深夜に来る者

「み!?」

 話が落ち着いたところに、ユウがびくりと体を強張らせた。何かの通知で、脳に直接バイブレーション信号が送られて、驚いたらしい。

「な、なに、なんなの……!?」

「落ち着け。同期していたSNSの通知だ」

 軽くパニックになるユウを宥める為に、何が起こっているのかを伝える。

 頭を抱えて右往左往していたユウは、左手は頭に添えて自分で自分を撫でるようにして、右手でシステムメニューを開く。

「あー、あれな。初っぱなはビビるよな」

「私は、あれ、ビックリするんで切ってます」

 VR機能に馴れてしまっている二人は、懐かしそうにユウのパニック具合を見守る。

 やがて、ユウは目的のSNSアプリを立ち上げてメッセージを確認した。

「悠さん?」

 其処には、SNSの知り合いが『クリエイティブ・プレイ・オンライン』をスタートしたので、合流出来ないかという旨が書いてあった。

 ユウは、それを掻い摘まんで読み上げて、二人に伝える。

「てことなんだけど、ご一緒してもだいじょうぶ?」

「ええよー」

「私もかまわないです」

 セムもキャロも、ユウを信用しているからか、至極あっさりとその知り合いの同行を受け入れた。

「うぃ。じゃ、返信するねー」

 その悠という、ユウと同音のキャラクターネームを持った人物とは、此処から三十分程進んだ地点で合流する事になった。

 相手を待たせてはならないと、三人はすぐに移動を開始する。

「で、その人とはどんな関係なん?」

 道すがら、セムがその人物の素性を訊ねる。これから行動を共にする相手だから気になるのだろう。

「短歌の知り合いだよー。刀とかボーカルシンセサイザー? とかやってる人ー」

「ほーん」

 興味があるのかないのか、セムは気の抜けた返事をする。

「男? 女?」

「女性」

「性格はどんなよ」

「真面目な人ー」

「それは紡岐さんと気が合いそうですね」

「えぇ? わたし、こんなてきとーな生き物なのに?」

「はいはい」

 雑談ばかりしているように聞こえるが、話ながらも出て来たフルールは悉く討伐しながら進んでいる。主にセムのトラップがオートで発動して吹っ飛ばしているのだが。

「全然レベル上がらねーし。やっぱ、塔じゃないと実入りが少ないな」

「塔?」

 セムのぼやきに混じった聞き慣れない単語に、ユウが首を傾げる。

 それに答えるのは、セムでなくキャロだった。

「バベルの塔って言って、ベータテスター特典で解放されているダンジョンがあるのですよ。ベータテストの時は、そのバベルの塔で冒険してました」

[あれな。パーティ組むとベータテスター以外も連れていけるけど、レベル30ないやつは瞬殺されたわ]

[なにそれ、エグい]

[完璧に某日本一作品のやり込み要素と同系統だからな]

[終わりがないタイプじゃんかw]

 バベルの塔は現状で地上と地下を合わせて三百階分のデータが適応されており、今尚その階層データは追加されつつある。

 最終的には確か地上と地下がそれぞれ千階となると聞いている。

「ああ、そうだ、塔で思い出した。ほい」

 セムが【ストレージ】から布を取り出し、ユウに頭から被せた。

 突然視界がなくなったユウは、わたわたとその被せられた何かを手繰り寄せて頭を解放する。

「なにこれ?」

「あげる。塔でドロップしたけど、セムさん、使わないやつだから」

 どうやら、セムはユウがログアウトしている間に、バベルの塔にアタックしていたらしい。彼処は経験値もドロップ品も、こんな初期エリアとは比べ物にならないから、随分と稼いで来たのだろう。

「新しいローブだー♪」

 ユウが預けられたものを確認して、喜色満面に咲かせた。

 〈森海のローブ〉よりも性能が高い〈森想森理のローブ〉だった。周囲が森であるとステータス上昇する〈スキル〉も備えてあり、ユウとの相性は大変良い。

「ちゃんと隠蔽スキル持ってるの選んでやったぞ」

「ありがとー、ねーやん。わーい、ねぇねぇ、ねーやんからもらったよー♪」

「良かったですね、紡岐さん」

 ユウはわざわざ、すぐ側で成り行きを見ていたキャロに〈森想森理のローブ〉を見せびらかしている。

「いいからとっとと装備しろて。キャロさん困らすな」

「はーい」

 ユウは素直に返事をして、先ずは腰に結んだ飾り紐を解いた。

 絞りをなくして〈森海のローブ〉がしゅるりとユウの体から離れて膨らみ、そうして出来た遊びからユウはローブから腕を引き抜き、体から脱いだ。

 ユウはそれをはしたなく丸めて【ストレージ】に放り込み、代わりに真新しい〈森想森理のローブ〉に袖を通す。

 前を合わせて体を包むと、また飾り紐を帯代わりにして腰で結ぶ。そうするだけでユウの線の細さに沿って〈森想森理のローブ〉が纏われた。

 最後にフードを被ると、ユウの鼻から上が隠され、唇と顎しか見えなくなる。

 裾はだぼついて太股まで覆い、袖も手元に向かって膨らんでいてユウの小さな手がすっぽりと納まっている。ユウは袖の端を掴んでいないと、巧く腕を動かせないらしく、まごまごと動きを確かめている。

「どう?」

「あー」

「うーん」

 ユウに上目遣いをされて、セムとキャロは顔を見合わせた。当然だが、二人を見上げるユウの視線は、フードで完全に隠されている。

「妖しい不審者」

「タオルケットおばけみたいでかわいいと思います」

[タオルケットにくるまって動く幼女ってたまにいるよな]

[やだ、かわいい]

[これがマップ攻撃してくるとか、ギャップありすぎだろ]

[燃える]

[むしろ萌える]

[↑通報しました]

 周りの反応に満足したのか、ユウはぱさりとフードを背中に落として、顔を出した。輝き満ち溢れる笑顔は、セムに向かっていた。

「はいはい」

 セムはお座なりに声を掛けるだけだった。

 ユウはと言うと、余りの多い袖に四苦八苦していて、腕捲りしてもまたずり落ちて来るわ、袖を握ったら物を持てないわで、もたついてばかりいる。

「魔法学校の生徒はなんでみんなあんなにスムーズに動けるのか」

「おまいより運動神経いいんだろ」

「なるほど」

「紡岐さん、そんなに運動苦手ですか?」

「わたしは、身体能力はあっても運動センスはゼロだよ!」

 ユウ、そこは胸を張るところではない。

 和気藹々と話している内に、ユウ達は合流地点に辿り着いた。マップで深く考えずに決めた場所なので、周りには目立つものは何もない。

 だから、其処に立つ一人の女性を見逃す事もないし、見間違える事もない。

 その人物は、夜の闇に溶け込むような鉄紺の羽織を縹色の着流しに被せ、刀を一振りいて待っていた。

 近付くに連れて、黒髪が実は濃紺であるのが見えて、日本人らしい丸みを帯びた顔の輪郭と、それから生真面目そうな顔付きが判別出来るようになる。

「悠さん、こんばんはー」

 ユウが間延びした挨拶を掛けると、その人物も視線を此方に向けた。

 一瞬、悠と呼ばれた彼女は目を見開き、沈黙の後、表情を和らげた。

「こんばんは、紡岐さん。こちらの姿の方がしっくりきますね、ふしぎです」

 悠の言葉に、ユウは微笑みだけで返す。

 それから、ユウは後ろに控えていた二人を掌で指し示した。

「わたしの先輩と後輩です。セムさん、キャロさん、この人がわたしの知り合いの悠さん」

「セムです、よろしく」

「キャロです」

「動画は拝見しました。悠です、よろしくお願いします」

 三人がそれぞれに頭を下げる。日本人らしい初対面の挨拶形式だ。

 そして、形式が済んでしまうと、どうすればいいか分からなくなる人物は一定数存在する。

 頼りない笑みを浮かべて、他の三人の顔をキョロキョロと見比べるユウと、心持ち緊張した気配を纏ってユウの顔を真っ直ぐに見るばかりの悠が、それに当たる。

 結果、当事者二人が一向に口を開かない為に生まれた沈黙に、夜が深まり塒を目指す小動物達の足音が染み渡っていく。

「紡岐さん、なんか喋りましょ?」

「え? あ、えぇ?」

 キャロが水を向けても、ユウは戸惑いながら後退さる。

 そしてフードを被り全身を闇に同化させて。

「遊んでないで話進めろ」

 セムにばっさりとフードを外されて、即座に顔を晒け出した。

「あぅあぅ」

 ユウは順番に、キャロ、悠、私、セム、そしてまた私の顔を見るが、誰も助け船を出さない。

[とりあえず、次の行動を決めたらどう?]

「おおっ!?」

 ユウを甘やかしたのは、本日の配信に最初にログインした視聴者だった。

 ユウは手を叩いて感動を表現する。

「悠さん、わたしたちはこのままクエストを受けるんですが、どうしますか?」

 そして視聴者のアドバイスをそのまま復唱する。

 セムがやれやれと首を振っているが、私も同じ気持ちだ。

「絵画を届けるものですよね? よかったら、ご一緒したいです。何も知らないまま一人でプレイするのも難しい気がするので」

 ユウの拙くて重要なところを端折はしょった説明でも、悠は視聴した動画の情報も統合してぴたりと意思疏通を果たした。

 ユウがセムとキャロの顔を伺う。

「セムさんはかまわんよ」

「わたしもぜんぜんオーケです」

 同行者の了承を得て、ユウは気兼ねなく、悠に向き直った。

「そしたら、一緒に行きましょう!」

「はい、よろしくお願いします」

 悠は堅苦しく礼儀正しい言葉遣いと態度でお辞儀をした。


 簡易メニューを常時表示にしているセムが、『コミュト』の現時刻を確認していた。

「あ、そろそろやべぇな」

「なにが?」

「話してやるから、移動すんぞ。セーブポイントか最悪、一時中断出来る休憩場所を探せ」

「んぅ?」

「ああ、もう丑三つ時になるのですね」

 深夜二時が迫るのを確認したベータテスター二人が、足早に移動するのを見て、二人のルーキーも顔を見合わせて小首を傾げてから、それに付き従う。

 セムがマップを弄り、行き先の見当を探す。

「こっちの時間で、深夜二時から三十分間だけポップするフルールがいんの」

 セムはデシタル表示されたゲーム時刻と目的地をマークして点滅しているマップと目に止まらない程に小さなネズミ達が音を立てる草原と、忙しなく視線を行き来させて足を進めながら、説明を始めた。

 深夜二時からの三十分間を、日本の江戸時代まで使われていた時刻呼称では、丑三つ時と言う。

「とにかく、やったら固い。他のステータスも高いっちゃ高いんだが、固さだけは異常なくらいに高い。それなのに、二時半までに倒せないと消えちまう。アイテムとかが消費されるだけで、なんの収入もなく戦闘が終わる」

 ユウは、セムの背中を追いながら、目線を少し上にしていた。人が考え事をする時に、自然と視覚情報を削って脳の処理を減らそうとする本能的な仕草だ。

 大方、デミ・リヴァイアサンとどっちが厄介なのかとでも夢想しているのだろう。

「ドロップはなかなかいいんですけどね、ベータテスターでも五、六人いないと討伐できないんです」

[ガチ戦闘型の何人かはタイマンやって十五分くらいで仕留めるけどな]

 キャロが具体例を出し、視聴者から補足がされる。

 ちなみに、デミ・リヴァイアサンは通常攻撃が入る換算でも、ベータテスターがフルメンバーで倒すレベルだ。それを一撃で圧殺した暴力巫女の桁違いな《ブレス》ダメージを除けば、だが。

「つーわけで、そのフルール——レイトフルールに出くわす前に安全なとこ行くぞ。あんな割に合わない奴の相手なんかしてられっか」

「つまりめんどくさいからイヤなんかい」

「当たり前じゃん! なんで苦労してアイテム消費するだけの敵を相手しなきゃならないんだよ!」

 ユウの指摘に、セムが吠えた。

 結局は、手間が掛かるのを毛嫌いしているだけなのだ、この惚けたゴールデンレトリーバーのような顔をした怠け者は。

 悠も苦笑いを浮かべている。

 ユウは、梟の声を耳で拾って、其方に顔を向けたが、夜が濃くて何も見えない。

「んぅ?」

 ユウが首をこてんと倒した。

「紡岐ティーチャー、どうしました?」

 ユウが何かを不審がっているのに気付いて、キャロが声を掛けた。

「いや、みんなして同じ方から来るなぁって思って」

 ユウの言う通り、動物達は何れも、この四人組の進路方向から急ぎ足で過ぎ去っている。

 ユウが〈魔女の瞳〉を古の神秘を化石に変えたような琥珀にする。

 靄のような自然の魔力が少しだけ明度を上げるが、第四衛星『エクリェイル』の発光にも遠く及ばない。

 続けて、ユウは〈魔女の瞳〉を熟れた柘榴の粒にも似た澄みきった朱に変えた。

 途端、ユウが見たものでは比べ物にならない位に長く伸びたHPバーが視界に入る。

「セムさん、なんかいる!」

「うげ、このHP、レイトフルールかよ!?」

 セムも自分の視界に表示していた配信動画を確認して、呻いた。

 まだ距離はあるが、後ろに向かって逃げると、相手に捕捉された瞬間に背後から襲われる。かと言ってこのまま進めば、それこそ戦闘は回避出来ないだろう。

 見通しの良い草原では、隠れる場所もない。

「まだ見付かってはないみたいだよ……」

 HPバーが接近して来ないのを見て、ユウが他の三人を落ち着ける。まだ考える時間は僅かにあるようだ。

 〈魔女の瞳〉特殊視覚による探査が上手く相手の索敵範囲外から先制出来たらしい。

「正直、レベル1のメンバー庇いながら戦える相手じゃないぞ」

 セムが悠をちらりと見て、苦い顔をした。レイトフルールは、他のゲームで言うところのレイドボス、つまりは多人数のトッププレイヤーで相手取る敵なのだ。

「すみません……」

 悠が申し訳なさそうに俯く。

 それにユウがはっきりと首を横に振った。

「悠さんが気にすることじゃないよ」

「そうですね。ちょっと運が悪かっただけです」

 キャロもユウに同意した。

 しかし、今必要なのは罪悪の在処を探る事ではなく、打開策を見出だす事だ。

「一発当てて、全力で逃げるか」

「悠さんが遅れるよ? わたしがニクェに乗せる感じ?」

「きっついなー。やるなら紡岐さんの《夢波》辺りがいいんだけどな」

 《夢波》で眠気を誘えば、確かに隙は出来るだろう。しかしそれでは、ユウが悠を運ぶのは難しくなる。

 むしろ、敵の目前まで迫るユウと行動を共にさせるのは、守るというには逆効果だ。

「キャロさんに悠さん守ってもらって、わたしとねーやんであいつを遠くに誘き出す? ニクェに乗れば戻って来るのも楽だと思うよ」

「だったら、キャロロ達にはログアウトしてもらって、後からパーティログインで合流した方が楽じゃね? ……おや?」

「ん……?」

「あれあれ?」

 セムの台詞から、顔馴染み三人組は同じ事に思い至ったようだ。

「え、どうされましたか?」

 唯一人、悠だけが状況を把握出来ていなかった。

 ユウが縋るようにセムに笑い掛け、セムが悪そうな笑みを返している。

「おれらログアウトして休憩して来るから、つむむ、箒で逃げろ」

「やっぱりか!?」

 セムが悪魔の宣告をし、ぴったりとそれを予想していたユウが食い気味に叫んだ。

 その声が聞こえたのか、HPバーの主が動きを止めて此方に注意を注ぐ気配がする。

「おいー、つむむが叫ぶから見付かったじゃんかー。セキニントレヨ」

「ぐっ……」

 悪気はなくとも、厄介事を招いたかもしれない自覚の為に、ユウは言葉を詰まらせる。

「えっと、つまり……?」

 ここまで来ても内容がピンと来ていない悠が説明を求めて周りの三人に視線を送った。

 それにキャロが応える。

「とりあえず、紡岐さんにパーティ組んで、リーダーを紡岐さんに設定してください。できます?」

「あ、はい。やってみます」

 悠はキャロの指示に従ってシステムメニューを操作した。

 その横で、諦めの悪いユウが恨みがましく唸りながら〈アンチテンプ〉を噛み砕く。

「で、おれらはログアウトして、つむむの配信を見る。つむむが逃げ切ったところで、ログインポイントをパーティリーダーに指定して戻って来る。それで解決」

「え、それって……」

 やっと事態が呑み込めた悠が、丸くした目で不機嫌さをありありと浮かべたユウの顔を見た。

[人身御供か]

[尊い犠牲だな]

[遥ちゃん……無茶しやがって(^o^ゞ]

「皆さん、他人事だと思って気楽ですね!?」

 視聴者のコメントに、遂にユウが叫んだ。それで、その叫び声に釣られて、HPバーの主が加速した。

「あー、ばかつむむ。あとはよろ」

「すみません、うまく待避してください」

 セムとキャロが、巻き添えを食らわない内にと、あっさりとログアウトした。

「あの、えっと?」

 悠だけが、戸惑いでログアウト処理を躊躇っている。

「いいです、悠さん、一回ログアウトしてください」

「い、いいんですか?」

「わたしの犠牲を無駄にしないでください」

 声を湿らせるユウに申し訳が立たなくなって、悠は遂にログアウトを選択した。

 光になって消える中でも、にこやかにいなくなった二人と違って、悠だけは心配を表情に浮かべてくれていた。

 ユウはそれだけで報われた気持ちになって、小さく手を振る。

 レイトフルールが、愚かなプレイヤーを狩ろうと間近に迫っていた。

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