切な媒介となり、それを混ぜ合わせる事は、遂には意思を交わす事に繋がる。

「まして、魂もまた液体と似た性質を持っていると言えるでしょう」

 同じと想っても時と共に移ろい、涌くように力が噴き出し、波打ちながら鎮まって行く。それは流れる水の在り方。それは人の魂の在り方。

「だから、MPを費やせば、《滴合ふ》で魂が融け合うのも道理なのですよ」

「いや、それはおかしい」

 ぶっ飛んだ結論に、セムが間髪入れずに突っ込みを入れた。

[やべぇ、魔女がついに人類融合を実践できるようになったぞ]

[【恐怖の補完計画】この魔女、実はラスボスなんじゃね?【逃げ場はない】]

[倒すのにレイドパーティー何組必要かね]

[セム達があっちに行くのかどうかで変わるな]

 着々とユウが仮想討伐対象としての地位が確立しつつあるな。

 その恐怖の源泉は、つい先程、《ブレス》の効果で、シジミチョウの姿をした妖精から、情報を受け取っていた。

「さて、それで――」

「ねぇ、母様、そろそろ我慢の限界なんだけど、悠と遊んでいい?」

 ユウが満を持して、妖精から教えて貰った情報を伝えようとしたところで、痺れを切らした滴合ふの未言巫女は、唇を尖らせて口を挟んだ。

 彼女に狙われていると察している悠がびくりと身を竦めた。

 その反応を見て、滴合ふはにやりと笑う。

「そんなに私のことを意識してくれるなんて、そんな情を見せられたら欲しくなってしまうではないの」

 あ、この未言巫女、《魔女》と同類の気違いだ。逃げろ、悠。

 しかし、憐れな被食者は、柔らかく笑った滴合ふの視線に逆上せてしまっていた。

 するりと、いつの間にか悠の頬を両手で抱えた滴合ふが、あっさりと唇を奪う。

[おかしいな、既視感しかないぞ]

[昨日見たな]

[……あ、あれってまだ昨日か]

 コメントが幾つも浮かぶ間ずっと捕食されている悠が可哀想過ぎるので、私はあれを産み出した魔女に睨みを利かせる。

 ちなみに、セムとキャロも同様にユウにジト目を向けていた。

「紡岐ティーチャー、そんなに欲求不満なんですか?」

「ないわー。まじないわー」

「言っときますけど、しづとわたしは別人格ですからね!?」

 ユウが心外だと叫ぶが、誰も取り合わない。

 それでも、あれがユウの精神要素から抽出された者であるのに変わりはないだろう。

 ユウの頭上に浮いていた未世が、場所の空いたユウの腕にするりと納まり、そっと目を細めた。

 悠は顔を真っ赤に染めて脱力しきり、そのまま滴合ふにぎゅっと抱き締められて捕らえられている。

 滴合ふは、ふにりと悠の頬に自らの頬を寄せて悦に入っている。

「まぁ、それはいいとして。で、なんかわかったんか?」

 悠の尊い犠牲には着ぐるみの手を合掌して、セムは途切れた話に戻した。

「ああ、うん。残念なことに、花の女神様はあの鯉に飲まれちゃって、もう大変なんだって」

 妖精から伝えられた話によると、この森では花の女神が咲かせた花の蜜を栄養にして、蝶の妖精達が栄えていたらしい。

 しかし、花の女神はアーキタイプの鯉に呑み込まれ、その能力も共に失われた。それにより、鯉の周り以外では花は咲かなくなり、花の香りに誘われた妖精達は残らず鯉の餌食になった。

 あのシジミチョウは、この森で最後に残った妖精だった。

「つまり、あのアーキは無視できんのか」

「そうね」

「でも、アーキタイプを倒したら、中身はだいじょうぶですかね?」

 キャロが疑問を述べると、シジミチョウはその周りをくるくると旋回する。

「倒しちゃだめだってー」

 《滴合ふ》によって妖精の意思を汲み取れるユウが、皆に話を伝える。

「あれの内部は、異空間になってるって」

「……まさか、突入するんか?」

 セムの意見に、ユウは苦笑いを浮かべる。

 現状では、それしか方法がないのだ。

「と、ところで、『未世』って、新しい未言ですか?」

 悠が、滴合ふを引き摺ってやって来た。

 滴合ふの艶々と満足した顔が瑞々しい。

「あ、はい。短歌詠んでたら、浮かんできました。未世は、生まれてくる前の命がいる場所です」

 名前を呼ばれたのが気付いたのか、未世がそらりと首を捻り、悠に閉じ掛けた目を向けた。

 悠の腰に手を回して後ろから抱き締める滴合ふが、ユウの腕の中で微睡む未世の柔らかな髪を、愛しそうに指で梳く。

「未言ってそんなにあっさり出来るのですか……」

「いや、あっさりというわけでは。ただ、歌に詠みたい言葉を考えてたら浮かんできただけで」

 ユウよ、それをあっさりと世間的には言うのだぞ。

「いまだよ……素敵な未言ですね」

「ありがとうございます」

 悠に褒められて、ユウは嬉しそうに笑窪を作る。

 今生きる現世でなく、亡くなって逝く幽世でもなく、生まれようとする命が微睡む未世。

 難点なのは、読み方が間違って受け取られやすい事か。

「《未世》ちゃんの機能はどんななんですか?」

「ん?」

 キャロの質問に、ユウは首を傾ける。

 こやつ、《滴合ふ》はすぐに使うから能力を確認した癖に、《未世》は後回しにしたまま確認してないな。

「この子の能力は、母様を『生まれてくる前の命に干渉出来る』ようにすることよ」

 滴合ふが、耳が濡れそうな甘い声で、使えない母親の代わりに《未世》の説明をした。

[未言家って、ダメな親に育てられた出来る子供の典型だよな]

「自慢の娘達です」

「しっかりしろや、バカ親」

「みゃん!?」

 コメントにどや顔で返したユウの頭を、セムがどつく。よくやった。

 さて、情報も出揃い、セムがこれからの動きを纏める。

「ともかく、あの鯉を潰すんだな。それなら、敵の情報収集と、ルーキー二人の装備とレベルを整えないとな」

「おお、ゲームっぽい」

 始めてから二日目の夜にして、やっとゲームらしいレベル上げをする事になって、ユウが少し感動している。

「つむむは、おれと鯉に突っ込むぞ」

 その感動はすぐにセムの言葉で水を差されたが。

「えっ、わたし、レベル上げ違うの?」

「バカステータス持ってるくせになに言ってる。キャロさんと悠さんにレベル上げと素材集めてもらうんだよ。だいたい、お前とにゃんこは明らかに偵察向きのビルドだろうが」

[まったくだ]

[マスクデータ視覚の〈魔女の瞳〉、敵の精神を浸食する〈魔女の手〉、敵の情報を明らかにする《Collective Intelligence》と、情報収集には事欠かんな]

[危なくなったら箒で逃げられるしね]

 まるで厄介事を一手に引き受ける為に組まれたような能力構成だな。

 出来る事が幅広いというのも、良し悪しだ。

「集めるのは装備じゃなくて、素材でいいんですか?」

 悠に疑問を向けられて、セムは自信を持って頷いた。

「布装備なら、ねーやん作れるから大丈夫よー」

 セムの投下した発言に、ユウと悠が沈黙する。

 そして、まじまじと、上から虎にしては情けない毛皮マントと、猫ならもっと可愛く描けと言いたくなるワンポイントの入ったTシャツと、もふっとした虎の肉球着ぐるみハンドと、チーターに成り損なったピューマみたいなレギンスを見て、変な笑いを浮かべた。

「もしかして、それ、ねーやんのお手製?」

「あと、私の帽子と服もセムティーチャー作品ですよ」

 センスのいい仕立てのそれらを見せられ、悠はさらに驚きあんぐりと口を開けた。

「そういや、ねーやんレイヤーだったな」

「おねーさん手先器用よ。夏と冬に友達に衣装作り手伝わされるくらいには」

「ちなみに、ベータテスターの洋服のハンドメイドは全部セムティーチャーが作ってるんですよ」

 人は見掛けに依らないものだ。

 現実で衣装を見た事があったから、ユウはまだ呆れるに留まっているが、悠は思考が全く追い付かずに放心している。

[セムさん、トラップばらまくだけの人じゃなかったんですね……]

[セムの服は、性能もいいし、デザインも着る人に合わせてくれるからいいよー]

[↑ただし、悪ノリ時を除く]

「ねーやん、チェシャ猫とか好きだからな」

「なんだよー、かわいいだろー、トラー」

「はいはい」

 話は盛大に反れたが。

 兎も角、行動方針が決まり、四人は二人ずつに別れて攻略へ向かった。

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