エイミング・フォーミュラー/ジェネシス・ミッション

御笠泰希

Mission1 焼けつく月。離れた手。灰に埋もれた『約束』

 おはようからおやすみまで元気だったりすると、その子の事が不安になったりする。


 傍に居てあげなくちゃと、気付けば少年は勝手なお節介を心の片隅に置いていた。


 焼き切れるまで動き続けるエンジンみたいな、あの子。危なげな彼女に振り回された日々は懐かしく、笑って思い返せるぐらい楽しかった。


 だけど、あの眩しい日々は思い出に過ぎない。傍に居るだけが全てではないと、自分を誤魔化して彼女から離れていった。


 それを酷く後悔している。聞き慣れたはしゃぎ声を切なく、寂しく感じる訳といえば――暗闇の中でただ独り死にかけているせいだ。


《ハローハロー、イザヤ! モーニングコールだよ! 起きて起きて! おーい、寝ちゃダメだよ!》


 時として喧しかったりするその声が好きだった。落ち着きの無いちょっとした欠点を受け入れるのが心地好かった。


『またね』と別れる寂しさを、どうしてもっと惜しまなかったんだろう。明日があるなんて誰も保証してくれないのに、どうしてそれに甘えることなんて出来たんだろう。


 虚ろな瞳で血の滴を口元から溢す少年――オイガミ・イザヤは、冷たい孤独の中で思い出に縋り付いていた。彼の名を騒がしく呼ぶ少女は映像記録として目の前に浮かんでいながら、遥か遠くにいる。


「アンリ……」


 声に応えるように名前を呼んでみる。それに返ってくる言葉は当然として無いのだけれど、そうしたくなるぐらい彼女の存在が堪らなく恋しかった。


 はしゃぐ少女――イスルギ・アンリは電子の砂嵐に揺れながら人懐っこい笑顔を浮かべている。孤独な暗闇を微笑みで照らしてくれるかのように。


 落ち着きなく弾むセミロングの黒髪と、爛々と無邪気に輝く褐色の瞳。傍に居た時は、それに気持ちを重ねるなんて気恥ずかしくて、とても出来なかった。


 青臭いプライドなど捨ててしまえば良かった。格好つけて気取ったところで、後に残ったのはつまらない見栄と、アンリの涙だけだった。


 どうしようもなく燃え上がってしまった月。こうなる前に、アンリは一緒に来て欲しいと言ってくれた。


 引っ張るように握ってくれたあの暖かい手を思い返す。びっくりするほど柔らかくて、鼓動で胸が弾み、此処が産まれた場所だからと焦ったように口走った。


 思わず赤らんだ顔をそむけながら、君との思い出がある場所だからと、取ってくれた手を離してまで格好つけてしまった。


 本当は此処に残るのが怖くて仕方なかった癖に。俯いた彼女がどんな顔をしているかも判っていた癖に。


 離れるならせめて格好良い思い出でいたかった。気になる女の子を前にした少年の見栄なんてそんなもので、後の事など考えもしない。


 好きな子を泣かせてしまった。アンリの前で情けない姿を見せたくないという身勝手のためだけに。


 笑った顔が好きだった。


 それがまた見たくて月を守ってやろうと決めていた。


 なのに泣かせてしまった。そんなつもりじゃなかったのに、謝ることすら出来なかった。


 此処にまた帰って来て貰いたくて。


 地球からもう一度会いに来て貰いたくて。


 なのに今、この手に残っているのは後悔と渇いた涙の跡だけだ。


 あの時、手を離さなければ。地球で一緒に居られたのかもしれない。故郷である灰色の月を捨ててしまえば、こうして死にかける事もなかった。


 けれど捨て去る事が出来なかった。此処を離れる事が出来なかった。アンリとの約束があったから。破ってしまった約束だけがイザヤを突き動かしている。


《今日は遊びに行く約束だよね! 楽しみだなぁ! パークランド行って、その後のランチは何を食べようか? ルナ・シーってとっても綺麗なんだよね、見てみたい! 夜になったら――あ、ナイトシアターなんてどう? 月では最近何が――》


 砂嵐の中でアンリの顔が歪んで止まる。破損したデータを懸命に読み込もうとするフルフェイス・ヘッドカムの頑張りも虚しく、不具合の表記が申し訳なさそうに浮かんだ。


 破ってしまった約束を、記録の中で楽しみに語るアンリ。イザヤはそれを一つとして守れなかった。消し炭とこんがりの間で揺らいでいる月面都市に、彼が残る意味なんて一つも無かった。


 このまま月は焼き尽くされてしまうのだろうか。それとも、少しだけ美味しいところを残して衛星管理機構――U.N.SUnity Network Satelliteは建て直しを図るのだろうか。


 どちらにせよ、イザヤが所属する警衛局はズタズタに違いない。曖昧な記憶を辿っていくと、星間輸送艦に乗り込みながらアンリとのログを眺めていた事を思い出した。絶望的な状況の中で、彼女から勇気を貰おうと足掻いていた。


 それが今、暗闇の中に残されて破損したデータを前に呆然としている。乗り込んでいた輸送艦はきっと落とされたのだろう。同乗していた仲間はどうなったのだろうか。


 声一つ出せばヘッドカムがシグナルを増幅させて状況を掴んでくれる。だけど声を出せなかった。狭いコックピット内で散々に叩きつけられた身体は、沢山のケーブルと繋がったコネクティブル・ジャケット越しでも打撲だらけだ。傷付いた内蔵から逆流した血が口内にへばり付いている。生命維持装置が無ければとっくに死んでいただろう。


 ヘッドカムのインターフェースに生命レベルの危険を訴える表示があった。見逃しようもない警告表示だというのに、気にすらしなかったのは意識が希薄なせいだろう。


 喧しく鳴っているビープ音も遠く、斑に赤く染まったコンディション表示すらぼやけて見えていた。彼が確かに認めているのは砂嵐にまみれたアンリの姿だけだ。


 ただ、彼女の事だけを想っている。俯いて泣いていたあの姿だけが、眠ってしまいそうな意識を奮い立たせた。


 起きろ。起きるんだ。またアンリに叩き起こされるぞ。ハロー。ハロー。寝ているわけにはいかない――血反吐を溢しながらイザヤは唸る。


「……インジェクション起動――ブラスト」


 口頭指示は視線入力よりも上位命令にあるので、煩わしい警告表示も無い。全身を覆うコネクティブル・ジャケットに内蔵された投薬機能が、イザヤの首筋に指定されたパッチ状の薬物――ブラストを打ち込むように張り付けた。


 微小な注射機構が痛みもなく肌をすり抜けて血管に潜り込むと、神経伝達物質を速やかに流す。


 自律神経を刺激されて意識が覚醒する。気道が開き、呼吸が安定する。早まる心拍に瞳孔が見開かれた。


 戦うんだ――イザヤはマニピュレーターグリップを握り混み、意気込む。守るべきものは既に無いけれど、それを諦めだと飲み込んじゃいけない。


《久しぶりだねイザヤ! ちゃんと映ってる? 私は今、お父さんの会社が出した新型A.U.Gのエキシビションに来てまーす! へへっ、良いでしょ! これから起動実演をするんだよ! 月でのロールアウトはもうじきなんだって。そうしたらイザヤもこれに乗るのかな――》


 脈絡のない映像の再生。破損したデータファイルを飛ばし、アトランダム化した記録情報がイザヤに語りかけていた。


 嬉しそうに張り切る彼女の後ろで、八メートル程の人型搭乗兵器――A.U.Gが佇んでいる。


 鋭角なシャープラインが際立つスマートな外見。イスルギ重工が宇宙空間での立体機動を重視して造り上げた意欲作。


 配備されたらきっと力になるよ――アンリの言葉はその通り充分な戦力となった。手足のように慣れ親しんだこの機体だからこそ、突破できた状況は二度や三度ではとても足りない。


 月の守護者に相応しく【モチヅキ望月】と名付けられたA.U.Gは細身を薄灰色の装甲で被い、半月形の高出力ブースターを両背部に備え、満月として負う独特なシルエットをしていた。


 新型という言葉に心を擽られたのが懐かしい。今やコイツの現行バージョンは、ちょっと型落ち気味だ。乗り込んでいる自分と同じく、最後まで使い潰そうとするなら考えるだけ苦労してしまう。


 月で戦うために造られ、調整された子供達――ムーンチャイルド。A.U.Gの部品であるかの様なその命。イザヤの一生はそれで終わる筈だった。アンリと出会わなければ。


 生きたい。心の底からそう思っていた。生きて、アンリにもう一度会いたい。そのために戦っている。彼女と出会ってから、初めて産まれた意味を持った。


 薬物の効果によって、ようやく焦点の定まった視線がインターフェースの表記を駆け抜ける。


 システムアップ――出力系統の起動と、フィードバックの連動を確認。


 ハンガーリリース――機体を固定していたアームが跳ね上がり、駆動部位が自由を得る。


 ゴーアヘッド――イザヤの身体反応をジャケットが読み込み、ヘッドカムを通じて増幅した脳波が人型兵器の電気的な神経となって走る。


 A.U.Gと身体動作を同調させたイザヤは、機械的な情報処理能力を取得し、飛躍した知覚認識で状況を飲み込んだ。


 インターフェースに続々と流れ込んでくる情報を視線による入力で高速処理していく。気に留まるのは、仲間の識別信号が全てロストし、今まさに敵が輸送機の装甲を懸命に引っ掻いている事だった。


 握り込んだグリップを通して、フィストガードを展開。インターフェースの受理と共に指示通りのフィードバックがジャケットに走る。


 唯でさえ閉塞的なバンカーは、ひしゃげて歪み、さらに窮屈になっているけれど、ぶち破るには充分な空間がある――反撃の先手はこっちのものだ。


 マニピュレーターグリップを深く引き込み、殴り付ける形で押し込む。その動作に寸分の遅れもなく、A.U.Gの巨拳が格納庫の壁を殴り抜いた。


 強烈な手応えと変に柔らかい金属のような塊を貫いた不快感が、まるで薄膜越しにA.U.Gから反映される。引き抜いたフィストガードの鋭角な突起物には、べったりと白銀色の液体が付着していた。


 シリコンであるこれを体液として機能させ、細胞単位で集積回路を形成する生命体をイザヤは、うんざりする程よく知っている。そしてコイツが人類の天敵であり、自分を殺そうと群がっている事も。


《ねぇ、イザヤ。今日もお仕事なの? ……最近会えてないよね、忙しいのは仕方ないけどさ。……ううん、駄目だね。こんないじけた調子じゃ、我が儘だよね! 行ってらっしゃい、イザヤ! 気を付けてね! ……でもやっぱり、ちょっとだけ……つまんないなぁ……》


 まるで場違いなアンリの言葉に、イザヤは吹き出してしまった。状況の認識ばかりに気をやって、すっかり映像の再生を止めるのを忘れていた。


 ああ、行ってくるよ。そして生き延びる。君にただいまと言うために。


 イザヤが意識的に背中を揺すると、それを信号と認識したA.U.Gが背面のブースターを噴出させた。


 空気中に残存する暗黒物質――エーテル・パーティクルをエネルギーとして変換するA.U.Gは、爆発的な推進力で格納庫を突き破って脱出した。


 センサーマスクに覆われたツインアイ・カメラが外部状況を認識する。広がっていた光景がインターフェースに広がった――凄惨としか言い様のない光景が。


 跡形もなく燃え上がる見慣れた街並み。其処にあった筈の思い出は、熱い塵埃となって装甲に触れては散っていく。


 炎の影に蠢く巨大な影。無数の触手を踊らせて破壊の限りを尽くす怪物の群れ。浴びせるように放たれている火線もまるで意に介さずに、それはひたすら進んでいく。

 ああ、本当にこの都市は終わってしまったんだな。


 何となく察してはいたけれど、こうして目の当たりにする実感はイザヤの心に暗い翳りを生んだ。


 皆、死んでしまった。誰も彼もが灰となって散っていく。廃墟となった街並みに、彼が親しんだ日々はもう無い。


 項垂れた視線が見下ろした先に、都市を覆う影と同じ、蠢く異形がある。柔軟性と硬質を兼ね備えた奇妙な白い外殻と、自在な伸縮で触れた物を潰し、両断する触手を持った巨大な生命体――。


【ヴェクターβ型】と呼称されるその怪物は、甲殻生物と芋虫を混ぜ合わせ、ついでとばかりに羽虫も取り付けたようなおぞましい外見をしていた。


 群れの一匹はモチヅキの一撃をくらったために千切れかけ、夥しい量の体液を撒き散らしながらもがいている。


 イザヤはそれを引き千切り、容赦なく踏み潰す。長距離の射撃を行う際に使用される固定アンカーすら起動させて、思いっきり踏みにじる。こんな事をして胸がすく訳でもないのだけれど、沸き出した感情を抑えられるほど大人でもない。


 活動が停止し、自壊しながら崩れ去っていくその様を横目にしつつ、輸送艦に張り付いているヴェクターの夥しさに愕然とした。


 まるで輸送艦は海底に鎮座する岩肌で、ヴェクターの触手はそこに根付いた刺胞動物みたいだった。


 奴等は輸送艦を。半有機結合生命体と定められた新生物であるヴェクターは、あらゆる物質を取り込み、エネルギーや再生部品に変換する事が出来た。これだけの数が飛来し、攻撃されたのならば艦が墜落するのも納得だ。


 仲間が叩き潰されて激昂したのか――そもそも、そんな感情がヴェクターに有るのかどうかすら疑わしかったけれど、触手を広げ、抱き付くように飛び込んでくるその姿には明らかな敵意があった。


 数秒に満たない瞬間の中、モチヅキの下腕部からレーザーブレードがせり出すように展開し、中空を舞うヴェクターを纏めて両断した。


 まるでパッケージングされた飲料が破けたかのように白銀色の体液が噴出したけれど、その一滴もモチヅキに触れることなく、機体の数メートル前の中空でプラズマを迸らせながら消失した。


 A.U.Gに備えられた空間断絶防御機構――ディメンション・シールドによる異層排除。


 これは展開範囲内に接触した物質を削り、空気抵抗や重力加速度ですら別次元の空間へ事で、あらゆる機体負荷やダメージとなり得る接触をほぼ無効化する。


 ただし、異層排除出来る質量的な限界というものがあって、一度に大規模な質量となると排除しきる事が出来ない。


 つまり、ヴェクターの一撃などは別次元へ排除しきれず、近接戦闘に特化した機体でなければ致命的な損害は免れなかった。


 イザヤが搭乗するモチヅキの防御性能は低く、艦の装甲を破るようなヴェクターの一撃にはとても耐えられない。


 せいぜいが威力減衰による致命傷を防げるだけで、ディメンション・シールドを防御機関とした完璧な効果は得られなかった。残念な事に、便利なものは万能とまでいかない。


 ヴェクターの攻撃を受けてはいけない。そもそも、遠・中距離戦闘を想定したモチヅキにこの状況は些か不利だった。


 ワイヤーのように細く、青白い光を放つブレードを収納し、両肩のハンガーユニットから150mmの口径でAPFSDS弾を撃ち出すライフルを掴み取る。


 ヴェクターは多大な数で襲い掛かる習性を持ち、どういった機能なのか、他の個体がやられるとそこを目指してやって来るのが常だった。


 冷たく冴えた五感が襲撃を確信する。輸送艦に張り付いた他の個体が、雄叫びのような声を上げて――その瞬間は訪れた。


 建ち並ぶビルの陰から、凄まじい速度で歩脚を蠢かしながら接近してくるヴェクターの群れ。輸送艦から飛び付いてくるのも含めて、イザヤはそれらを迎撃した。


 轟音とそれに尾を引く火線。飛び散る体液と肉片がモニターを染めていく。飛び退くようにバックブースターを噴かし、ヴェクターを引き離す一方的な攻勢を展開した。


 けれど、正面からではいずれ圧倒的な数に押しきられてしまうだろう。その意識がトリガーと連動するマニピュレーターグリップを不必要なまでに強く握り込ませていた。


 ヴェクターもA.U.Gと同じくディメンション・シールドを有し、その上どのような物質であっても吸収して、即座に欠損の修復に当てられる特殊性を持っている。だからこそ安定した速度と貫通力に優れたAPFSDS弾が主流として採用されているのだけれど、それでもヴェクターが共食いする餌を生産するばかりであまりにも分が悪かった。


 折り重なるヴェクターは互いを踏みつけてまで猛進し、時折それが他の個体の盾となるために撃ち損じる数が増えていく。


 損傷程度のダメージに倒れたヴェクターも、ビルや車道にのし掛かってはあらゆる物質を取り込んで再生し、再び走り寄ってくる。


 完全に機能停止させた数は五十発強の弾丸を撃っていながら、がっかりする程少なかった。単機で戦える限界の底は、容易に足が着いてしまうくらい浅い。


 装甲下に設けられた小型ブースターで滑るようにビルの合間を後退しつつ、広い車道は高出力の背部ブースターで一気に駆け抜けた。


 OSが立ち上げた市街戦の交戦モジュールと、それを最適化するAIを活用しているとはいえ、宇宙空間という広大なフィールドでの運用を想定されたモチヅキでは障害物を避けるのに酷く苦労させられる。撃墜というイレギュラーさえなければ、宇宙空間で存分に戦えたのにと、酷く悔やんだ。


 イザヤの身体は引き付けを起こしたみたいに細かく動作し、その入力信号はA.U.Gの各部ブースターに反映されて後ろ向きのまま、ビル群を駆け抜けるテクニックと変わる。少しでもヴェクターを分散させて、有利な状況を作り上げなくてはいけない。


 追いかけてくるヴェクターはモチヅキの緻密な動作に翻弄され、角という角で縺れ合ってはぶつかり、癇癪を起こしたかのように触手でビルを切り刻んだ。あれをくらえばとても無傷では済まない。当たってはいけないという意識が慎重な流れを誘う。


 けれどそれに徹して臆病になる訳にはいかない。イザヤはビルを回り込み、背後からヴェクターをフィストガードで殴り付けては、転倒したところにライフルを撃ち込み続けた。それに気付いて追いかけてくる群れを再び廃墟と化した都市の迷路へ引き込み、散開させては撃破していく。


 明確に減るヴェクターの数。それと同期するように浮かんだライフルの残弾警告.

撃ち尽くしても殲滅には至らないだろうと即断した。けど、ブレードやフィストガードで突貫するのは無謀であって、戦術として優れているとは言えない。勇敢を気取った玉砕なんて真っ平だ。


 筋肉が疲弊し、身体が重くなる。呼吸が荒れて、伝う汗が酷く熱い。インジェクションの投薬で疲れを誤魔化すのも限界だ。


 広い車道に抜け、ヴェクターを誘導する。避けて進む残骸の中に、破壊されたA.U.Gが幾つもあった。それらは叩き潰されて歪み、もの悲しそうに燃えている。その光景が高速で動くイザヤの視界を流れていった。


 ああ、チクショウ。悔しさと怒りが混ざりあった感情が沸き起こる。いっそのこと熱くなって衝動的に戦えたらどれだけ楽だろう。銃弾を撃ち尽くすまで叫べたら、きっと死ぬ瞬間なんて気にも留めやしない。


 けれどそれじゃ駄目だ。生きて帰らなくちゃいけない。死んでたまるか。アイツは誰よりも勇敢だったなんて、上辺だけのセンチメンタルなんか真っ平御免だ。


 死んでしまった方がマシなくらい無様でも、本当に死んでしまうよりはずっと良い。そうじゃなければ何のために生きてきたのか、分からないじゃないか。


 死ぬために産まれた訳じゃない。戦うために造られた命でも、生きたいと望む声を塞ぐ事なんて出来ない。


 アンリと出会って彼はそれを知った。そしてそれをもう一度確かめたかった。生きている意味を、絶望を乗り越えた先で確かに感じたかった。


 ──ブースターを閉じる。後ろ向きのまま慣性でアスファルトを抉りながら滑る機体を制御し、ヴェクターの群れをギリギリまで引き付ける。


 声だと理解できない声を上げ、異質な殺意を浴びせてくるヴェクターとイザヤは向き合った。この生命体が一体何なのか、何処から来て、どうして敵意を向けるのかは、さっぱり解らない。


 だけど、倒さなければ殺されるのだという事はよく解っている。生き残るのはどちらかだけだ。


 軋む身体を奮い立たせ、A.U.Gを操ることだけに全霊を注いだ。油断も躊躇もしてはならない。研ぎ澄まされた感覚が眼前まで伸びた触手を確かに捉える。


 ディメンション・シールドを掠め、接触のプラズマが僅かに走った瞬間、モチヅキは遥かな上空へ飛翔した。


 アンカーに仕込まれた起爆剤のインパクトをアクチュエーターがエネルギーとして利用し、最高のタイミングで噴出した高出力ブースターが自機を打ち上げる。


 ビルを飛び越える勢いで中空を舞いながら、各部のブースターで反転し、アイカメラがヴェクターの群れをロックする。


 真紅のデルタサインがインターフェースに並び、決定的な一撃を与える瞬間が訪れた。高揚の熱と沈着な冷たさを感じながら、グリップのトリガースイッチを引く。


 鋭い噴出音。機体の腰部に備えられた小型ランチャーから多弾頭ミサイルが灰色の煙を尾として射出された。


 中空より放たれた広範囲の爆撃は、ヴェクターだけではなく、周囲のビルをも巻き込んで破壊する。雪崩のように倒壊する巨大な瓦礫が周囲一帯を埋め尽くすように盛大な粉塵を巻き上げ、地響きと共にヴェクターの絶叫が、イザヤの身体を突き抜けていった。


 終わりだ。この攻撃ならとても耐えられはしない。モチヅキは巨体でいながら柔軟な機動力で、静かにグラウンドゼロへ降り立つ。そこに起き上がる影は無かった。再生する間すら許さない圧倒的な攻撃力。


 ――生き残った。A.U.Gコクピット内の機器動作音をたっぷりと耳にしてから、そう思った。張り付いていた汗が冷え、緊張から解放された反動に身体が震え上がる。


 背筋を走る戦慄を諫めるようにイザヤは身体を抱いた。蹲りながら、吐き気とも嗚咽とも判別できない呻き声を上げて、涙を溢した。


 ──帰れるよ、アンリ。俺は帰れる。強く絞った瞼の裏に、彼女の笑顔を見た。伸ばしてくれた手を繋ぎ、照れずに離さないと今度こそ誓う。


 やり直すんだ。破ってしまった約束の数だけ傍に居る。そして、それ以上に多くを守る。絶対に。


 疲弊した、それでいてどこか安らかな顔を上げ、撤退するルートを探る。残弾が少ない以上、ヴェクターと接触するのは危険だ。仲間と合流出来る可能性は捨て去るべきだろう。特に、孤立している状況で友人機を求め、戦地を駆け回るなんて馬鹿の選択だ。


 ブラストの効果が薄れ、疲労が急激に込み上げた。ダメージを負った筋繊維が痛み、打ち付けた内臓のせいで吐き気もする。


 もう限界だった。一刻も早く離脱しなければいけない。淡々と市街マップに撤退の誘導マーカーを走らせていく。


 ――その最中、モチヅキは突如として異常な力場を観測してシグナルを鳴動させた。


 何事かとそれを注視するイザヤの瞳に恐怖と不安が泳ぐ。グリッド化された市街マップには波打つエネルギーが幾つも表示され、重なるように収縮していく。


 それは同調して空間の圧縮を生じさせ、建造物を引き込みながら歪み、捻くれていった。


 力場が収束するポイントは近く、鋭く気が立った。何が起こっているのか、そして何が起こるのかまるで解らない。


 震える手でグリップを握りつつ警戒の体勢を取った瞬間、力場の波動は完璧に調律し、衝撃波が放たれた。圧縮から解き放たれた空間が放出するエネルギーは暴風を生み、吹き飛ばされた瓦礫がモチヅキにぶつかる。


 けれど、ディメンション・シールドによる干渉が威力を減衰し、A.U.G自体の頑強さと自立制御がそれらを防ぐため、こんなのは危険とはいえなかった。


 本当に危険視するべきなのは突然発生した力場によって出現した謎のオブジェクトだ。


 異様なまでに真っ白なそれは、歪んでひび割れた大樹のように聳え、複雑に生え伸びた枝の間で凄まじいプラズマが迸っている。まるで何かの情報を送受信するアンテナみたいに。


 あれは一体何なのだろう。イザヤは未知との接触に言い知れない不安を感じた。

 空間転移による物体移動はヴェクターの能力であり、人類の技術としては不完全なものだ。


 その筈だ。なのに――なのに、その大樹を模したオブジェクトの虚に座しているのは――紛れもなくA.U.Gだった。


 不気味なまでに純白の装甲。モチヅキと同じく機動性を重視したシャープな外見。血染めであるかのような深紅のツインアイが滲ませているのは、突き刺さるような殺意だった。


 驚くべき事に識別のシグナルは青く瞬き、A.U.Gだと示している。だけど、味方とはとても思えなかった。物質転移による再構築がA.U.Gに搭乗する人間を生かす筈がない。起こり得て当前の危険性を冒す機関が、人類の社会に存在する筈がなかった。


 ヴェクターだと認めた。それもA.U.Gを真似る特殊な新種――これまでの戦闘経験が一切役に立たないと察して血の気が引いた。


 シグナルが赤い光点に変化する。警告音が耳を叩く。明確な敵意の表れ――来る。鼓動が荒々しく血液を全身に送り出し、喚くシグナル音に促されるまま、構えた。迎撃するために。


 ――衝撃。轟音。イザヤの意識は一瞬、空白化して思考が断絶した。


 騒ぎ立てる警告音でハッと気が付いた時、モチヅキは横殴りの強烈な接触を受け、地面へ叩き付けられたんだと察した。


 ――速い。速過ぎる。何が起こったのか直ぐには理解できなかった。脂汗が浮かび、呼吸が激しく乱れる。


 大小の規模に関係なく損傷の表示で埋まるインターフェース。大抵の衝撃を自律制御するA.U.Gが一撃で転倒させられるなんて信じられなかった。驚愕に見開かれたイザヤの瞳に、唖然とした色が浮かぶ。


 高出力ブースターを完全に破壊され、装甲の大部分を引き剥がされた深刻な損害状態。堪えようとした駆動部のジョイントもかなりのダメージを受け、機体はショックに軋んでいる。


 ディメンション・シールドは質量の大きな物体には無力なぐらい弱まるが、それでもこれ程損傷するとは思わなかった。接触した側もまともでは済まない筈だ。


 けれど、白いA.U.Gに弱った様子は無く、異常な速度で旋回し、再びイザヤ目掛けて突撃しようとしている。


 敵に纏わりついているプラズマは、ディメンション・シールドによるものと同じに見えた。しかし、その性質はまるで違っている。


 防性ではなく、攻性によるディメンション・シールド――イザヤはそう理解し、傷付いたモチヅキをどうにか立て直す。


 脳裏に張り付いた疑問。人間の兵器を真似るにしたって、運動性能をダイレクトに反映させるA.U.Gの必要性が、ヴェクターには無い筈だ。なのにそうする理由は何なのだろう。


 小型のα級でも、A.U.Gを必要とする大型のβ級でもない。ましてや艦隊規模の戦力を必要とする巨大なγ級ですらない未知との接触。しかもそれが人類の叡智であるA.U.Gと同じタイプだという事実。


 積み重ねてきた経験の中で異彩を放つ衝撃的な存在。それは息つく間もなく、再びモチヅキに激突する。


 ──回避行動が間に合わない。ディメンション・シールドの減衰がまるで役に立たず、再び転倒する。ブースターを損失した影響どころか、人間の反射神経で回避できる速度を遥かに越えていた。モチヅキがどれだけ反応値や瞬発速度に優れていようと、パイロットが人間である以上は底が知れている。


 イザヤは激しく呼吸を乱しつつ、インジェクションを打ち込む間も惜しんでA.U.G型のヴェクターを視界に収めていた。それでもFCSのフォーカスは遅れ、放った弾丸は虚しく彼方へと抜けていく。


 その遅れを補正し、偏差射撃を行おうとした時、シグナルがふいにA.U.Gのものと変わった。OSがフレンドリーファイアを防ぐために、FCSを制御したせいでマニピュレーター・グリップのトリガーが気抜けし、手応えのない空絞りを繰り返す。


 判別のセンサーがここまで酷いエラーを生じさせた前例は無い。OSやAIは故障の自己診断すら上げていなかった。それを裏付けるように、射撃サイトがヴェクターから大きく離れた瞬間、再びシグナルはヴェクターを示す種別に変わった。


 トリガーの手応えは戻ったが、弾丸は再び遅れて虚空へ抜けていく。敵は識別すら変換し、攻撃手段を奪う能力を持っていた。


 残弾ゼロ。現実は容赦なくイザヤを攻め立てる。けど、パージはしない。弾はまだたっぷりあるんだと牽制する必要があった。


 素早い視線入力でAIの制御を断ち切り、オートマティックであった動作補正コントロールを全てマニュアル化する。友人機として識別を操作してくる以上、これらに意味はない。そして、これからやる事にも邪魔だった。


 弾丸が届かないなら、極限まで接近させて殴り付ける――。無茶だと判っていてもやるしかない。モチヅキが受けたダメージはかなり酷く、逃げ足を失っているのも同然である以上、他に手段は無かった。


 それに、敵機が遠距離の攻撃を仕掛けてくる気配は無いし、ヴェクターにはA.U.Gが武装を増設するためのハンガーユニット自体見受けられなかった。攻性ディメンション・シールドによる超高速での衝突が敵機の戦法だと理解できる。


 二度の攻撃がそれを証明していた。三度目はやらせない。やらせるものか。瞬きする余裕もなく見開かれたイザヤの眼は血走り、渇いた瞳は敵だけを映している。


 帰る。絶対に生きて帰る。彼の心を支えるのはアンリへの想いだけだった。帰るべき場所が遥か遠くで輝いている。


 そこへ帰る。懐かしさすら感じているあの日々をもう一度過ごすために。


 ヴェクターはブースターを盛大に吹かし、エーテル・パーティクルの瞬きを尾にしながらサイドスラスターを噴出し、急速な姿勢制御で突入角度を定めた。モチヅキの開発コンセプトに似た不気味な機体が異常な速度で迫ってくる。


 奇妙な繋がりだと思った。まるで出会うことが必然であったかのような類似。

 早まる鼓動すら伝わるのだろうか、ヴェクターは合わせるようにディメンション・シールドの表層干渉プラズマを迸らせながら突き進んで来る。


 昂る神経が敵機体をスローモーションで捉え、駆動部に流れる黒いエネルギーラインすらはっきりと見えていた。


 まるで生物の脈動のように息づくそれは、幾度となく目にしてきたヴェクターと同じものだ。底の知れない悪意がアイカメラを通し、射抜くように伝わってくる。

 俺達は相容れずに殺しあう運命だと。


 ――その瞬間、イザヤの脳は冷たく痺れ、雑多な思考が消えた。世界は凍りついた様に静謐で、A.U.Gのセンサーが収集するあらゆる機械音も聴こえない。


 時間の歩みが遅まったかのような体感。まるで水の中へと、深く沈み込んでいくような没入感。長く間延びした呼吸音は静かな寝息に似ているのに、心臓は破裂しそうなぐらい慌ただしい。


 極限の集中によって散大した瞳が、ヴェクターの細部までも徹底的に捉えていた。駆動部の僅かな動きすらイザヤの目にはハッキリと見える。


 冷たい覚醒状態にある脳波がCPUを走り、M.S.S――マスター・スレイブ・システムのモーション・トレースがA.U.Gを機械から逸脱した滑らかさで追従させる。


 ライフルのグリップを離す。同時に拳を握り硬めると、それに合わせてフィストガードが滑り出してくる。損壊したジョイントが萎えないようにアンカーを打ち出し、腰部のランチャーもパージして駆動部の範囲を最大まで拡げる動作は一瞬だった。


 A.U.Gの動作性能を構成する複合繊維――クロッシング・ファイバーの束は、強靭な粘りを発露して恐るべき力を拳に乗せる。起死回生の一撃を放つために。


 接触。強烈な激突。衝撃が轟音と共に爆風を生み、周囲の瓦礫を吹き飛ばす――そこに、A.U.Gの部品群が混じる。


 モチヅキの腕部はぐちゃぐちゃに捻くれ、損壊した部品が宙を舞い、千切れた腕部の断面からは複合繊維が踊って潤滑液を撒き散らした。限界に達した駆動部のジョイントはひび割れながら崩壊し、機体は沈み込むように倒れる。


 その側をヴェクターが粉塵を巻き上げながら転がり、瓦礫の山に突っ込んで止まった。その装甲は陥没して歪み、衝撃に変形して、へし折れた各所からは内蔵機器が飛び出している。


 薄れた意識。強烈なフィードバックに痺れた身体。それでもイザヤはヴェクターの姿をじっと見ていた。インターフェース越しではなく、露出した胸部のコックピットから生身の眼で。


 何の音も聞こえない。鼓動が痛いくらいに激しい。暗く翳った視界は不安定に揺れていて、重苦しかった。


 身体の自制が効かない。思わずぐらりと傾くと、半壊したヘッドカムがずり落ちて瓦礫の上で跳ねていった。


 衝突の勢いに引き千切られてズタズタになったコネクティブル・ジャケットが、もの悲しくはためく。それは、もう何も出来ないという訴えているかの様だった。


 モチヅキは完全に機能停止した。機体のほぼ半分が吹き飛んで、パイロットを保護する格納機能すら放棄している。たったの一歩ですらもう踏み出すことは出来ない。


 ヴェクターも同じく沈黙。しかし、自壊の兆候は見られず、それは完全な破壊が出来ていない事を意味している。


 けれど、自己修復する必要がある以上は無力化しているも同然だ。恐ろしくしぶといだけで、ヴェクターは絶望するほど頑強な訳じゃない。


 撃退の感慨もなく、イザヤはささくれた神経の興奮に喘ぎ、身体中の痛みに耐えた。ふと、右手足が動かないのを感じ、ぼやけた視界でその箇所を見る。


 ──手足が無くなっていた。赤黒く焼けた断面には血が滲んでいて、ほとんどが炭化すらしている。


 まるでチョコレートケーキだな、と自嘲の乾いた笑みを浮かべ、喪失の嗚咽を静かに溢した。


 不思議と強烈な痛みは無かった。インジェクションがまだ僅かな効力をもたらしているのだろうか。それとも神経がイカれてしまったのだろうか。


 ただ、彼が泣いている理由は、欠損の恐怖ではなく、アンリと手を繋ぐことも、一緒に遊び出歩く事も、もう出来なくなってしまったからだ。


 まだ十代の前半でしかない子供の身体。そこに刻まれたのは、目を覆いたくなるほど凄惨な傷だった。


 これでもアンリは変わらずに話し掛けてくれるだろうか。この惨めな姿を嫌ったりしないだろうか。彼女に距離を置かれてしまう不安だけがイザヤを苦しめた。


 馬鹿だな、アンリはそんな子じゃないだろ。きっと自分よりも悲しんでくれるさ。


 そう自分自身を叱りつけて、やっぱりお前は彼女を泣かせるんだなと気落ちした。


 拭えない不安感。アンリにたまらなく会いたかった。会って確かめたかった。嫌われていないと、こんな姿になっても変わらずに接してくれると実感したかった。


 何度も約束を破って、ボロボロになって、会うたびに悲しませて――その度に嫌われてしまったんじゃないかと怯えるくせに、虚勢を張って格好つけた。何時も許してくれる彼女に甘えていた。


『大丈夫だよね』と気遣ってくれたのを曖昧に頷いて、無駄に心配かけさせるばかりだった。けれど、今回は素直に言える。もう、普通には生きていけないと自分でも解るから。


 思いっきり泣かせてしまうだろうな。もし、そうなったのなら、次こそちゃんと反省しよう。沢山怒られて素直になろう。やり直すんだ。生まれ変わるように。


 モチヅキはもう動かない。この姿で帰らなくちゃいけない。立つ足も支える手も、もう無いけれど、這いずることぐらいは出来る。結構大変だろうなと、ぼんやり思った。


 イザヤは限界を越えた身体をどうにか動かそうと頑張った。片手、片足では立つことすら儘ならない。コックピットから降りようともがいては、鈍い痛みに息を切らし、血を吐いた。


 彼は生きようとしている。どんなに無様でも帰ろとしている。死ぬよりはずっとましだと自分に言い聞かせながら。


 ――ふいに瓦礫の崩れる音。虚ろな瞳に撃破したヴェクターの姿を映した。歪んだ装甲に、そこから露出した機器群。とても動けそうにないその姿を。


 それらが蠢いていた。生物が自分の機能を確かめるように。


 正確にはヴェクターが周囲の物質を取り込み、自身を修復しつつ、その整合性を取るたの反応だった。


 噴出していた白銀の体液が凍り付いた様に静止し、電気的な信号を受けて複雑な変形を繰り返しながら装甲下へ潜り込んでいく。極めて小さな集積回路の群体が、主局の命令を忠実に果たすために。


 A.U.Gに似た深紅のツインアイが、禍々しい敵意の光を灯す。あまりにも早すぎる自己修復――いや、再起動だった。その機能が冠するのは絶望という言葉。


 予想外の事態だった。モチヅキはもう動かない。イザヤの身体はもう動けない。ただ翳りが強まっていく視界に、瓦礫を押し上げながら膝立ちをするヴェクターを収めるしかなかった。


 胸部の装甲板が開く。そこまでA.U.Gに似せているのかと関心してしまった。底無しの敵意が鏡映しになって現れたんだとすら思った。


 せり出してくるコックピット。A.U.Gにそっくりな内装。そして、其処に座る人型の何か。


 白銀のフルフェイス・ヘッドカムとケーブルだらけのコネクティブル・ジャケット。そして、その手に握られた銃。人類の技術である筈の品々。


 偏執的な憎悪。ヴェクターに感情の有無があるのかは確かめられていないけれど、向けられた銃口には紛れもない殺意があった。


 まさか、あれは人を真似ているんだろうか。あのA.U.Gに似たヴェクターに乗っていたのは、人型のヴェクターだなんて――。


 ぞっとする閃きがあった。塞がりかけていた眼を見開いて敵を確かに収める。


 違う――。自分と同じ種類の生命体だ――。


 何故。


 何故、どうして、こんなことを。


 暗さを増していく世界の中で、イザヤは呻いた。


 どうしてこんな事をするんだ。同じ人間に殺されるなんて。こんな理不尽があるなんて。


 声を上げようとしたが、ひきつった喉は血を押し上げるばかりで、何も言えなかった。虚ろな色をした目から涙を溢し、抵抗しようともがいても、動き様がなかった。手と足を喪ってしまっては。


 帰りたい。


 帰りたい。それだけなんだ。やり直したいんだ。何もかも。


 アンリに。


 アンリにたまらなく会いたかった。


 会いたいんだ。彼女に。それだけで良いんだ。


 俺はアンリに――謝らなくちゃいけないんだ――。


 緩やかに流れたほんの数秒は終わらない悪夢のように長く、イザヤの目に焼き付いた。トリガーを絞る指先も、銃火の瞬きも、真っ直ぐに進んでくる弾丸すらはっきりと見えていた。


 衝撃が抜ける。身体が跳ね上がって空を仰ぐ。外気を遮断するプレートの人工的な輝きだけが、ひたすら眩しかった。


 翳っていた視界は光に溢れ、白んでいく。


 温かいとすら感じるその眩さ。それは、彼女の笑顔を思い起こさせた。


 揺れる黒髪と、溌剌とした瞳の輝き。少年が愛し、再開を願った少女の姿。


 オイガミ・イザヤの最後の意識は、心から想っている少女、イスルギ・アンリの笑顔に満ち溢れていた。

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