8-3 守るための代償

 時を遡ること数分。それは金牙きんが達が会議室で話している時に起きた出来事だった。


 食堂は三方を白壁に囲まれた空間に、長テーブルと椅子を複数配置されただけの簡素な作り。食堂の南方だけは白壁ではなく窓が、屋敷と外を仕切っている。そんな食堂でダン、アルウィス、神威かむいの三人は大人しく椅子に座っていた。しかし平和はいつまでも続かない。最初に動いたのは神威である。


「上だ!」


 神威の叫び声と同時に二つの人影が天井から降りて来る。人影が着地したのは、幸か不幸か三人が待機しているテーブルの上だった。現れた人影は黒い忍び装束に身を包み、首と顔の下半分はマフラーのような黒く細長い布で覆われている。俗に言う「忍」である。


 アルウィスは、忍が天井から降りてくるのに気付くとすぐさま動き始めた。しかし、忍の襲来に気付くのが遅れ、ダンを守るための移動が間に合わない。二人の忍が隠し持っていた小刀をダン目掛けて振り下ろす。その二本の小刀を受け止めたのは、一本の刀を持つだった。


 忍の攻撃を受け止めたのは神威だ。忍の襲来にいち早く気付き、忍が着地する時にはすでに抜刀を行っていたのである。神威が攻撃を止めている間に、アルウィスがダンの腕を掴んで席を立たせた。さらに、そのままダンを連れて忍との距離を広げる。


 その時だった。いつの間にかダンの背後に新たな忍が一人、姿を現す。その手に隠し持っている小刀がダンの首を狙った。小刀があと少しでダンの皮膚に触れるという時に、アルウィスがすんでのところでダンと忍の間に入り込む。それと同時に、アルウィスの顔が苦しそうに歪んだ。


 忍は気配を消すことに長けており、その存在を悟られないように行動する。そのため、扱う武具も小さな暗器の類が多い。ハベルトの忍は、屋敷の天井裏や暖炉の中といった狭い所に入る都合上、刀や槍と言った殺傷力のある大きめの武器を持つことはない。そういった忍の特性から、アルウィスは反応が遅れた。


 アルウィスの左前腕に小刀が深く斬り込む。左腕を盾にしなければ、ダンを守ることが出来なかったのだ。これは言わば、敵の存在を察知するのが遅れた代償。小刀の刃の隙間から赤い血が伝う。腕一本で攻撃を受け止めているのだが、このまま小刀を受け続ければ間違いなく、その刃が骨にまで達する。それをわかっているのに、アルウィスには他の手段が浮かばない。


「皇帝、様。剣、構え、ろ。盾、も」


 ダンが状況を把握するのにしばしの時間を要した。アルウィスがダンに剣と盾を構えることを要求する。それは「いざという時は自分で自分の身を守れ」という意味。ダンを守りきれない可能性があることを示している。暗赤色の血液がじわじわとアルウィスの左腕を伝って床に落ち、血溜まりを作っていく。


 身体に走る激痛を、歯を食いしばってかろうじて耐える。左腕で忍の小刀を受け止めながら、大きく息を吸った。肺に可能な限りの空気を溜め込むと、それを声として一気に吐き出す。


「……皇帝様に! 手を出すな!」


 アルウィスの咆哮ほうこうは、金牙達のいる会議室まで響く。その声量に耳を痛めた忍は、アルウィスの腕に小刀を刺したまま、後退してアルウィスとの距離を取った。神威と対峙している二人の忍もまた、アルウィスの声に耳を痛め、神威との距離を取る。


 その咆哮はアルウィスが今出来る唯一の抵抗だった。声によって会議室にいる味方に危険を知らせる。さらに、大きな声によって食堂にいる忍を怯ませる。場の状況を変え、増援を呼ぶにはこれ以外に術がなかった。何より、アルウィスにはもう





 アルウィスの怪我は重傷だった。小刀とはいえ左腕に深く刺さっている。おそらく刃は、アルウィスの左腕の筋肉まで傷つけているだろう。小刀が刺さったままでなければ、多量出血により動けなくなっていたかもしれない。本来の力を発揮できないのは誰の目にも明らかだった。しかしアルウィスはそれでもまだ、敵と戦う意思を見せる。


 だがその様子は妙だ。忍を追う銀色の双眸そうぼうは虚ろで、光を映していない。ツーっと一筋の涙がその頬を伝った。咆哮後から開いたままの口からは、よだれが垂れる。その目はダンのことを見ようともせず、敵である忍ばかりを追いかけている。ダンを守ることを第一とするアルウィスならば有り得ないことだった。


「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙」


 その身体から、その口から零れたのはアルウィスでもアリシエでもない声。アルウィスほど低くないがアリシエほど高くもない。アルウィスとアリシエの声を混ぜたような、メゾソプラノの声だ。その口から発せられた言葉は「獣の雄叫び」のようだった。その様を例えるなら「」であろう。


 彼の左腕に小刀を刺した忍が、雄叫びに反応して動きを見せる。ダンと狂人となったアルウィス目掛けて、懐に持っていた手裏剣を投げたのだ。アルウィスは足でその軌道を逸らす。だがそれは、ダンを守る為ではなく「忍に向けて手裏剣を弾こうとした」ため。狙いを逸れた手裏剣は、窓ガラスを割って屋敷の外へと飛んでいく。


 手裏剣を蹴飛ばしたアルウィスは、手裏剣を投げてきた忍を見た。その刹那、テーブルを飛び越え、椅子を足蹴りで破壊し、その忍の元へと一直線に駆ける。その速度は、重傷を負った者とは思えないほど速い。そのまま狂人が右拳を放つと、その拳に忍のクナイが深々と刺さる。


 アルウィスはもはやではなかった。両目から涙を流し、口の両端から涎を垂らし、ダンを守るという目的をすっかり忘れてしまっている。一方の神威はというと、二人の忍をたった一人で食い止めている。目の前で繰り広げられる戦闘に、ダンが悲鳴を上げた。





 狂人となったアルウィスは右拳にクナイが刺さったのを見ても動じなかった。痛みを感じないのだろうか。眉一つ動かさずに、そのまま右拳を忍の顔面に押し込む。攻撃を与えることしか考えていないアルウィスを見て、忍がニヤリと笑う。次の瞬間、忍がアルウィスの左前腕に刺さったままだった小刀を無理やり皮膚から外した。


 止血していた小刀が抜かれたことで、アルウィスの左腕から勢いよく血が噴き出した。本来のアルウィスであれば、服を裂くなりして止血措置をしてから戦っていただろう。だが今のアルウィスは違った。左腕から血がとめどなく出ているというのに、それを気にする素振りすら見せないのである。


 忍が小刀でアルウィスの首を狙おうとする。それに気付いたアルウィスは、クナイが刺さったままの右拳を小刀に向ける。その刹那、拳を握る指の間に小刀の刃を受け止めた。指の隙間から床に、鮮血がこぼれ落ちる。


 どれほど怪我を負っても、アルウィスの動きは止まらなかった。小刀を受け止めるとすぐに血の止まらない左腕を動かし、忍の目を指で突いて潰そうとする。忍がしゃがんでそれをかわせば、今度はその下顎したあごを右足で蹴り上げた。反応が遅れた忍は体勢を立て直そうと距離を取るが、その身体はふらついている。


 その隙を逃さずにアルウィスが間合いを一気に詰めた。そのまま素早く忍の左側に回り込むと、そのこめかみ目掛けて小刀とクナイが刺さったままの右拳を振るう――。



 攻撃したのはアルウィスだった。にも関わらず、アルウィスと忍、二人ほぼ同時に床に倒れてしまう。戦いを傍観していたダンは、その光景を見てハッと我に返った。何が起きたのを把握するために、剣と盾を慣れない手つきで構えたまま、アルウィスに近付く。


 右拳にはクナイが刺さり、その中指と人差し指の間には小刀が挟まっている。左前腕には深い斬り傷があり、傷口からは脈を打つように鮮紅色の血が噴き出している。傷の深さは分からないが、このままでは生死に関わるだろう。そう判断したダンは、忍を拘束するより先にアルウィスの左腕を止血することにした。


 アルウィスの服の裾を裂いて、包帯の代わりにすることにした。裂いた布で左の二の腕をキツめに縛り、食堂にある時計で止血の開始時間を確認。その状態で、左前腕の患部が心臓より高い位置に来るように持ち上げる。あとは、薬師くすしでもあるフィールが食堂に来るのを待つしかない。


「ダン様、油断しちゃダメだよ。敵が、気絶したなら、まず、拘束しなきゃ。……って、アル、どうしたの? ひどい、怪我。……わかった。ダン様、そのまま、アルの止血――お願い。三十分に、一回、布紐、緩めて。……拘束は、僕が、やる」


 遠くからダンの様子を見た神威が声をかける。その近くには、顔を赤紫色に腫らし、腕を通常なら有り得ない方向に曲げられた忍が二人。どちらも手足を縄で縛られ、その口には布紐で作られた猿轡さるぐつわを噛まされている。アルウィスが一人の忍と戦っている間に、二人の忍を片付けたようだ。


 だが神威も無傷ではない。まぶたや額からは浅い切り傷からの出血。左腕は刀の鞘を添え木代わりとして、服を裂いて作った布で固定されている。両足には斬り傷を覆う包帯代わりの布が巻かれているのだが、その布は遠くにいるダンの目にもはっきりとわかるほど赤く染まっていた。


「おい、何があったんだ? っておい、アルが倒れてるじゃん。しかもガチで重傷じゃん。神威もアルほどじゃねーけど怪我してるし」


 神威が怪我の痛みを耐えてダンの元へ向こうとした時だ。食堂の扉が勢いよく開いた。それと同時に、大剣を背負う巨体とトレードマークの赤髪が姿を現す。やけに大きな声とその特徴的な見た目が、現れた人物がリアンであることを示している。


「リアン、いい、ところに。敵を、拘束して。アルを、早く、フィール様の、所へ……連れて、いって」

「フィールなら今からくる。それまで耐えるじゃん! とりあえず手足縛って布を噛ませとけばいいよな」


 荒い呼吸で喋るのがやっとの神威。弱々しい声ではあるが、その言葉はしっかりとリアンの耳に届いた。リアンが神威の言葉に反応して忍を拘束し始めると、食堂の外からドタドタと人が階段を駆け下りる音が聴こえてくる。どうやら他の者達も会議室から降りてきたようだ。





 戦闘貴族当主の五人全員が食堂に集まったのは、事が始まってから約十分後のこと。フィールは到着するとすぐにアルウィスと神威の治療を開始。金牙はダンの元に駆け寄った。リアン、テミン、海亞かいあの三人は拘束した忍をどうするか話し合っている。


「あ、アルが、わわ、我を、庇ったのじゃ。じゃが、忍と、い、一緒に、倒れて、しまって、のう。そ、それに……アルは、少し、おお、おかしかったのじゃ」

「おかしい?」

「そ、そうじゃ。け、けけけ、怪我、しても、痛がらずに、動いておったし、途中から、我を、気にしなくなった。いつもの、アルなら、考えられぬことじゃ。途中、けけ、獣みたいな声、出しておった」


 ダンは襲撃の混乱により、青ざめた顔で酷く言葉をつっかえていた。それでもなんとか紡がれた言葉に、金牙の顔が青ざめる。ダンの言葉が意味することに気づいてしまったからだ。ざわざわと妙な胸騒ぎがした。普段と違う態度の話に、金牙の脳裏に「もう一人の人格」という単語が過ぎる。


 アリシエの身体には複数の人格がある。その中でもよく表に出てくるのが「アリシエ」と「アルウィス」。しかしその身体にはもう一つ、アリシエには知らされていない別の人格があるのだという。アルウィスが言うには確か――。


『もう一つは狂った人格だ。何があっても戦う、敵が全滅するまでな。まともな会話は無理。自分の血を見れば暴走してただの殺人鬼になるし、痛み感じねーのか自分傷つけてでも戦う。そんな奴だ』


 自分を傷つけてでも戦い続ける。痛みを感じる様子がない。ダンの語るアルウィスの異変は、かつてアルウィスが伝えてくれた「三人目の人格」の特徴にピタリと当てはまる。金牙は考えられる事実に気付き、身震いした。



 結局その日の襲撃を受けて、金牙達戦闘貴族当主はもう一度話し合うこととなった。さて、襲撃後の当主会談が終わった後のこと。暁家の屋敷の廊下にて話し合う二つの影があった。一人は白髪の男性、フィール。もう一人は青髪の女性、海亞。


「皇太子様は本気だ。今日の襲撃を見てよくわかった。だから決めたよ。作戦を実行する。君はどうする?」

「同じ意見ですわ。金牙には反対されるでしょうが、大丈夫ですの?」

「いいんだ、それで金牙様が笑えるなら。それに、金牙様にはこんなこと、出来ないよ。彼は純粋で甘い。まぁそこがいいんだけど」


 フィールの語る不穏な言葉と、それに応じる海亞。どうやら二人は金牙の作戦とは別に、何かを実行するらしい。その内容は金牙に反対される内容らしいのだが、二人はその全容をこの場で語ろうとしない。


「人は確保出来ましたの? 作戦を実行するには敵側に一人、貴方側に一人、必要ですわ」

「敵側にいる味方なら一人、候補者がいるんだ。近々勧誘しに行くから大丈夫。僕の方も、引継ぎの準備は整ってる。君には……例の件を、頼みたい」

「わかりましたわ。このこと、くれぐれも金牙には悟られないように、気をつけましょう。金牙はあなたが思ってる以上に鋭いですから」

「うん、わかってるよ。すでに感づかれて、さりげなく牽制されたからねぇ。じゃあ海亞、よろしく」


 この二人、どうやら良からぬことを企んでいるようだ。皇太子派に対抗するための策であることから、少なくとも敵対することはないだろう。金牙が事前にフィールに警告していたと言うのに、今、危惧していた事が起ころうとしている。


 二人はその場で密約を交わし、そのまま互いの屋敷へと帰還していった――。

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