ファーストプレイ 魔女の眞森

出逢い

 私が泉の反対側から飛び出した時、ユウは手足をばたつかせて水飛沫を上げていた。息も絶え絶えと自分から溺れようとしている。

 私は先に泉から上がって、身震いして水気を払った。

「とりあえず、顔を水から上げたらどうだ?」

「はぁっ——はっ——はぁっ——はぅ、は、ぁあ、あー」

 何とか呼吸を確保したユウは、息を整えて泉から体を引き出すよりも前に、私へ非難がましい視線を向けてくる。

「膝下くらいしかない水深で大袈裟な」

「踝の深さがあれば人間は溺れるのですよ!」

 ユウは本格的なカナヅチらしい。ゲームにまで来て溺れるとは憐れな事だ。

「しかし、普通は門や鏡が多いんだがな。異世界への道を泉でイメージするなんて、イギリス製ファンタジーに傾倒しすぎじゃないか」

「えっ……もしかして、あのログインのやつって、人によって違うの?」

「プレイヤーのイメージで決まる」

 私が真相を告げると、ユウは頭を抱えた。自分から首を絞めたようなものだから、さもありなん。

 ユウが諦めの表情を浮かべてのそのそと泉から這い出てきた。

 それにしても、こんな所に出たか。

 私は現在地の座標を確認して、周りを見回す。

 風に揺れる葉は遥かに高く、密集した木々が昼だと言うのに辺りを暗がりにしている。何処かから聞こえてくる鳥の鳴き声が長閑さを感じさせ、湿り気を帯びた空気は涼しい。

「スタート場所って、町の中じゃないんだ?」

 ユウが森を見渡し、不思議そうに訊いて来る。

 普通のゲームなら確かにスタート地点を全プレイヤー共通にして、チュートリアルのやり易い町中を選ぶのだろう。

「『クリエイティブ・プレイ・オンライン』は、最初のログイン地点は、エネミーレベルが一定以下のエリアからランダムに選択される」

「なにその待ち合わせしにくい仕様」

 その辺りはエリア管理やアヴァター管理を担当しているAI達が上手くやるだろう。

「ログイン前に登録したリアルフレンドはマップに位置を表示出来るから、見失う事はない筈だ」

「マップ? ああ、これか」

 ユウもベータテストのプレイヤーに誘われた形だから、早速合流のために行動を始める。

 まぁ、歩き始めれば此処がどんな地域かすぐに理解するだろう。

 肩に乗るとユウが疲れてしまうから、後ろから着いていく。

「った!?」

 マップを見ながら歩いていたユウが目の前の木にぶつかった。

 額を押さえ、まじまじとぶつかった幹を見ている。

「待って、ここに木、生えてた?」

[え?]

[そういえば、あったか?]

[にゃんこ視点だと低くて気付かなかっただけじゃね]

[待って、検証してくる]

 ユウの疑問に答えて視聴者達が俄に浮き立つ。

 そんなコメント欄を追っていたユウが振り返る。遠くの音に耳を研ぎ澄ますように、或いは聞いた音が本当か考え込むように。

 そうしてる間に、恐らくは録画を確認したのだろう、検証すると言った視聴者が戻ってきた。

[確認した。遥ちゃんがマップを覗くのに視線を降ろした後から、例の木の大きさが遠近感の変化よりも早く大きくなってる]

[つまり?]

[遠くの木に近づいて大きく見えるようになったんじゃなくて、木が実際に大きくなっていた]

[マジかよ]

[ご主人とめろよ、にゃんこw]

 コメントを見ていたユウが、私に視線を合わせた。

 どうやら二つとも気付いたようだ。

「ねぇ、かしこ」

「どうした?」

「もしかして、かしこって、あんまり喋っちゃいけないとか制限かかってる?」

「システムメニューで確認できる情報に準じた質問以外では、雑談しか出来ないように決められている」

 はぁ、とユウが溜め息を吐いた。

 しかし、運営側から公式な対応を経ずにアドバイスを受けるのは、明らかなチートでありバッシングの対象になる。

 それにしても他の管理AI達より私の規制が厳しいのは、動画をリアルタイム配信しているので、安全マージンを大きく取っているからだ。

 ユウは気を取り直してという態度で軽く背伸びをする。

「つまり、かしこは音声ガイドにゃんこ」

「かなり貶されてる気がするぞ」

「気のせいだよ」

 気のせいではないな。別に構わないが。

「で、ここどういう森なの?」

「此処は『迷いの森』。魔女が潜むために作り上げた森林で、方向感覚を狂わせ、育っては枯れる木々が道を常に変化させ、認識阻害の魔女術が掛けられている。足を踏み入れてもけして奥には行けず、魔女に会えないまま元いた森の入り口に戻される」

[素直に答えるんかいw]

 答えるとも。エリア名はマップで確認出来、追加情報もヘルプに明記してある。

[ヘルプを探して時間を食うよりは便利かな]

[しかし、うぷ主の不遇っぷりがだんだんあらわになるな]

「言わないでください。悲しくなります」

 コメントに苛められたユウが、フードを被って顔を隠してしまった。装備効果の認識阻害が発動し、顔と名前が判別出来なくなる。

「まぁ、歩けば外に出られるなら歩きましょ。空気も心地いいし、散歩と思うわ」

 ユウが腐葉土の上に溜まった落ち葉をザクザクと踏み締めて歩みを再開させた。

「優しい森だから、穏やかなのね」

 ユウがゆっくりと空気を吸い込んだ。緑の爽やかな香りが鼻腔を擽る。

「優しい?」

 ユウの感覚がよく分からなかった。人を寄せ付けない森は、おどろおどろしいと表現される筈と思ったのだが。

「だって、迷っても帰してくれるのでしょう? 中に取り込んで餓死させることも発狂させることもできるでしょうに」

 さらりと、ユウはそんな見解を述べてみせた。

 正直、驚きの視点だ。製作陣も運営陣も、プレイヤーが突破する困難としてしかこの森を考えてなかった。しかし、プログラムの入力と演算の出力の中で、意図しないアルゴリズムが形成されている可能性は十分にありそうだ。

 ともあれ、ユウはこの森の雰囲気をいたく気に入ったようだ。

 人のいない自然が、この人見知りには心地良いらしい。観測している脳波も、穏やかさや幸福感をマークしている。

 暫く、ユウは朽ちては生える木々の迷路に抗う事なく道なりに歩き続ける。

「お家?」

 そして、古めかしい一軒家に辿り着いた。童話に出てくる樵の家とか、登山道に建てられた山小屋とかに作りは近い。

 私は其処にこの森が導いた事に、懸念を抱く。

 あれこそは、この森の主、魔女の家なのだから。

「ふぅん……?」

 ユウはと言うと、恐らくはあの家に導かれた事実がどのような意味を持つのか分かっていないのだろう、森を見上げ、見回し、見通して、また魔女の家へと視線を向けてじっと見ている。

「そう、ここは眞森だったの」

 眞森。それは未言の一つ。何かを護るために人の手で形成された森林。古くは「まもる」とは「見守る」と書いたように、そこにあるだけで安心させてくれる森。

 ユウは、それを感じて優しいと表現したのか。此処は魔女が長年掛けて育てた、魔女を守る森だ。

 ユウが呟くのに応えたのか、森がざわめき梢が風に押されて光をユウへ射し込めた。

 その光を浴びて、それから戻った蔭に撫でられて、ユウは気持ち良さそうに瞼を閉じる。

《おくひめし

 いとしははぎみ

 けなげにも眞森いだかむ

 やさしもりびと》

 溢すように、歌が詠まれた。

 光でもなく音でもなく香りでもなく、それでいてその全て、何かが森全体からユウに押し寄せてくる。

 唐突な圧迫感にユウは息を詰まらせ、呑み込み、重く息を吐き出す。

〔《ブレス:眞森》を取得しました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:造語〉が10レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:短歌〉が4レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:詩〉が2レベルになりました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:命名〉が2レベルになりました〕

「あら?」

 システムメッセージの怒濤を受けてユウは目を丸くしている。

 やらかした本人が不思議そうな顔をするものではない。

[いきなり二つ目のブレスGETしたぞ、おい]

[マジかよ]

[お、いたいた。迷いの森?]

[眞森だー!!!]

[割と簡単にレベル上がるねー]

[バカ、プレイしてみろ。こんなトントン拍子には進まないぞ]

 プレイ済と未プレイとユウの知り合いとが綯い交ぜになって、コメント欄が雑然とし始める。

「『眞森』を召喚するブレスなんだ。え、空間書き換える系?」

 そんな物は何処吹く風と、当の本人は取得した《ブレス》のデータを確認している。

 こやつがマイペースで気分屋な生き物だというのが、段々分かってきた。

 そんな中に。静かな森に、かちゃりと扉を開く音が鳴った。まだ遠い魔女の家を見れば、妙齢の女性が出てくる。

 遠目でも分かる程に黒髪は艶やかで、健康的な肌は張りがある。肉付きの良い体は、ゆったりとしたローブに包まれても女性の象徴を隠せてはいない。

「うわぁ」

 ユウを見上げると、出てきた美女に釘付けになっていた。

 軽く【魅了】されているが、あれはこの森の主だ。その気になれば、低レベルプレイヤーなど千人単位で蹂躙出来る化け物。

 私は、何も言えない事がもどかしく、胆を冷やすしかない。

 幸い、魔女は此方に気付いていないようで、探るように森を見回している。

 ユウに、逃げろ、と言い掛けて、しかしその言葉は声にされなかった。

「わたくしが森の所有権を半分なくしている。眞森?」

 魔女が梢に向けていた顔を下げてきて。

「あら?」

 ユウを見付けて瞼を瞬かせて。

「こんにちは」

 微笑を浮かべた。純情な男子なら、ころりと落ちそうな魅力的な表情だ。

「はぅっ」

 そして、私の身近な人見知りが一発で落ちた。

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