Chapter.20 - Reverse
メルは目を閉じたが、いつまで経っても刃は体に届かなかった。おそるおそる目を開けると、顔のすぐ左で刃は静止し、震える金髪を写していた。
「今……なんと言った?」
傭兵は姿勢を変えずに言う。
「今なんと言った?」
もう一度。今度は明確に、ナージュに向けて。
「や、やめてください……」
顔を涙でぐしゃぐしゃにしたナージュは、先程とうって変わって、絞り出すように声を発した。
「違う。――この子を、なんと呼んだ?」
傭兵以外の全員が表情に疑問を浮かべる。ゼインだけはそれが一足早く苛立ちに変わり、どすどすとその傭兵とメルのもとへ向かってきた。
「メル様、と……」
「メル……パリドル駅……まさか」
ナージュの答えを聞いた傭兵は剣を引き、呟いた。そしてメルの顔をじっと見つめ、何かの確信をもった、落ち着いた声で聞いた。「ファミリーネームは?」
屈んだ傭兵とメル。二人を大きな影が包む。ゼインは長剣を握りしめ、二人をまとめて切り捨てんと、力強く振りかぶった。
「――モルテンブルク」
メルの小さな返事。その瞬間、傭兵はメルの理解を超えた速度で反転し、ゼインの一撃を右腕と左手で受け止めた。剣と手甲によって、大きな金属音が打ち鳴らされる。傭兵は刃に沿って腕を滑らせ、ゼインの懐へ。迎えうつナイフさえ間に合わない一瞬の間に、傭兵はゼインのみぞおちにこぶしを押し当て、力を込める。
すると、ゼインの体は重量感を保ちつつも持ち上がった。吹き飛ばされるように後方へ運ばれながら、追撃を警戒したゼインはナイフを左右に広く振り、体勢を整えた。
大きく二歩ほどの距離がひらく。傭兵はゼインに向かい、凛と告げた。
「ミスター・モルテンブルクは我ら傭兵団にとって唯一無二の恩人。そのご令嬢を傷つけることはできない」
そして戦場の傭兵団に向かい、叫んだ。
「ナルティック傭兵団よ、聞け! ミスター・モルテンブルクのご令嬢が今ここに居る!」
戦場の騒音がその色をざわつきに変える。目に見えない意識のベクトルが、メルに集中した。
「お嬢様、なぜここへ?」背を向けたまま傭兵が聞く。傭兵団が耳をそばだてたのか、少し騒音が収まった気がした。
「フォードを」
メルは傭兵に希望を見た。
大きな瞳に映るその背中に、想いを託す。
「――助けに!」
それが合図。反撃の号令。
風見鶏が音を立てて振り向くように、押し寄せた波が返すように、前線は今までと真逆に動き出した。
先程までより明らかに高い士気の傭兵団。混乱したゼインの部下を次から次へとなぎ倒していく。統制のとれた連携攻撃に、反撃どころかナイフの間合いに入ることさえできない。立ち向かう者は常に四方八方から降り注ぐような斬撃と打撃への対応を求められ、たちまち地に伏す。傭兵たちが引き倒し、あるいは気絶させ、警察が捕縛していく。
「なんだよ……なんなんだよっ!」
数日前にフォードと戦闘したあの男もまた追い詰められていた。
「ちぃっ、使えねえ傭兵どもが!」
ゼインはメルに向かってナイフを投げた。それは傭兵の長剣に弾かれる。構えが変わったその隙にゼインは飛び込み、低い位置から傭兵の腹にこぶしを叩き込んだ。確かに命中したが、傭兵がほんの少し早く後ろに跳んだために、衝撃は大きく軽減されていた。体が浮き上がった状態からぐるりと巻き付くように傭兵の足がゼインの腕を捕らえ、勢いのまま外側に捻る。常人ならば関節の限界により骨が折れているところだが、ゼインは人並み外れた反射により同じ向きに回転し、捻りによるダメージを実質的に無効化した。浮いたゼインほ左足が着地する瞬間、互いの剣が交わる。一拍置いてもう一度。刃は火花を散らして擦れ、鍔競り合いになる。
ゼインは左方からの奇襲を察知し反対側に回避したが、そこにもまた別の傭兵が待ち構えていた。左右から、そして前方から、傭兵三人による波状攻撃。尋常ならざる強さを誇るゼインの額にも汗が浮かぶ。無理な姿勢からも、距離をとるべくゼインは後ろに跳んだ。
しかしその跳躍は、小さな一撃に阻害された。
両手が使えないために、肩でぶつかるだけの粗末な攻撃。――それでも。
「フォード……っ!」
傭兵の剣はバランスを崩したその体を捉え、切り裂いた――!
「はぁーっ、はぁーっ、げほっ、ごほっ」
膝をついたゼイン。ぼたぼたと血が滴る。それでもなお、再び立ち上がり、右足を引きずるように一歩踏み出す。
「終わりだ。もう動くな。メルお嬢様と、お嬢様が守りたいフォード君に手を出さないと言えば、私も攻撃しない。適切な治療を受ければまだ……」
傭兵の制止に全く耳を貸さず、さらに歩き続ける。もはや戦闘力など残っていないというのに、形を持った執念とも言うべきその姿に、みな恐怖を覚えた。
歩きながら、血を流しながら、ゼインからは地鳴りのような低い声が発せられていた。離れたフォードに殺意を向け、四歩。力なくうなだれ、もう半歩。
ごぼっ、と血を吐くと共に声は収まり、歩みも止まった。
戦場が、静まり返る。
最後に「ちくしょう」と小さく呟き、地面に、落ちていった…………。
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