シアター

旭 晴人

prologue

 銃口が口をきいているみたいだった。


「君だったのね」


 切なげな言葉とは裏腹に、少女の握る拳銃は真っ直ぐ照準を合わせていた。冷たい兵器を胸の、すぐ触れ合うほど近くに突きつけられて、それでも少年は微笑むだけだった。


 学校の屋上。血を溶かしたような夕空。乾いた突風が、彼女と彼の髪を梳る。


 無機質な銃口の詰問と、二人の対峙が表現する破滅の予兆に、俺は目を奪われていた。


 いつどんな拍子で引き金が引かれ、一度の発破と共に全てが壊れるかわからない、そんな紙一重で釣り合っている天秤のような光景を前に。俺達は黙って行方を見守ることしかできないでいる。


「やっぱり、って顔だね」


「どうして? ずっと騙してたの……?」


 凛としていた少女の表情が、震えてほどけるように崩れた。まなじりから流れてゆっくり頬を伝う透明な雫さえ、彼女の悲壮を、絶望を、思慕を、雄弁に語る。


 胸を傷めずにはいられなかった。


「騙しているつもりはなかった。僕は常に何者かを演じて生きていた気がするんだ。けど……君のことは好きだったよ。たぶん、心から」


「ふざけないで!」


 彼女の叫びが少年の言葉を打ち切らせた。唇をひき結び、滂沱の涙を流して顔を真っ赤に染めた彼女の顔は、それでも美しい。


 垂れかけていた両手に力が蘇り、彼女は再び彼の胸に拳銃を突きつけた。すんでのところで声が出かける。やめろ、と危うく叫ぶところだった。安全装置は、外されている。


「君が、僕を終わらせてくれ。君にしか頼めない」


 ぶるぶるぶるぶる、銃口が小刻みに震える。彼女の激烈なまでの怒り、葛藤、無力感。そして愛が、その場所でせめぎ合っているように見えた。


 爆発に向かうようにエスカレートしていく震えが--ピタリ、と止まった。彼女の表情から一切の迷いが消えた。氷の彫刻を思わせる微笑を浮かべて、彼女は。


 俺は為す術なく、目を剥いて身を乗り出した。


 重苦しい銃声が時を止める。彼の胸を貫いた凶弾は、背を突き破ると鮮やかな彼岸花を咲かせて燃え広がった。


 硬いコンクリートに伏す直前、彼は微笑んでいたように見えた。


「……私も。君のこと、愛してたよ」


 返り血で真紅に染まった拳銃を自らのこめかみに当てた彼女は、両目から一筋の光を垂らして、向日葵のように全力で笑った。


 二度目の銃声が夕暮れの校舎を鮮血で染め上げ、彼女だった体が倒れ。また、乾いた突風。


 そして誰も、いなくなった。














「カーーーーットッ!」



 威勢のいい声と木を打ち鳴らすような快音に、俺たちを包んでいた息の詰まる空間が弾けて消える。


「……あーっ、お疲れ!」


 張りつめていた緊張が解け、音を立ててはならないという禁も解かれると、不必要に声を上げてしまうものだ。俺は大きく伸びをしながら叫んだ。


 同じく撮影を固唾を飲んで見守っていたクラスメートたちも、めいめいが檻から解き放たれたように騒ぎ立て、はしゃぎ回り、賑やかな喧騒に変わる。


 この、撮影しごとから日常へ切り替わる瞬間の空気感の気持ち良さは、筆舌に尽くしがたい。


 最後は死体役を演じた美男美女は、少し疲れたように笑いながらむくりと起き上がるところだった。


「お疲れさん、絵磨えま


ゆうくん!」


 近づく俺の姿に気づくと、頭を血糊で真っ赤に染めた美少女はパアッと音を立てて満面の笑顔を咲かせた。


 その無邪気で小動物然とした彼女の素顔は、先ほどまでの凜と鋭く冴えたヒロインの雰囲気からは想像もつかない。本当に同一人物なのかと疑ってしまう。


「すげー演技だったな最後。俺声出しちゃいそうだった」


「でしょー!? 頑張ったんだから!」


陽色ひいろも。お疲れさん。いい演技だったぞ」


 先ほどエマに撃ち殺された--演技をした少年が服をはたきながら立ち上がったので、労いの言葉をかける。こっちは胸と背中が真っ赤だ。替えの制服は支給されるから問題ないが、これだけリアルな血糊だと見ていて少し貧血になる。


「あぁ、ありがと」


 陽色はパーマヘア気味の金髪をいじりながら、世の女全てを魅了するような笑顔を俺に寄越した。


「絵磨ちゃん陽色ォ! サイコーだった! 俺もうカンドーして泣くかと思った!」


 背後からの衝撃につんのめりかける。俺の背に飛び乗るようにしがみついてわんぱくに笑う小柄な少年が、感極まったように絵磨と陽色に感想を伝える。


幹太かんた、重いって……」


 引き剥がそうとする間にも次々クラスメート達が駆けつけ、あっという間に絵磨と陽色を取り囲む輪が出来上がった。呆気にとられながらも、二人は目を見合わせて笑う。とても絵になる光景に、ほんの少しだけ胸の奥がチクリと痛んだ。


 キーンコーンカーンコーン……不意に古ぼけた鐘の音が響く。


「お、終鈴」


 六時間目の終了を告げるチャイムというのは、何となく他のより幸福な音に聞こえるのは俺だけだろうか。


「はいはいはい、チャイム鳴ったし、気持ちは分かるがひとまずみんなそれくらいにして、教室に撤収!」


 長身スポーツ刈りの少年が手を叩きながら、よく通る声でそう告げた。先ほど「カット」を告げた俺たちの委員長。新一しんいちだ。盛り上がっていた生徒達も、めいめい返事をして新一に続き屋上を後にする。


「俺たちも行くか」


「うん!」


「そうだね」


「おー!」


「幹太、お前いつまで俺の背に乗ってんだ降りろ」


 目的地なく漂う雲のように、緩やかに流れる時間。こうやってカメラの回っていない間。俺達は何を演じる必要もなく、自然体で笑っていられる。


 陽色や絵磨は、こっちの時間の方が何か足りない、むず痒いだなんて言うけれど。俺はこのだらっとした平和も好きだった。


 この島で唯一の高校、阿久津第三高等学校。俺達、二年B組は芸能科。毎日毎日、最高の俳優になるためレッスンの日々だ。

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