15-3 爆発の行く末

 皇太子の屋敷から暁家の屋敷へと必死で馬を走らせていた金牙は現在、屋敷へと通じる森の中にいた。荒い呼吸を繰り返し、頬を桃色に染め、流れ落ちる汗もそのままに。目的のためだけに山道を急ぐ。そのすぐ後ろには、ぐったりとした銀牙が乗せられている。


 その時だった。遠くから爆音が聞こえてくる。突然響いたけたたましい破裂音に驚き、馬が立ち止まって動かなくなった。馬の背を優しく撫で、声をかけ、どうにか落ち着かせようとする。馬が驚いた原因を知ろうと異音のした方向を見た彼は、言葉を失った。


 その視界に映るは実物より小さい暁家の屋敷。その最上階が突然屋根ごと吹き飛んだのだ。屋敷を構成していた壁や屋根が瓦礫がれきとなって地面に落ちていく。音とその目に映った光景を知れば、何が起きたのか察しがつく。


(おそらく爆弾だな。吹き飛んだのは三階……書斎か。屋敷で、何が起きているんだ。ダン様は、アルは、無事なのか?)


 声は音となって口から零れてはくれなかった。代わりに胸中で、言えなかった言葉を紡ぐ。身体の芯が冷える感覚と、胸がざわつく感じがした。 突如現れた虚無感が頭を支配していく。冷静さを保つために、金牙は自らの頬を力一杯抓る。頬に走る痛みが、不安に占領されそうな心を繋ぎとめてくれる。


「金牙。今の、音……」

「大丈夫だ。アルがいる。僕達が信じないでどうする。とりあえず、急ぐ。お前はしっかり掴まっていろ」

「御意、です」


 この爆発音に、銀牙の怪我を気遣う余裕はなくなった。馬が落ち着きを取り戻したことを知ると、すぐさま馬を急かす。それまでは銀牙に負担をかけないようにと、移動速度を調節していた。しかし屋敷の三階が爆発した今、そのような余裕はない。


 銀牙が金牙の腹部に手を回し、背後から抱きつく形となる。背中には、銀牙の温もりを感じた。それを確認した金牙は、鋭い目つきで先の道のりを捉える。お願いだから無事でいてくれ。頼むから誰も死なないでくれ。今の金牙には、そう願いながら馬を急かすことしか出来ない。馬に揺られ、金髪と銀髪が宙を舞い踊る――。





 ラクイア西部に位置する森。その全域に響いた爆発音。雷のような轟音の出処である暁家の屋敷では、朝から続いていた戦いがいよいよ終わりを告げようとしていた。


 敷地を囲う壁の中、屋敷のすぐ近くにある中庭。そこには、爆発から逃れるべく三階から飛び降りてきた者達の姿があった。投げ飛ばされたテミン、アルウィスに背負われる形で落下したダン、鉤縄を駆使して安全に地上へと降り立った虹牙こうが海亞かいあ。澄んだ青空の下で、五人は生きて呼吸をしている。


 幸いなことに、彼らが落ちたのは中庭の柔らかい芝の上であった。まず最初に芝の上に落ちてきたのはテミンだ。痛みに悶絶して動けなくなっていたテミンは、投げ飛ばされると同時に歯を食いしばった。空中で体勢が少し変わり、左腕から横向きに落下。その拍子に左腕の骨を折ってしまう。


 次に落ちてきたのは海亞と虹牙の女性二人。鉤縄を伝って怪我なく地上に到達した二人には休む間がない。頭上から落ちてくる瓦礫に気付き、二人がかりでテミンの身体を動かしていく。その後、海亞は応急処置を担当し、虹牙は援軍を呼ぶべく屋敷の中へと駆けて行った。


 最後に落ちてきたのはアルウィスと彼に背負われたままのダン。アルウィスが両足で着地し、そのまま身体を回転させつつ膝から倒れていく。しかしすぐにいつも通りに動くことは叶わず、ダンだけをその場から逃がすことになった。


 頭上からは屋敷を構成していた瓦やレンガ、ガラス片、などが落ちてくる。ダンとアルウィスが地面に降り立った際には既に屋敷の残骸が中庭のあちこちに散らばっており、早急にその場から避難することを求められていた。


 幸いにも無傷で逃げることの出来たダンが、持ち歩いていた小盾を構えることで瓦礫から身を守る。アルウィスは器用に腕の力だけで芝の上を転がり回る。そうすることで瓦礫をかわしつつ、瓦礫が飛んでこない場所への移動を試みているのだ。ダンのことを気遣う余裕はなく、険しい表情が状況の悪さを物語っている。



 瓦礫の雨が落ち着いたのは、爆発音がしてから十数分後のことだった。その間、瓦礫を避けるためにと動き続けていたせいか、アルウィスの腕は鉄のように重い。彼は芝の上で寝転がっており、その周りには大小様々な落下物が散らばっている。


 銀色の双眸そうぼうが確認できる範囲には、人は二人しかいない。地面に転がったままの中年男性と、その男性を介抱する青髪の女性。状況から考えて、テミンと海亞以外には考えられなかった。虹牙はもちろんのこと、護衛対象であるダンの姿も見えない。





 アルウィスは左足に鋭い痛みを感じた。なんとか上体を起こして痛みの出どころを探せば、ぱっくりと開いた左太ももの皮膚と、そこから流れ出る鮮血が目に入る。その傷は、エントランスでの戦いで負ったもので、先程まで出血がおさまっていた。どうやら飛び降りの衝撃で傷口が開いたようだ。


 ダンの姿を探そうと、上体を起こしたまま首を回す。やはりダンと思わしき白人少年の姿はない。その代わり、駆け足で近寄ってくる白人男性を見つけた。炎のように赤い髪と瞳、大柄で筋肉質な身体。その背にトレードマークの大剣こそないが、間違いなく屋敷のエントランスで共に戦っていたリアンである。


 リアンは駆け寄るとまず、左太ももの傷の手当を行う。手当と言っても、ガーゼをあててその上に包帯を巻く、という簡易的なもの。ガーゼはすぐに鮮やかな赤色に染まり、包帯に血が滲み始める。手当を行うリアンを見て、アルウィスの頬が僅かに緩んだ。


「手当完了じゃん。とりあえず、中に連れてくじゃん」

「中、は?」

「安心しろ。今指揮を取ってんのは俺の親父じゃん? 裏切らないから安心するじゃん」

「……『じゃん』が、うる、さい」

「そういうこと言えるなら、一安心じゃん」


 リアンがアルウィスの横でしゃがみこむ。アルウィスの両腕を自らの肩に乗せると、その両手を軽く組ませた。そのままゆっくりと立ち上がり、アルウィスの足に自らの腕を絡ませる。涼しい顔でアルウィスを背負うと、屋敷入口に向かって歩き始めた。


「皇帝様、は、どこ?」

「屋敷の中じゃん。虹牙と親父が守ってる。とりあえずエントランスに連れてくじゃん」

「そっちは、どう、なった?」

「こっちは落ち着いたじゃん。数える程しか、残んなかったけどな。ま、命があっただけマシじゃん」

「そうか。終わった、か」


 リアンからの報告に安心したのか、銀色の瞳がゆっくりと閉じていく。リアンの肩に、その頭部が落ちていく。しかし寝ようとしてはハッと我に返り、怯えたように首を左右に動かして警戒を行う。それは、彼の今までの生活で染み付いた癖なのだろう。


 リアンも、今まで何が起きたのかを聞こうとはしなかった。先ほど何が起きたかも、アルウィスに確認しようとは思っていない。優先すべきは最大の戦力であるアルウィスの治療と、テミンの応急処置であるからだ。戦いの後処理もまだ残っている。無駄話に割くような時間は残されていない。


「寝ちまえ。今のうちに、少しでも寝て、身体を休めろ」


 かけられた優しい言葉は温かい響きを持っていた。声に従い、アルウィスは睡魔に身を委ねる。そのまままぶたを閉じて、リアンの肩に頭を乗せた。





 敵の放った爆弾によりあっけなく崩れてしまった屋敷の三階部分。被害は三階全域に留まらず、瓦屋根や二階の一部にまで及んでいた。廊下と三階へと通じる階段はかろうじて形を保っているが、悲惨な現実が広がっていた。


 書斎の出入口を塞いでいた武芸者達はその二割がテミン、海亞、アルウィスの三人によって殺害。死体はそのまま爆発に巻き込まれ、階下へと落ちていった。残る八割は爆風や瓦礫の影響により重死傷を負っている。こちらはそのほとんどが廊下に横たわっている。


 階段を上がって三階に足を踏み入れればそこには、爆発の痕跡が強く残っていた。破壊されて形を失くした壁や窓。廊下に散らばった瓦礫、砂煙が視界を曇らせる。その中から血液独特の臭いと火薬の臭いがした。口元を覆わなければ咳き込んでしまう。


 廊下には武芸者達が折り重なるように倒れている。重度な火傷を負って呻き声を上げる者。爆風に乗って飛んできた瓦礫により負傷し、大量出血をしている者。頭上から落ちてきた瓦礫の下敷きとなって原形を留めていない者。さらには頭から足先まで全身を炭のように黒くして、息の止まった者までいる。


 書斎を襲ったとされる武芸者は約五十名。彼らは皆アウテリート家に仕える戦闘員であり、その半数以上が先の爆発やテミン達の攻撃により死亡。生き残った者達も爆音で耳がやられ、身体には火傷や裂傷を負い、無事と呼べる者は一人もいない。


 そんな彼らの生死を確かめて拘束していくのは、裏切らなかったアウテリート家の戦闘員七名だった。皮肉にも、彼らが確認を行っているのは、前日まで共に寝食を共にしていた仲間達。一人、また一人。廊下に転がる死体の顔を見ては、彼らの顔が曇っていく。やがて嗚咽おえつする音が廊下に響くようになる。


「なぜあの者達は、あそこまでして我を殺そうとしたのじゃ?」


 その惨劇を目の当たりにしたダンが問うたのは、ダンの隣に立っていた海亞だ。何が起きたのかをこの目で確かめたい。そう訴えるダンに根負けした海亞が、自らが守ることを条件に、共に三階の様子を見に来たのだ。


 場にそぐわないダンの白髪はやけに目立った。涙を零すまいと必死に下唇を噛み締めている。涙を誤魔化そうと頭上に目を向ければ、そこには青空が広がっていた。天井も屋根も、先の爆発で破壊されてしまったのだ。その現実を改めて痛感して、再びその目が潤み始める。


「下の者は、上の者に逆らえません。逆らうことは死を意味します。断れなかったのでしょう。どうせ死ぬのなら、任務で死んだ方が、は守られます」

「こんなの……こんなの、ただの無駄死にではないか! ただの、捨て駒ではないか」

「捨て駒と知っても、無駄死にであっても、それでも戦うしか選択肢がない。戦闘員は、そういうものなんです。私達だって、『戦闘貴族』だなんて役職を貰っても、結局は同じ戦闘員。皇帝様が同じことを望めば、同じように行動したと思います」


 海亞の顔から乾いた笑みが零れた。長い青髪の下から時折顔を覗かせる瞳は、ダン同様に潤んでいる。作り笑いはすぐさま真顔になり、憂い帯びた表情へと変化していく。力強い眼差しが裏切り者達の行く末をしっかりと捉え、その最期を脳裏に刻みつける。





 海亞の言葉を聞いたダンは、自然と右手を左腰に伸ばした。そこにあるのは、護身用にとテミンから購入した剣。左手を右肘に伸ばせば、同じく護身用にと購入した小盾に触れる。硬く冷たい金属の質感に背筋がゾクリと震えた。


 彼は、暁の屋敷に来てから初めて武芸に触れた。今でも武器を手に取るのに抵抗がある。これまで、彼が戦わずともアルウィスなどが守ってくれていた。武芸を知った今だからこそ、戦闘員と自分との違いを改めて感じる。


 戦闘員は常に生死の危機に直面している。命を危険に晒してまで戦い、ある時は誰かを貶めるために、ある時は誰かを守るために戦う。仕えている者の指示に従って戦うことで生きている。それは、これまで彼を守ってくれていたアルウィスも同じ。


「戦闘員というのは辛いものじゃな」

「ダン様?」

「捨て駒になろうと、反逆罪で捕まろうと、上の者が指示を出せば戦わねばならぬ。命を賭けねばならぬ。そんなの……奴隷と同じではないか!」


 ダンの口から勢いよく飛び出したその言葉は、三階によく響いた。発言の内容のせいか、声の大きさのせいか、彼に視線が集まる。言わんとすることは、その場にいる誰もが理解出来た。


 命令に逆らえない、生きるために逃げることを認められない。しかし奴隷と違い、人並みに暮らせる程度の賃金と、場合によっては衣食住が保証されている。白人であれば暴言を吐かれることはなく、傷を負うのも戦闘時だけ。それでも、そんな並の戦闘員でも、ダンの目には「奴隷と同じ扱い」に見えてしまう。


「ダン様。もし、戦闘員の宿命を変えられたいのであれば、是非、今を生き延びて下さい。生き延びて、次の皇帝となって下さい。そしてダン様が、このハベルトを変えてください」


 ハベルトで現在の体制を変えられるのは皇帝だけだ。ハベルトでは皇帝が最も大きな権力を持ち、政治家達はあくまで皇帝の補佐でしかない。無論、体制を変えただけで世間の認識が変わることはない。戦闘員の宿命を変えるまでにどれほどの時間がかかることか。それは誰にもわからない、答えのない改革だ。


「それが民のためとあらば、善処しよう」


 戦闘員の宿命を変えることは、ハベルトという国家体制そのものを変えることに等しい。というのも、ハベルトという国は戦闘員、武芸者に一定の地位を保証することで成り立っているから。それでも、その道にどれほどの困難があろうとも、必ず成し遂げる。そう、ダンは焼死体の前で空に誓うのであった。

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