クリエイティブ・プレイ・オンライン

奈月遥

プリプレイ

プリプレイ

 初めまして。

 この身は猫である。名前は、きっとこれから付けられる事だろう。

 しかして、猫がこのように思考している訳ではない。

 この身は猫である。しかし、この私は人工知能だ。

 とある目的のため、ある者に付き添うために造り出された命持たない知性だ。


 その人物は、電子情報の歪みと共にここへ来た。

 この『クリエイティブ・プレイ・オンライン』のログイン空間へと。

 そしてその人物がやって来た事によって、何でもなかった空間は一瞬で姿を現した。

 深々と粉雪が散り、木々に注がれる。地面は当たり前のように雪に覆われた白銀。

 私は凍らずに涌く泉の中心の水面に足を付けて立っている。

 それら全てを画面越しにではなく、脳波へ直接通されて生じた五感で体感している事だろう。

 私達が管理し運営する『クリエイティブ・プレイ・オンライン』は、ヴァーチャルリアルロールプレイングゲーム(VRPG)というジャンルに属する。そう、電脳の中に構築された仮想現実でロールプレイをするゲームだ。

 ここは虚構であるが、現実と同じ感度を持っている。

 その空間で、その人物は姿を曖昧にぼやけさせたまま立ち、戸惑っている気配を振り撒いている。

 どうやら、ヴァーチャルリアルが定着して数年して、仮想現実を利用したオンラインサービスやゲームが流行の兆しを見せる今でも、それらを利用せずにいて仮想現実で使用するアヴァターを作成してないらしい。

「初めまして。自己紹介の前に、アヴァターを仮形成させてもらっていいか。そのままでは、意思疏通もまともに出来ない」

 アヴァターを持たない相手は言葉すらも発せられなかったが、電子情報として了承の意思が届く。

 もっとも、了承されなくてはどうしようもないのだが。

 私は尾を軽く振る。その動作には何の効果もないが、演出は大事だろうから。

 それを合図にして、目の前の人物の思考を読み取り、そこから演算を開始する。

 コンマ零三秒も掛からずに演算は終了し、結果を出力した。

 目の前の人物の曖昧な姿に輪郭から光が走り、描くように体を構築する。

(魔法みたい)

 読み取り状態にしたままの思考から、そんな発想が伝わる。

 魔法と言えば魔法だ。これから彼女が降りる世界においては。

 彼女の長い黒髪がぱさりと背中に落ち、浮いていた小さな足が地面に着く。背は女子の平均に比べても低く、在り合わせのキャミソールのデータを着せた体も強調は少なめだった。

 現れた手のひらをまじまじと見つめる目は黒目勝ちで深く緑味の混じった褐色をしていて、その手が髪に触れ、左の方は中指で血色のいい唇をなぞり、右の方は人差し指と親指で耳を挟んで揉んでいる。

 その仕草は自分を確かめているかのように、放置しただけ続いた。

「鏡でも出そうか?」

 彼女はこくこくと言葉も発さずに頷きを繰り返す。もう喋れるのに、発声には至らなかったらしい。

 私は足元の水面を右前足で叩き、姿見のデータを呼び出した。

 泉から湧き出るように現れたそれに映る自身の姿を目の当たりにして、彼女の目はより一層見開かれた。

「これが、わたし……?」

 彼女は茫然と呟き、それから自分の声に驚いて喉を擦る。

「キミの潜在意識も含めて最も自然にイメージされた自己を再現した。時折、人でないものになったり、人の姿でも違和感を抱いて動かしにくくなったりする事例もあるが」

「全然。むしろ、こっちのがしっくりくる」

 彼女の眼差しが私に向いたので、姿見を消した。

 不具合はないようで何よりだ。現実の方でズレがあると、仮想体の方で上手くハマるのは間々ある。確か記録上では二割程だったか。逆に言うと、そういった人物は、現実では常に不具合が起きているのだから、辛い話だろうが。

「そのアヴァターは余り変えない方がいい。下手に弄ると、立つ事も出来なくなる」

「……そうします」

 脅しと取られたのか、声が弱々しくなってしまった。

 こんな時は話題を変えるのがいいと、私に与えられた情報から演算された結果が弾き出される。

 そうでなくても、契約の最終確認をしなければ先に進めない。

「さて、まずはこれを確認してくれ。クリエイティブ・プレイ・オンラインのサービス元である株式会社クヲンからの依頼・契約の内容だ」

「何もないところに文面が浮かぶのって、変な感じ」

 突如として空中に浮いた文章に彼女はぼやいて人差し指でスクロールを始める。扱い方は現実のタブレットとそう変わらないので、戸惑いはないようだ。

 所々読み飛ばしているが、自己責任を負ってもらおう。

「わたしのゲームプレイを記録して、配信の権利を得る代わりに依頼料が振り込まれる。……うん、事前に聞いていたのと同じなので、問題ないです」

 細かい所はどうでもいいらしい。その内騙されるのではなかろうか。大丈夫なのか。

「私がキミの記録とその動画の配信を行う。よろしく」

 しかし私は、胸の内に生じた疑問ではなく、役割通りの台詞でチュートリアルを進行する。優先させるものを間違えるつもりはない。

「そうなの。よろしく」

 彼女は素直に受け入れてくれた。話が早くて大変助かる。

「では、これから配信を始めてもいいか? チュートリアルの事も視聴者に知ってもらいたい」

「ん。クライアントのお望みならそれでいいよ」

 最終確認も取れたので、ゲームプレイ動画の配信サイトに接続する。

 閲覧数は九十二名か。正式サービス開始直後のゲームで、配信前から待っている人数と考えればこんなものか。今回の配信中に四桁手前までは行きたいが、まぁ、それは彼女次第か。

 配信機能を次々と立ち上げ、私には配信中映像とコメントを直結し、彼女には視界の隅にそれらを小窓として表示させる。

 彼女が試しに小窓をつついて、その途端に画面が拡大されたのを見て、目を丸くしている。

 私からのデータを送ると、その画面に私の視界が映し出された。今の状況で言えば、配信画面を覗く彼女の顔がアップで映っている。

「おお、にゃんこ視点」

[お、配信始まった]

[店主様の声だ]

[美少女アヴァターだ。デフォルメ?]

 配信と同時にコメントが流れ込んでくる。知ってはいたが、こうも淀みなく書き込める順応には驚くばかりだ。

「ふむ。改めて初めまして。まずはキミの名前を教えてもらいたい」

「わたし?」

 彼女が自分の顔を指差す。

 他に誰がいるのか、とは、私の前に多数のコメントが指摘している。

「えーと、——……ん?」

 彼女は発したはずの声が鳴らなかった事に首を傾げている。

 不思議そうな表情をしながら、喉に指を当てて発声して調子を確かめている。

[本名を言おうとして、【個人情報規制】入れられたな、今]

[なにそれ???]

[リアルの名前とか住所を発言したり書き込みしたりすると、今みたいに阻害されるやつ。VRゲーだと実装してるとこ多い]

[あれ? 名前言ってもキャラ名に聞こえるんじゃなかった?]

[それも大元は同じ。今回はキャラ名設定してないから発音出来なかったんだろ]

[それどうやってんの?]

[さぁ?]

「すごい、今ってそんなのがあるのね」

 私があれこれと説明する前にコメントの集合知が疑問を解消してくれている。中々に楽が出来そうだ。

 規制の原理としては、脳波測定から規制情報を感知した場合にレスポンスで墨消しもしくは書き換えをしているのだが、それは知られなくていいだろう。

「つまりは、ゲームのプレイヤーネームを考えればいいのね? なら、紡岐つむぎゆうで」

 紡岐遥。

 ツムギ・ユウ。

 表記と発音の双方からその名前が登録される。

「そいえば、あなたの名前は?」

「まだないから、考えておいてくれ」

 私はユウを観測するために追加で作成された管理AIだから、それが自然に思えた。

 対して丸投げされたユウの方は真剣な顔で私を凝視してくる。

「今すぐじゃなくていい。話を進めさせておくれ」

「むぅ、ん、はい」

 少し不満らしい。困った人だ。

「プレイする時の【種族】はどうする?」

「人間じゃなくてもいいの?」

「ああ。私のように猫などの動物でもいいし、人魚や鬼などの空想の種族も一通り揃えているはずだ」

 既存のゲームのデータを流用している事もあって、『クリエイティブ・プレイ・オンライン』の種族数は豊富だ。植物も選べるが、開発陣は自分からは行動出来ないのに選択するプレイヤーがいると思っているのだろうか。

「ちなみに、ゲーム中で種族が変更される事もある」

「え? 例えば?」

「吸血鬼とかな」

「あ、うん、そういうこと。感染してんじゃん」

 理解が早くて助かる。

 ユウはあれこれと気になる種族が存在するか、一通り聞いてきて、それだけで満足して結局は【人間】でスタートする事に決めた。

「これでアヴァターが決定して、ステータスが確定した。【システムメニュー】を呼び出して確認してほしい。【システムメニュー】は声に出して呼べば出てくる」

「ん、えと、システムメニュー……あ、出てきた」

 先程の契約内容と同じく、システムメニューも画面が空中に浮かぶ仕組みだ。

 数字の羅列だからか、ユウは呻きながら見ている。

「ステータスは配信してもいいか?」

「ん、あ、そか。見てる人は訳分かんなくなるよね。いいよ」

 一切の躊躇いもなくユウが了承して来るので、私も気兼ねなくステータスを配信画面に表示した。


【キャラクターネーム】:紡岐遥(ツムギ・ユウ)

【種族】:ヒト

【アート・プレイ・タイプ】なし

【バーサス・プレイ・タイプ】なし

【基本能力値】

 体力(VIT):8

 神秘(ORA):18

 筋力(STR):7

 感覚(SEN):16

 意志(VOL):9

 精神(MIN):7

 機敏(AGI):7

 知性(INT):13

 権威(AUT):2

 速力(SPE):10

 幸運(RAC):8

 財産(PRP):6

【戦闘能力値】

 HP:16

 MP:36

 TP:18

 攻撃(ATK):8

 霊力(SPI):18

 防御(DEF):8

 加護(PRT):25

 命中(HIT):17

 影響(ACT):15

 回避(AVO):11

 抵抗(RES):17

 移動(MOV):13

 行動(INI):71

 会心(CRE):26

【装備】:なし

【所持金】

 12,000シェル

 0フィル


[項目多いwww]

[で、強いの、弱いの?]

[所持金枠が二種類あるの、なんだ]

[パッと見、魔法型か?]

 数値化されて進むコメント欄の考察は置いておくとしよう。

「これ、何から計算してるの?」

 ユウが疑問を持ったのは、何故この数値なのかという事だった。ランダムではなく参照するものがあった上で算出されたデータだと見抜いたのだろう。

「キミの記憶野から経験を参照して、アヴァターとの身体能力の違いを修正して計算されたものだ」

 その技術自体のレベルの高さに思い至ったのか、ユウは呆れと困惑と驚愕を綯い交ぜにして、女性にはあるまじき表情をしてみせた。

「ちなみに平均値は?」

「基本能力値の一般平均値は10だな」

「わたしがお金持ってないのモロバレじゃん。【権威】ってよくわかんないんだけど、2で生きていけるの?」

 ゲームの中でまで生活力を考えるのは、現実的なのかどうか判断に迷うな。

「【権威】は、カリスマ性や求心力を現している。ちなみに、【体力】が2だと定期的に入退院を繰り返すレベルだな」

「あー、ないなぁ、わたしに人徳なんて」

 思い当たる節しかないと言った雰囲気でユウがぼやく。

[店主様はすごい方です!]

 そんなコメントが寄せられるが、ユウは自嘲気味に苦笑するばかりだ。

 恥ずかしげに軽く握った右手で口元を隠し、話題を変えてくる。

「ステータスの割り振りとかは?」

「ない」

「……そうなの」

 既にプレイヤー毎の個性が出るステータス算出をしているので、わざわざそこから変位は付けない。

 あからさまにがっくりと落ち込むユウを見ていると、少し居たたまれなくなる。

「ここでのステータスは然程気にしなくていい。ゲームで【アート・プレイ・タイプ】のレベルを上げれば【基本能力値】が、【バーサス・プレイ・タイプ】のレベルを上げれば【戦闘能力値】が上がる」

「その感じだと、【バーサス・プレイ・タイプ】っていうのは、いわゆる戦闘ジョブ?」

「そうだ。今は取得出来ないが、ゲームで条件を満たせばすぐ取得出来る」

「なるほどね。それで【アート・プレイ・タイプ】の方は何?」

「【アート・プレイ・タイプ】は、創作や文化的行動の事だ」

 【アート・プレイ・タイプ】は、クリエイティブ・プレイ・オンラインの根幹システムに通じている。

 これからユウがプレイする舞台の『コミュト』という世界では、創作や文化的行動を通して奇跡の力を得られる。

 例えば、風を唄えば、空が飛べるようになり。

 例えば、火を踊れば、炎が敵を焼き焦がし。

 それらの奇跡は《ブレス》ーー世界から贈られた祝福と伝えられ、その《ブレス》を与えてもらおうと捧げる行動が【アート・プレイ・タイプ】として表示される。

「しかし、『コミュト』では現在【アート・プレイ・タイプ】を持っている現地民は一人もいない。何処からともなく湧き出した者達【ウェールズ】、即ちプレイヤー達だけが持っている」

 ユウが黙って首を傾げてくる。どうして、と訊きたいのだろう。

 私はニヒルに笑って見せた。

「『コミュト』の民が何故創作が出来ないのかは、実際に世界に降り立って調べるといい」

[おおー]

[やだ、この猫さん?カッコいい]

[うわ、プレイしたくなってきた]

 コメントが色めき立った。

 これくらいは宣伝をしておかないとな。この動画配信の目的は、彼女がプレイする口実とプレイヤー拡大なのだから。

 しかして、ユウは微笑ましそうに此方を見ているだけだ。

 子供が背伸びして格好付けたのを見るみたいな視線は止めてくれないか。

 私は咳払いを一つした。

「次は初期アイテムを選んでくれ。所持金の範囲で購入出来て、残金はプレイ開始時に引き継がれる」

「へー。じゃ、何も買わなかったら、どうなるの?」

「キミ、TRPGだとチートするタイプだな」

「世間一般で分かりにくい例を出してなによ。その通りだけど。ルールブックの文面に反してないからいいんだもん」

 システムの穴を探って掻い潜ろうとするんじゃない。

「大量の硬貨と一緒に倫理規制ギリギリの衣服だけ着た状態で放り出される。もちろん、硬貨を入れる袋もないし、その大量の硬貨は持ち運びは頗る不便だ」

「ちっ」

 可愛らしく舌打ちをするんじゃない。

[見た目の割には黒いぞ、この女]

[ドラまたを思い出すな]

[ふっる!]

「誰が金色の魔王か」

 嫌ならそんな裏道を探さずに真面目にやってくれ。

 装備一覧画面をユウに突き付けて、選ばせる。

「いいのは高い……」

 当たり前の事でぼやくな。

 暫くしてユウが選んだのは〈麻の服〉〈綿のスカート〉〈木靴〉と、ここまでは最低水準の装備であった。

 そこに〈森海のローブ〉という魔女が着るような深緑を潰した色のローブを頭から全身を通し、〈飾り紐〉をベルト代わりにして腰に結んでいる。

[あやしい……]

[不審者だよ、かんぺきに]

[怪しいわ! てか、妖しいわ!]

[なぜ、童話(原作)型魔女ルックにしたし……]

 唖然とする私を代弁して、コメント達が盛大に指摘してくれた。ありがとう。本当にありがとう。たった二つの装備で何もかも台無しなんだよ。

「え、だめ?」

 さも何も分からないという感じで首を傾げるな。いや、本気で分かってなさそうだな、こやつは。

「まぁ、いいか。紡岐さんは魔女ロールをするのだよ」

 思い止まらないのかっ!?

 これだけ否定意見しかなくて、何故そのままで確定しようとする!?

「なんか、にゃんこから思い直せ的な視線を感じますが、そんなの無視して決定ボタンを押します」

 ここまで淡々とチュートリアルを進めていたのに、いきなり口にしながら行動を押し進める。そんなに普通の服を選ぶのが嫌か。

「人の視線はこわい。ぼっちの人見知りなめるな。以上」

 聞こえよがしにユウが告白してくる。

 偏屈と聞いてた割には対応しやすいと思ったら、ここでか。地雷が分からない。

 〈森海のローブ〉のフードで顔を隠してしまったユウは、毒リンゴを取り出す配役にしか見えなかった。

 本当にこやつ、大丈夫なのだろうか……。

 ああ、だがしかし、丁度次のチュートリアルは目の前の人物を計るのに適している。

「次は、【アート・プレイ・タイプ】を取得してもらう。まぁ、気負わずに何かしら創作をしてくれ」

「なんでもいいの?」

「なんでもいい。このタイミングで創作をして、最初の【アート・プレイ・タイプ】と《ブレス》、そして異世界『コミュト』に渡る力を得てもらう」

 ユウがはたと疑問を目に宿した。

「それさ、ここで創作しなかったらゲームスタートしないってこと?」

「そう言ったつもりだ」

 このゲームは何処まで行っても創作が重要になる。此処で創作出来ない者は『クリエイティブ・プレイ・オンライン』をプレイしても楽しめないだろう。

 しかし、決意を表明する〈宣言〉などの純粋な創作ではない行動で【アート・プレイ・タイプ】と認定されるものも、それなりに多いので、敷居が高い訳でもない。

「……ため……かしこい……にゃんこ……ねこねこねこ」

 ユウがぶつぶつと呪いを垂れ流すような雰囲気で言葉を呟いている。イマジネーションを整理しているんだろうが、端から見ると不気味だ。もう少しどうにかならないのか。

「ん、よし」

 然程時間を掛けずにユウが顔を此方へ向けた。

 それから、口を緩く開け閉めし始める。発音は何もない。

「ね、ねぇ、これ、もしかしなくても自分で読み上げないとだめ?」

 おどおどとそんな事を訊いてきた。事前に聞いていた情報では、ユウは普段から短歌を詠む人間だという。口に出すよりも文面に起こす方が多いのか。

「紙と筆を出せと言うなら出すが」

「うっ……手書きは……」

 字を書くのも自信がないようだ。始末に悪い。

「あー、でも、文字で確認したいから、書くものくれる? 紙とペンで。筆じゃなくてペンで」

 毛筆は苦手らしい。

 私はユウの手の中にメモ帳とボールペンを出力してやった。

「猫魔法すごい」

 猫魔法なんて〈スキル〉はこのゲームにはないんだが。

 ユウは手にしたメモへペンをぐりぐりと押し付けている。文字を書いている仕草としては、おかしな動きだ。

 かと思えば、自分で書いたものを食い入るように見詰め始める。暗記テスト前の学生のようにも見える。

「よし。よし。いくよ。いくからね」

「早くしなはれ」

 全くまどろっこしい。

 私の言葉に怖じ気付いたのか、腹を括ったのか。

 ユウは転じて黙り、軽く目を閉じた。左手を胸に当てる様子は祈りに似ている。そこに納まった創作の泉から水を汲み出そうと祈っているように。

 大きく息を吸い、止めた。

 柔らかな唇が開く。

《かのよには

 つねによりそふ肩目あり

 しぐさひとつも

 まま

 そこかしこ》

 私は呼吸を忘れた。

 何よりもまず喜びを懐く。

 それから細い声音のたどたどしくも優しい紡ぎに惚れて、そこからその短歌の美しさを想う。

 最後にやっと、ユウが選ばれた理由である未だなかった言葉に惹かれる。

〔〈アート・プレイ・タイプ:造語〉を5レベルで取得しました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:短歌〉を3レベルで取得しました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:詩〉を1レベルで取得しました〕

〔〈アート・プレイ・タイプ:命名〉を1レベルで取得しました〕

〔《ブレス:肩目》を取得しました〕

〔『コミュト』への移動が出来るようになりました〕

 誰より何よりも早く反応したのは、システムメッセージの声だった。

 それから、私はユウの方へ駆け寄り、肩へ登る。

「うにぁ。名前、気に入った?」

 誇らしげに訊いて来るユウに素直に返すのは釈然としないので、私は尻尾で頬を擽ってやった。

[え、名前って、なにが?]

[わからん。名前なんか呼んだか?]

[初未言は肩目なのですね]

 視聴者は事態が飲み込めてないらしい。

 かしこ。それがユウが私に与えてくれた名前だ。歌に詠み込まれたのが分からなかったのも無理はないけれども。

「かしこ。それが私の名前らしい」

[わかりにくっ!?]

 なんだかさっきから一人、ノリのいい視聴者がいるな。

「うん、かしこいから、かしこ」

「え?」

 まさかの由来に思わず声を漏らしてしまった。

 もっとこう、しっかりした由来があるのではないのか?

「あとは手紙の終わりのかしこ。人に届けるのがお仕事だから」

 やはりきちんとあるんだな! 信じていたとも!

「ふぁっ? くすぐったいよー」

 おっと、感極まって顔を擦り付けてしまった。はしたない事をした。

「ところで、ブレスは《肩目》なのね。未言なのにそれが選択されるんだ」

 未言。それがユウに『クリエイティブ・プレイ・オンライン』のプレイを依頼した最大の理由だ。

 未だ言葉にあらず。即ち、この世に言葉を当てられていない物事に自ら言葉を産み出したもの。

 『肩目』とは、自分を客観的に見る視点の事を指す。人の肩には倶生神という振る舞いを記録し閻魔に報告する神が乗っているという仏教の伝承に由来する未言だ。

 だから、私はユウの肩に乗ったのだ。

「で、《肩目》の効果はなんだろな?」

「常に管理AIかしこが行動を記録して動画配信する」

「ん?」

 ブレスの効果を答えたら、ユウが小首を傾げた。

 おかしい。肩から耳元へ話しかけたのに聞き取れなかったのだろうか。

 仕方ないもう一度伝えよう。

「常に管理AIかしこが行動を記録して動画配信する」

「んん!?」

 ユウがさらに大きく首を傾けた。どうしたのか。

「それって、元々決まってたことじゃない!? 決め打ち!?」

「キミなら状況に即した短歌を詠んでくれると信じた上でだとも」

「そんな信頼はいらなかった! まって、ちょっとまって! 他の人の最初のブレスってどんななの!?」

「継続してMPとTPを回復したり、天空龍を召喚したりだな」

「わたしのだけゲーム的なメリットないじゃん! 不公平だー!」

 ユウが絶叫するが、結果はもう覆せない。

 コメントにも[不憫]だの[残念]だのと同情が多いが、致し方なし。

「チュートリアルはここまでだ。さぁ、早速『コミュト』に向かおうか」

「何も問題がないかのように話を進めないでくれるかな!?」

「何も問題がないから、話を進めよう」

「うわーんっ!!」

 少し邪険にしたら、ユウが泣き出してしまった。MINが7というのは、思ったより打たれ弱いのかもしれない。

「ほら、泣き止んで。その泉に飛び込んだら楽しいゲームの世界に行けるから」

「え、わたし、泳げない……」

 この期に及んでまだ尻込みをするか。

 これ以上時間を伸ばしても視聴者が飽きてしまうな。

「早よ、行きなはれ」

「うにゃ!?」

 ユウの背中を蹴飛ばして、泉に沈める。その瞬間に泉が光を放ち、水へ入らなかった足も消えた。上手くログイン出来たらしい。

〔ようこそ、創作と祈りの世界『コミュト』へ。世界はアナタを歓迎します〕

 システムメッセージが流れたのを待ってから、私もユウの後を追う。

「さぁ、プレイスタートだ」

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