角兎との死闘

 それは、額から一本の角を伸ばしていた。

 それは、強靭な後ろ足で跳躍し、角を突き出して、ユウに襲い掛かる。

 寸でのところで、ユウは《異端魔箒》にしがみ付き、私はユウのフードに潜り込む。魔女の箒は、ユウの体を引っ張り、跳躍したそれの下に滑り込み加速する。

 下から見たそれの前足は極端に小さかった。宙を滑り、草を揺らす《異端魔箒》がそれの後ろを取ると、ちょんと乗った丸い尻尾の下から白い斑点が見えた。

 それは、角と同じ位に長い耳をそばだてて、後ろを向くように捻る。柳葉のように長い耳を翻して、闇夜も関係無く、ユウの気配を見付け出す。

 それは後ろに跳ぶと同時に身を捻り前後を逆転させて、角をユウに向けて突進して来た。

 楡の箒は、垂直に急上昇して、それを躱す。

 ユウが上空からそれを見下ろして観察する。角の生えた、熊並みに大きな兎を。

〔『クエスト:丑三つ刻の襲撃』が発生しました。詳細はシステムメニューの【クエスト一覧】からご覧ください〕

 レイトフルールとの交戦がシステムに認知され、討伐クエストが適応された。

 難易度はB-であり、個人クリアは余程相性が良くなければ厳しい。

[角の生えたウサギ……カーバンクル?]

[アルミラージだろ]

[うわ、こいつか。逃げるのも一苦労だぞ]

 コメントに浮かんだ『アルミラージ』が《Collective Intelligence:Audience》に反映されて光を灯した。レイトフルールの頭上に、『アルミラージ・レイダー』と名称が投影される。

「《夢——っ!?」

 安全な距離を取ったと判断して《ブレス》を発動したユウが、咄嗟に息を呑んで《異端魔箒》を転がした。

 ユウが滞空していた空間を、アルミラージ・レイダーの角が上から振り抜いた。二本合わせるとその胴体と同じ太さになる程の後ろ足は、目測で三メートルの上空にいたユウを軽々と飛び越えたのだ。

「ひぐっ、に、ぁあっ!?」

 さらに足が地面に着く前に、空中を蹴って方向転換したアルミラージ・レイダーの連撃に、ユウは逃げの一手になる。とても、《夢波》を呼べる状況ではない。

[なにこれ、魔法?]

[いや、純粋な身体能力でやってるぞ、こいつは]

[あー、魔力を掃いて動きを妨害できないから、遥ちゃんには苦手な相手かもねー]

 アルミラージ・レイダーの素早さに翻弄されるユウは、目を回していた。

 ユウが離れるよりも、アルミラージ・レイダーが跳ねる方が早く、そして遠くまで届く。策を考える余裕も持てない状況だ。

[これ、掠ったら死ぬんだろうなとは分かるが、よく避け続けられるな]

[この数十秒あれば、ルーキーの死体が山になるよなー。よく避けてるよ、実際]

 視聴側のベータテスターらしき数人がユウの機動を褒めるが、本人はギリギリで歯を食い縛っている。

 魔力任せの相手なら、《異端魔箒》の毛先が触れれば相手を崩して隙を作れるが、純粋なステータスでこんな芸当をするアルミラージ・レイダーにはそれも叶わない。

[うーん、三十分逃げ切るか、体力切れで貫かれるかって勝負か]

[店主様、体力ないです、よね?]

[あらら。つむむ、詰んだか]

「ねーやん、見てるなら、ひぃ!? たすけっ、ひゃ!? て、よゃん!?」

〔〈アート・プレイ・タイプ:アクロバット〉が4レベルになりました〕

 右から振り抜かれる角を、首を竦めて避け、返す角が後ろから迫るのをバレルロールで避け、宙返りして上から背面飛び込みのように向かって来た角を楡の箒の柄で捌きながらも、ユウはなんとか舌を噛まずにコメントの向こうに嘆きを訴える。

[おおー、サーカス見てるみたいで楽しいな。ガンバ]

「うわぁぁぁああんっ!!」

 画面の向こうの楽しげな笑顔が見えた気がした。憐れな。

 劇的な変化は訪れず、時間は流れる。

 《異端魔箒》の空を切る機動は、アルミラージ・レイダーの攻撃をユウに一当てもさせる事はなく、アルミラージ・レイダーの素早さはユウに逃げる機会も《夢波》を使う隙も与えない。

[夢波ちゃんって、呼ぶだけで出て来るんじゃないんです? 紡岐さん、声を出すくらいならできてましたよね?]

[たぶん、《夢波》はMPとかTP消費じゃないんだねー]

[消費がないから、使いやすいんじゃないんですか?]

[MPやTP、HPなんかの目に見える消費をしない《ブレス》はな、他の物を要求してくるんだよ]

 そう、未言を発声するだけなら、アルミラージ・レイダーの攻撃を避けながらも出来よう。

 ユウが感覚として掴んでいる《ブレス》を発動させられない原因を、私は視聴者に伝える事にした。

「無消費型の《ブレス》は創作の力を要求する。それも、ただ在り合わせや形だけを繕ったものではなく、傑作と言うものを、だ。分かりやすく言うと、心が籠ってなければ、その類いの《ブレス》は発動しない」

 ユウが《ブレス》発動に短歌を詠む事が多いのは、これが要因であり、呼ぶだけで発動したというのも、その『未言を発音する事』を真剣に真摯に、熱情と誇りを胸にして、初めて実現する。

 意識の殆どを回避行動に費やしたお座なりな呼び掛けでは、例え他の誰も見付けられなかった未だ言にあらざる世界の欠片を表したも、傑作とは言えない。

[そこら辺の判定が何気厳しいんだよな]

[無消費《ブレス》を気軽に乱発されても困るけどねー]

[お前が言うな]

[そこの天使、戦闘中常時無消費《ブレス》使ってるよな?]

[ここまで納得いかない話もそうそうないな]

 画面の向こうのベータテスターキチガイは置いておくとして。

 今の会話を横目で眺めていたユウが、瞳を細めた。

「……そっか、MP消費は、効果は弱くなるけど、呼べば応えてくれるのか……」

 ぼそりと呟いたその台詞は、動画には流れない程に小さな囁きだった。

 そして、ユウの理解は完全に正しい。

 この『クリエイティブ・プレイ・オンライン』は、MPやTPというシステムが用意したリソースと同様に、創造によって産み出される価値を、《ブレス》の出力や【アート・プレイ・タイプ】のレベルにリソースとして注ぎ込めるのだ。

 ユウが、下から貫こうとはしるアルミラージ・レイダーの角を横転機動で避けつつ、【ストレージ】から〈HPポーション・ハイグレード〉を一瓶取り出した。

 秒間でHPを七パーセントずつ回復し、五秒間効果が持続するポーションだ。

 ユウの上空で方向転換したアルミラージ・レイダーが突進して来た。

 ユウは楡の箒の柄をその尖端に沿わせ、剣道で言う巻き技の要領で跳ね上げる。箒の柄にのし掛かる形で加えられた力に、アルミラージ・レイダーの首がくんっと突っ張った。

 その隙にユウは〈HPポーション・ハイグレード〉の瓶の蓋を開け、少しばかり体積を減らした口の中の〈アンチテンプ〉を唾液で絡めてその中へ滴下した。

 《異端魔箒》から魔力が流れて、ユウの右手の瓶に染み込んだ。

〔〈アート・プレイ・タイプ:調合〉が8レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:魔術〉が4レベルになりました〕

 ユウを中心として、淡く透き通る水色が波打った。ユウが持つ二つのMP消費型の《ブレス》の内の一つ、《未水》が発動されたのだ。

 ユウは右手の瓶を残して、即座に左へ逃れる。

 そのユウがいた座標へ地面を蹴ったアルミラージ・レイダーが飛び込んで来る。

 瓶が砕け、中身がアルミラージ・レイダーの顔に纏わり付く。

 アルミラージ・レイダーが、兎のイメージとは懸け離れた野太い、硝子瓶に息を吹き込んだ時のような雄叫びを上げた。

 興奮や高揚による叫びではない。痛みの嘆きだ。

 〈秘薬概念〉によって、効果を反転されるように調合されたポーションは、秒間で一パーセント少しのHPを減少させる物に変わっていた。

 痛みに怒りを燃やし、更に動きを機敏にしたアルミラージ・レイダーが突き出す角を、ユウは横合いから掌底で叩き、体を逃がす。

 擦れ違いの間に、アルミラージ・レイダーのHPバーがミリメートル単位で減ったのを見て、ユウは微かに頷いた。

「《未水》、いい子だ」

 こそりと、ユウは未言を褒める。

 《未言幻創》に短歌がべられていない為にあの幼い未言巫女は具現化していないが、目の前にいるかどうかで態度を変えるようなユウではない。

 アルミラージ・レイダーが懲りずに追撃して来る。それは悪手ではない。

 ユウを揺さぶって体力を削り切れば、後は好きなように出来る。持久戦なら圧倒的にアルミラージ・レイダーのステータスが優れているのだから。

 アイテムによる継続ダメージも、自身に対して致命的になる前に効果が消えると判断出来ているのも、知能も高い事を示している。今回は、そのアルミラージ・レイダーの卓越した経験則が仇になる訳だが。

 ユウは額から汗を顔に伝わせながら、アルミラージ・レイダーの角を楡の箒の柄で捌き、掌底で打ち据えて、また時には足蹴にして決定打を避ける。

 その間も、変わらず緩やかにアルミラージ・レイダーのHPは減少していく。

[じわじわHPが減ってるね。さっきの調合を繰り返してスリップダメージで倒すつもりなのかな? それでもこのペースじゃ、遥ちゃんの体力がキツそうだけど]

[……ちょっと待て。さっきの薬まだ効果が続いているのか?]

[え? うん、HPバーは減ってる。拡大して見てるから間違いないよ]

[それはおかしいぞ]

[ん? なにがだよ?]

 映像解析から現状を把握している視聴者からの情報を元に、ベータテスターの一人が異常を取り上げた。

[ポーション系の効果時間は通常は数秒、十秒を越えるのはなんかの〈スキル〉を使わないとムリだ。すぐに乾いちまうからな]

[もう十数秒経って……待て、乾く?]

[あ]

[あれか]

[あれだよな]

 視聴者達も何が起きているのか理解出来たようだ。

 ポーション等の液体アイテムの効果時間とは、蒸発する事で失われるように設定されている。

 そして、《未水》の効果とは、ユウから半径十メートル以内にある未水を、一秒につき10MPを消費する事で維持するものだ。

 例え一秒に一パーセントしか減らなくても、百秒経てばHPを全損させる。

 この戦闘は、三十分の持久戦ではなく、二分足らずの出来レースに取って変わっている。

 HPの二割強を失い、動きのキレが若干落ちたアルミラージ・レイダーの角を、ユウが右手で掴んだ。

[あれ? ていうか、さっきからなんで遥ちゃん、こいつと素手でやり合えてるの?]

[店主様、筋力とかあんまり上がってなさそうでしたよね?]

[ステータスがいきなり上がっている?]

 コメントに疑問が連なる中で、ユウは現象で以てその答えを示した。

 ユウの右腕から、その体内に展開されていた《眞森》の樹木が八肢を伸ばして、アルミラージ・レイダーを絡め取り、飲み込み、捩れて縒り合わさった幹の内側に封じ込めた。

 《眞森》とは、一アールにつき一秒毎に10MPを消費して、眞森を召喚する、ユウが所持するもう一つのMP消費型《ブレス》だ。これを体内に召喚した場合、〈領域支配〉と《魔女》の肉体の親和性から、《魔女ニクェ》が育て上げた眞森のステータスが一部、ユウに加算される。

 結果は見ての通りだ。

 アルミラージ・レイダーは、ユウの右腕から生えた眞森の樹木そのものである棺桶に葬られ、反転ポーションの《未水》によって、一分後にHPを全損させた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る