15-2 裏切り者は三階に

 左右の壁に並んだいくつもの本棚には数え切れないほどの蔵書が並んでいる。奥行の広い部屋には、手前に人を歓迎するためのソファとテーブルが、奥に金牙きんがが作業を行うための机と椅子が、それぞれ配置されている。


 部屋の最奥には外の景色を映す窓が一つ。左奥にはプライベートルームへと通じる扉が、本棚の影に隠されるように存在していた。この奥行の長い部屋こそが金牙の書斎である。


 今、書斎にはダン、虹牙こうが、テミン、海亞かいあの四人だけがいた。他に味方の姿はない。本来であれば味方の武芸者がいるはずなのだが、彼らは姿を現さなかった。代わりに姿を現したのは、額に白い布を巻き付けた敵の武芸者達。予期せぬ敵の襲来に、書斎は混乱に包まれていた。


「やはり、こうなったわね」

「ある意味想定内だな。海亞、戦えるか?」

「もちろん。私を誰だと思ってますの? 私は、イ家当主テミンの妻となる女よ!」

「そうだったな。そりゃ心強い。そんじゃ奥さん、今日は俺と一緒に戦いませんか?」

「喜んでお受けします、旦那様」


 書斎にはすでに何名かの武芸者が入り込んでいる。武器を構えた彼らは皆、戦闘貴族アウテリート家当主リアンの部下としてやってきた、味方だったはずの武芸者だ。敵が武器を構える姿を見ても、ダンの護衛を担当する海亞とテミンは冷静だった。


 まるで社交の場でダンスにでも誘うかのように優雅に戦いへと誘うテミン。そしてそれに笑顔で応じる海亞。テミンはそんな海亞と背中合わせになって剣を構える。その余裕は、敵がダンを狙うのに躊躇っている様子を見せているからこそ出来たものだ。


 リアンの呼び声を聞いても無視して書斎から動かない武芸者達。しかし条件反射なのか、誰もがリアンの声に口を開く。そして喉まで出かかった呼応する咆哮ほうこうを、涙ながらに飲み込む。望む望まぬに関わらず、上からの命令であれば戦わなければならない。それがこの国の戦闘員である。


 書斎を訪れた武芸者達を見れば、望まぬ指示であるのは誰の目にも明らかだ。リアンの咆哮に体を外に向けようとする。頬を伝う涙も、震える手で構えた武器も、重々しい足取りも、戦い慣れた者には相応しくない。


 あからさまな隙を見せる武芸者達を目の前に、海亞は奇妙な武器を取り出した。金属性の長い筒に持ち手が付いた、細長いシルエットの武器――銃である。すでに弾が装填されているらしく、銃口を武芸者達に向け、引き金に手をかける。漆黒の銃身にかかる白く細長い指が遠目からもはっきりと見えた。


「お、その銃、使ってくれてんの?」

「つ、使いやすいからです。決してテミンがくれたからじゃありません! もう、本当に緊張感がない人」

「それはこの間手に入ったばかりの武器だからな。存分に使って威力を示してくれ」

「当たり前です! テミンこそ、結婚前に死なないでくださいよ?」

「おいおい、縁起でもないこと言うなって。俺がそんな簡単に死ぬと思うか?」


 戦場においても二人が普段と変わらない会話を続けてる理由。それは敵の注意を自分達に向けるためであり、敵の動きを様子見するため。テミンは鋭い目付きで武芸者達をにらみつけることで、海亞は銃口を向けることで、それぞれ敵の動きを牽制している。





 テミンと海亞が話してる間にも武芸者の数が増えていく。他の階にいた者が合流したのだろう。ついに約五十名の武芸者が書斎の入口を塞ぐ形で集まり、その数の増加を止めた。これ以上敵が増えそうにないと判断した二人はようやく行動を開始する。


 書斎の入口に集まっているのは何か策があってのことなのか、二人を警戒してなのか。敵が一つの塊を形成しているのは、テミン達にとっては都合の良いことだった。テミンは大きく息を吸い込むと、床を力一杯蹴りつける。そのまま敵陣に突進し、手に握った剣を振り回した。刃が人の皮膚を裂く度に血が舞い、刃が赤く染まる。


 海亞はテミンの方を見つつも、扉の向かい側にある窓を警戒。外からの襲撃にも備える。テミンが戦い始めてから五分、海亞の体感時間では一時間が経過した頃。突如、銃声が書斎に響き渡った。音は書斎の入口付近から聞こえた。銃弾が窓側の壁に埋まっている。


 聞き慣れない、パンという大きな破裂音にその場にいたほとんどの者が動きを止める。書斎入口から漂う硝煙の匂いに、武芸者の群れが揃って咳込んだ。敵陣の中でただ一人、テミンだけが咄嗟に左腕で口を抑えていたため、まともに動ける。


「テミン。これは新しい武器なのでしょう?」

「ああ。少なくとも、これは……俺の、販売した……武器じゃ、ねぇ!」


 銃発射の音と匂いに慣れていない武芸者達が皆、混乱して動けなくなっている。この好機を逃すわけにはいかなかった。テミンは海亞に答えながらも、敵が体勢を立て直す前にと一心不乱に剣を振るう。雑な剣さばきで武芸者の身体を床や壁に叩きつける。


 時折太い木の枝が折れるような音と人の呻き声がした。攻防全てを一本の剣で行っているためか、一時間も経過していないというのに、その剣身は欠け始めていた。身体を動かす合間合間に聞こえるテミンの息遣いは荒い。彼の喉が笛のような甲高い音を立てる。


 テミンが敵を惹きつけている間に、海亞の濃い青色の目が銃弾を放った敵を探し始める。時折、書斎奥にある机の下に隠れているダンと虹牙の様子を見ることも忘れない。テミンが少しとはいえ敵の数を減らしたため、敵一人一人の持っている武器がある程度ならわかるようになっている。


 問題の武芸者はすぐに見つかった。銃の扱いに慣れてないのか、発射の反動で両手が痺れて動かせないようだ。どうやら今の攻撃も、扱い慣れてないために逸れたらしい。本来の主力武器は今扱っている銃ではないのだろう。わざわざ慣れない武器を扱わせることに違和感を覚える。


(この人たち、主力戦力じゃないわ。主力は別に向かってる。きっと、宮殿に)


 襲撃人数も想定していたほど多くない。外から攻めてきた者より、リアンの部下として元々屋敷内にいた者の方が多いはずだ。それらが示すのは、皇太子派が一番戦力を割いた場所である。そう海亞が気付くのに時間はかからない。


 金牙は、皇太子派が一番に戦力を割くのは「神の眼」であると考えた。だがその考えが読まれていたのか、金牙の読みが外れたのか。今回の暴動で皇太子派が一番に戦力を割いたのは、宮殿のようだ。その証拠に、皇太子派の主力戦力であるいくさ奴隷どれいの姿が見えない。


 宮殿にはクライアス家の部下とテミンの部下達がいる。クライアス家当主のフィール、フィールの従者である神威かむいは皇帝の近くで最後の守りを担当する手筈になっている。皇太子派の主力戦力が宮殿に向かったのであれば、防衛するには人が足りないだろう。





 皇太子は金牙の考えを読んでいたのだろうか。宮殿と暁家の屋敷に狙いを定めたのは事実だが、皇帝派の戦力が手薄な宮殿を狙った。金牙の読みを外すことで皇帝のいる宮殿の警備を緩めたようだ。そしておそらく、皇太子は自らが拒絶していた有色人種と行動を共にしている。


 皇太子が反乱を起こし、皇帝の命を狙う。皇帝が死んでしまえば、次期皇帝は皇太子だ。だが、わざわざこのような暴動を起こしてまでして皇位就任を急ぐ必要はない。反乱が失敗した時の損害が大きく、彼自身も命の危険を伴うからだ。


 逆に、もう一つの可能性が頭を過ぎる。皇太子に密かに投与した薬のおかげで、彼はまともな思考回路を失っているのではないかという可能性だ。もしそうであれば、ひとまずフィールの作戦が成功したことになる。警戒しながらも敵の動きを考えていた海亞が、思考を現実に引き戻す。


(銃を扱うのはあの者だけ、ですわね)


 海亞は銃を構え、テミンの動きを見極めながらもその引き金を動かした。漆黒の銃が乾いた音を立てる。銃口からゆらゆらと煙が上がり、周りの景色に溶け込んでいく。その直後、銃声が書斎に響く。慣れない音に驚いたダンが甲高い奇声を上げた。


 海亞の直後に銃弾を放ったのは、敵の武芸者だった。敵の動作を間近で見ていたテミンはその狙いに気付き、攻撃の手を緩める。すぐさま弾道上に移動し、身体を使って銃弾を止めようとしているのだ。海亞の放った銃弾が敵の狙撃手に命中するのと、敵の放った銃弾がテミンに命中するのは同じだった。


 テミンの身体が床に崩れ落ちていく。そのタイミングを見計らっていたのか、誰かが書斎に向かって何かを転がした。ゴロリと音を立てて転がるそれは、人の頭とそう変わらない大きさを誇る黒い球体である。その一部からは導火線が飛び出ており、既にそこには火がついている。書斎に転がり入れられたのは爆弾であった。


 導火線の残りの長さから考えて、逃げる余裕はない。残された時間は一分もあるかないか。敵もそれがわかっているのだろう。彼らはとうに各々の命を諦め、ダン達四人を書斎から逃がさないようにとその入口を全身を使って塞いでいる。ダン達と共にこの場で爆発に巻き込まれるつもりなのだ。


 潰れた弾丸が音を立てて床に落ちた。テミンの白い手がゆっくりと動き、撃たれた場所を抑える。着ていた布製の衣には穴が空いていた。だが穴の奥にはにびいろの金属が見え隠れし、血の色は見えない。どうやら放たれた銃弾は服の下に仕込んでいたあるものによって弾かれたようだ。


 テミンが仕込んでいたのは最新のくさり帷子かたびら。造りこそがそれほど丈夫でないが、斬撃はもちろんのこと銃弾二発程度なら防いでくれる優れものである。しかし、防ぐと言っても衝撃全てを無にできる訳では無い。銃弾に当たれば痛みを感じ、場所が悪ければ骨折や内出血をしてしまう。


 テミンが銃弾を喰らったのは腹部だった。もし銃弾が貫通していれば、出血多量により致命傷となっていたであろう。無傷ではあるが、銃弾をその身に受けた痛みに悶絶。気絶まではしないが、身体に伝わった衝撃のあまり、その場で転げ回ることしか出来ない。爆弾が倒れたテミンの目の前に転がってきたが、もはや逃げる体力は残されていなかった。


 書斎は屋敷の三階にある。ここから上手く飛び降りれば無傷や軽傷、悪くても骨折で済むだろう。しかし打ち所が悪ければ重傷になる。さらに言えば、着地したとしても動けなれば落ちてくるであろう瓦礫がれきからは逃れられない。導火線に灯された炎だけが淡々と爆発との距離を縮めていく。






 爆弾が書斎に放り込まれるのと同時に、海亞の銃弾が敵の眉間に命中。一瞬にしてその命を奪い去る。しかしテミンという主力戦力が倒れた今、海亞の放った敵の隙を作る一撃は意味を為さない。テミンの元へ駆け寄ろうとした彼女の瞳が、遠くからやってくる誰かの足音に反応して大きく見開かれた。


 銃声と硝煙特有の臭い、そして書斎の中に僅かながらも漂う煙。それらに武芸者達が気を取られている。その時だ。海亞の作り出した一瞬の隙を突いて、廊下にうごめく数十の人々の群れをすり抜けて書斎に飛び込む者がいた。


 白人が多い中で際立つ黒褐色の肌。金属光沢を放つ銀色の双眸そうぼう。そして、外巻きの明るい金髪。肩を上下させながらも書斎の中央まで移動し、周囲の状況を確認。導火線に火のついた爆弾に気付いた途端、目の色が変わる。


「皇帝様を、殺す気か!」


 思わず耳を覆いたくなるほどの大きな声に、敵味方問わず面食らう。骨太の声と口調、ダンの呼び方。それらから、やってきた人物が誰なのかがわかる。「神の眼」を持つ暁家の武芸者、アルウィスだ。



 お世辞にも大きいとは言えない平凡な体格のアルウィス。彼は爆弾に気付くや否や、手早くテミンの胸ぐらを掴んだ。そのまま腕を使ってテミンの身体を少し浮かせると、自らより大柄なテミンの下に身体をねじ込ませた。そのままどうにか背中にテミンを乗せ、唸り声を上げながら書斎奥へと走っていく。


 書斎奥には金牙専用の机があり、その背後には大きな窓がある。アルウィスはそこに狙いを定めた。窓ガラスと一定の距離を置くと、左足に全体重を乗せる。次の瞬間、テミンの身体を背負い投げの要領で窓に向けて投げ飛ばした。窓ガラスが派手な音を立てて割れ、テミンの身体が三階から地面へと落ちていく。しかしそこに驚く時間はない。


 海亞はすぐさまその意図を理解。懐からかぎなわを取り出して窓枠に引っ掛け、縄伝いに素早く地面へと降りていく。その間に、アルウィスは書斎奥にある机の下を覗いた。そこには、身を隠して両耳を塞ぎ怯えるダンの姿と、眉ひとつ動かさない虹牙の姿がある。


 事情を説明する時間はなかった。右手で虹牙を窓に誘導し、鉤縄を掴ませる。左手でダンの身体を引きずり出すと、急いで背負い、自らの肩を掴ませた。遠目に爆弾を確認すれば、導火線はほとんど残っていない。


 生きるか死ぬかの危機に、アルウィスは無謀な賭けに出た。ダンを背負ったまま、縄を使わずに窓から飛び降りたのだ。アルウィスとダンの身体が宙を舞った瞬間、大きな爆発音が屋敷中に響いた。

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