セカンドプレイ 夢海に沈む怪竜

夢海夢波夢現

 ユウのアヴァターが、身を捩った。それまで不動だったアヴァターが無意識とは言え動きを見せたのは、彼女がログインしたからだ。

 此方で就寝すればログアウト、起床時に自動ログインするのは、ハードの使用時間を短くして電気代や通信費が抑えられるので、公式が推奨している設定だ。

 やがて、ユウはゴロゴロとベッドのシーツを巻き込んで寝返りを何度か打ち、体を締め付けるシーツを鬱陶しそうに手でもがき、枕を叩き始めた。

 いきなり癇癪を起こすとか、精神年齢に不安を感じる。

「うぁあ、なぅあああ」

 獣じみた声を発して、ユウが伸びをする。そしてもぞもぞと乱れたシーツを引き寄せて、動きが収まった。

 こやつ、二度寝したな。

 私はユウが作る膨らみに飛び乗った。

「起きれ」

 少し勢いを付けて踏んでやると、ユウが顔を覗かせて琥珀と氷銀の目を恨みがましく向けてきた。

「かしこ、お母さんみたい」

 ユウにとっては、それなりに強い嫌味のようだが、私には通じない。生まれた時からこの方、親に起こされた事がないのだ。

 なので、攻めの足は緩めない。

「いい加減、起きれ」

 ユウは一頻り呻いてぐずがり抵抗したが、やがてもぞもぞと四つん這いでシーツから出て、そのままベッドから落ちた。

「ぎゃくたいだぁ、うぇーん」

 ウソ泣きにもならない効果音を自分の声で当てているユウだが、棒読み過ぎてツッコミを入れる気にもならない。

 加えて、ユウはぴたりと黙った。

「おしっこ」

 ぽつりと呟き、ユウは途方に暮れて座り込んだ。

 我慢させても体に悪いので、私は尾でトイレのある方向を指し示す。

「いちいち言わなくていいから、行っておいで」

「……覗かないでね」

「着いても行かないし、配信も中断している」

 私は呆れて返事するしかない。何を気にしているのか。

 その程度のエチケットは遵守すると契約に入っていただろうに。

 しばらくして、物思いに耽って口元に手を当てたユウが戻ってきた。

 酷く悩ましげだが、大丈夫だろうか。

「ユウ、どうした?」

「ん……トイレ、出来るんだと思って」

 そういう事か。確かに初めてだから疑問に思うかもしれない。

「アヴァターの身体機能は、現実と同じものを揃えてあると自負している。食べるのも寝るのも、排泄も発汗も。ただ、機能としてはあるが、それをしないからといって死ぬようにはしてないが」

 そんな事でいちいちデスペナルティにしていたら大半のプレイヤーが離れていく。しかし、その機能が快楽や歓喜に繋がるのだから、嗜好のために万全のものを用意した。

 こうして改めて字面に起こすと、我が想像主ながら開発陣の頭は常軌を逸しているな。

「そろそろ配信を再開してもいいか?」

 ぼんやりと部屋の其処此処を見詰めていたユウに声を掛ける。

 ユウは指で見えない何かを擽る仕草をして、私に向き直った。

「わたし、どれくらいねてた?」

「二、三十分くらいだ」

「もうちょっと寝たい……」

「配信を再開するぞ」

 この寝坊助に合わせていたら、日付が変わってしまう。録画配信は何時でも視聴出来るが、生放送だって多くの視聴者に届けたい。

「あー、始まっちゃった……もう寝れない……」

 ユウが配信再生の視界窓に映像が入ったのを見て、がくりと肩を落とした。

[お、再開した]

[今の今まで寝てたんかい]

[しかもまだ寝る気だったらしいぞ]

 もっと言ってやってくれ。怠惰は健康の大敵だからな。

[あれ、店主様、瞳の色が変わってません?]

 ベッドに腰掛けてゆったりとコメントを流し読みしていたユウが、黙ったまま、こてんと首を傾げた。

 ユウは私を抱き上げて、目を覗いてくる。視線だけを反らして配信窓で自分の目を確認しているようだ。

「なんかオッドアイになってる!?」

[おや、本当だ]

[目の色が鮮やかになるだけで美人度が増したなー]

 琥珀の右目と氷銀の左目を確認して、ユウは私を手から離した。

[ナイス着地、にゃんこ]

 不意に落とされても猫だから危なげなく着地出来たが、余りこういう事はしないでほしいものだ。

「てっきり泣き腫らして目が赤くなってるのかと思ったよ!?」

 ユウがぐにぐにと涙袋を指で押し揉んでいる。

 安心しろ。虹彩の変化で目立ってないが、目は酷く充血している。わざわざ言うつもりはないが。

[なんで遥ちゃんの瞳の色が変わったんだ?]

 コメントの疑問を見て、答えを持ち合わせていないユウはくりんと私に視線を向ける。こやつ、困った雰囲気出せば私が答えてくれるとか思ってなかろうな。

 敢えて黙っていると、ユウはふるふると目を震わせて、泣き出しそうな雰囲気を醸し出してきた。雰囲気というか、このまま黙っていたら、本気で泣き出すと、脳波測定からの予測が算出してくる。

 やれやれだ。

「ユウは、種族が魔女に変わっただろう」

[そんなメッセージも流れてたな、そういや]

 ユウは意味が分からずに首を傾けている。

 視聴者よりも自分のステータスを把握していないというのは、どうなのか。

 ユウは無言のまま、ちまちまとした仕草でステータスを呼び出す。

「ほんとだ。魔女って人間じゃないのね」

 自分の種族を確認したユウは、ぽつりとそんな感想を溢した。

 この世界では、魔女は亜人系の異種族扱いだ。

「魔女は後天的に、異常な機能を持つ身体器官を発現させる種族だ。ゲーム的には〈スキル〉で表現される」

「んぅ?」

 余り意味の分かってないユウが、ステータスを弄ってスキル欄を呼び出した。

 〈魔女術〉〈魔女の瞳〉〈領域支配〉と三つのスキルが並んでいる。

「この〈魔女の瞳〉っていうのが、それ? ええと……〈幻想の存在を目視出来る〉、え、説明文これで終わり? 説明文っていうか、フレーバーテキストじゃないの、これ?」

 TRPGにどっぷり漬かった経験のあるユウが、一般人には至って分かりにくい例えを出してきた。多数の人に配信されている自覚を持ってもっと常識的な物の例えをしてほしいものだ。

[このゲームのスキルは、プレイヤーキャラの機能が増えるものだからなー]

[どゆこと?]

[他のゲームでいうパッシブスキルしかないと思え。もしくはロボット追加パーツが増える感じだ]

[魔法型は悲惨だった……使い方が分からなくて、ぶっちゃけ今もどうやって使ってるかって言われたら感覚としか答えようがない]

[いきなり空飛ぶ翼が生えても、どうやって動かすのか全く教えてくれないしねー。何度も墜落してデスペナ喰らったよ]

[【要約】鬼畜設定【スキルを持ってるだけで強くなるとか思うなよ】]

「ベータテスターの視聴者多すぎだろ」

 私が説明する手間が省けていいが、三十人の内何人がこの配信を見ているんだ。

[出張でログイン出来ねーんだよ、コンチクショウ]

[傍観者で見ても楽しいよ]

[狩りながら見てるbyねーやん]

「あ、ねーやん、まだログインしてたのね」

[さっさと来い]

[遥ちゃんの知り合いって、せむかよ!?]

[だれ?]

[せむ……セム、もしかして、MAGICA所属のプロゲーマーことマスコットもどきのSEMUか?]

[え、あの全てのゲームを運ゲーに変えると有名なセム?]

[やべぇ、運が吸いとられる]

「あらま。ねーやんたら、意外と有名」

 けしてセムが世間的に有名なのではなくて、セムを知っているようなゲーマーばかりがこの動画を見ているのだろう。

「とりあえず、この色々見えてるのが〈魔女の瞳〉ってスキルの効果なのね」

[遥ちゃんには、なにが見えてるの?]

「む……ユウに説明させるより、視覚を同調させて見せた方が早いな」

 私は、ユウが現実で装着しているVR機器から必要な情報をモニタリングしている。主に感情と生理的ホメオスタシスであり、つまりはユウが過度なストレスを受けてないか、ユウの現実の体が不調でないかをモニタリングして、有事の際は強制ログアウトさせる権限がある。

 その副作用と言う程ではないが、私はユウの感覚を共有し、配信動画に再現出来るのだ。

「よろしくー」

 私から言い出した事だが、ユウめ、あっさりと説明する役を放棄したな。

 しかし、今は視聴者への情報共有が先か。

 配信動画の映像に、色が増えた。靄のような様々な色彩が部屋にある物品に纏わり付き、揺らいだり渦を巻いたりして、濃淡を移ろわせている。

 それから、小さな、本当に小さな掌サイズの子供みたいな者が幾つか見えた。

[なんだこれ?]

[未言未子!? 未言未子ですか、店主様!?]

「ぽいね」

 小人の方は私にも良く分からないのだが、当人は心当たりがあるらしい。

「かしこ、もやもやしてるのは、魔力?」

 ユウが確認を求めてきた。先に分かりやすいものから片付ける気らしい。

「そう、視覚化された魔力だ。魔女の物品ばかりだから視界が悪くなる程に蠢いているが、外ならもう少しマシなはずだ」

 低レベルなスキルでここまで視界を埋め尽くす程の魔力を蓄えた代物ばかりとは、流石と言うか呆れると言うか、悩み所だ。

[視覚化された魔力ね。便利だなー、羨ましい]

[〈魔女の瞳〉というなら妥当なところかな]

 コメントに納得した空気が流れると、ユウは私を抱き上げた。そのままベッドへ向かう。

 ベッドの上では、幼い見た目の小人が二人、うつらうつらと眠そうに転がっている。

「み、み」

「なみ、なみみ」

 愛らしい声で鳴いている。本当に何だ、これは。

「これは、未言未子。巫女になる前、未言になる前の言葉のいまだ」

 まるで生徒に解法を教えるようにユウが淀みなく言葉にする。が、それすらも理解の取っ掛かりにはならない。

[は?]

[巫女になる前の巫女?]

[巫女じゃなくて、未子ですよ。まだ子どもじゃないんです]

[意味がわからん]

 盛大に視聴者を混乱させたユウは、そんなもの何処吹く風と未言未子と言うらしい小人の頬を突ついている。ふにふにと柔らかいほっぺに、ユウが表情をだらしなく緩ませている。

「未言巫女は、もう未言という言葉を持ってます。でも、未言はそれまで言葉を与えられなかったものに与えられたもの」

 ユウは眠りかけの未言未子達のふわふわとした瑠璃色の髪を小指にくるくると巻いて遊んでいる。

「この子達は、その言葉を与えられなかった未言の、種みたいなものの擬人化ですね」

[お。おおぅ? つまり、造語の元ネタの擬人化?]

[なんだそれ。わかるような、わからんような]

 言う事は言った気になっているユウは、慈愛に満ちた表情で未子達を見詰めている。

 見詰めるだけでは満足できなかったのか、私を降ろして、仔猫をそうするように、未子の片方を掌に乗せて抱き上げた。

「なみぅ」

 未子が眠たげな声で悩ましく鳴く。寝坊助の子は寝坊助なのか。

[こっちが夢波ゆめなみで、あっちが夢海ゆめみ?]

 そのコメントが書き込まれた時だった。

 ユウの手に乗った未子とベッドに寝転がった未子が、光を放ち。その光を繭としたのか、輝きの後に姿を変えた。

 大きさは相変わらず。二人して良く似た姿をしていて、双子のようにも思える。下半身が鱗に覆われた鰭になっており、髪は緩く波に揺らぐようにウェーブ掛かり瑠璃色が美しい。ベッドに寝てる方は瞼を閉じているが、ユウの掌にいる方は薄く緩慢に目を開き閉じしていて、細目から覗くのはエメラルドグリーンの瞳だ。

 しかし、今の感覚は妙だった。

[え、なに? なにが起きた?]

[おー!? まさか、未言未子鑑定士さん!?]

[まさか、リアルに未言鑑定できるとはΣ(´Д`;) 未子ちゃん、かわいい]

[紡岐さんのブレスかー?]

「うん? いや、今のかしこでしょ」

「……そうかもしれない」

[にゃんこのほう?]

 ユウの言う通り、今のは私を通してデータが書き換えられた感触があった。

 私のステータスを確認すると、その原因は直ぐに見付かった。

「これか」

 私は該当部分だけをユウの視界と配信動画に表示させる。

「かしこの……ブレス? これくてぃぶ、いんてりじぇんす、おーでぃえんす?」

 ユウが幼稚園児みたいな舌足らずで読み上げる。もう少し発音頑張れ。

[オーディエンスか。あとは5050とテレホンが増えるのか]

[古いわ]

[↑むしろ、よく知ってんな]

[うぉ、にゃんこ、ボスタイプじゃなくてプレイヤータイプかよ]

[ブレス一枠使う訳だ。プレイヤー二人いるようなもんじゃないか]

[説明求む]

[このゲームの管理AIは、ボスとして控えてるか、プレイヤーとしてゲームに参加してるかしてる。もちろん、それぞれに準拠した性能を持ってる。ボスタイプ怒らすとヤバい]

[デスペナ?]

[デスペナっていうか、トラウマ。虎だけに]

[あ、馬の人にはあったかも。のんびり風景画描いててちょっと話した]

[だれうま。しかし、けっこう多いな]

 うちの同僚達は何をやらかしているのだ。

「これは開示しておくが、私はプレイヤータイプではなくて、サポートタイプだ。バージョンアップで追加予定のサポートキャラのテストを兼ねている」

 私で実装されたからと言って、正式リリース時に他のサポートキャラに適応されるとは限らないが。

 《Collective Intelligence:Audience》。この《ブレス》は、かなり特殊なものだ。動画に寄せられたコメントが、隠蔽された情報を言い当てた時、対象のステータスを始めとした情報を開示する。

 今回は、何の未言か分からなかった未子が、『夢波』『夢海』と明らかになった訳だ。

 そんな考察をしていたら、今まで黙っていたユウが深く息を吸い込んだ。

《まどろみの夢波夢海ゆらゆらとゆめここちへところろはゆらる》

〔〈アート・プレイ・タイプ:未言〉が15レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:造語〉が22レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:短歌〉が12レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:詩〉が5レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:詩語〉が4レベルになりました〕

〔《ブレス:夢波》を取得しました〕

〔《ブレス:夢海》を取得しました〕

「のあっ!?」

 何も考えずにユウが《ブレス》を発動させると、夢波も夢海も人間サイズに大きくなった。夢波がユウの首に腕を回したせいで、ユウはベッドに引き摺り込まれる。

「おかー、さん、ね、よ?」

 聞いているだけで眠くなってくる間延びした声で、夢波がユウを誘う。

 同じベッドでは夢海が丸くなってむにゃむにゃと寝言を食んでいる。

「かぁ、さ、すぅ、き」

 ユウは夢海も抱き寄せて、そっと瞼を降ろした。

「うん、みんなで眠ろっか」

「今の今まで寝てただろ、起きれ」

「みぎゃ!?」

 助走込みでユウの頭上に飛び上がり、勢いを付けて踏みつける。流石に私の体重がスリムな猫と言っても、ユウの頭を起こすくらいの衝撃は与えれたようだ。

 眠気が去って夢波も夢海も、まさしく夢のように消えた。

「話が進まないだろう、何を考えて……いや、何も考えずに欲求に飲まれるな、このバカ」

「あぅぅう」

 痛みで呻くユウの頭に乗って叱り付ける。

[【にゃんこガチギレ】配信再開から10分経たずに眠ろうとすれば、こうなるわな【当然の帰結】]

[頑張れ、運営。負けるな、運営]

 当然だが、視聴者にもユウの味方はいない。

「うぅー、ぎゃくたいだー」

[そんなことはない]

[虐待じゃなく躾]

[紡岐さん、おーきーてー]

 ほら、皆もこう言っているんだ、観念をしろ。

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