Chapter.18 - Hide and Seek

 いつぞや馬に蹴飛ばされたとは思えないほど、リックは活発にベッドの周りを駆け回っている。冷やかすように覗いては左右に動き、また覗いては動き。メルの横長の視界を端から端まで。まるで舞台俳優だ。

 メルは一旦這い出す。嬉しそうにじゃれつくリックにため息が漏れた。

 一世一代のかくれんぼ。鬼は一人と一匹だ。

「おすわり」

 言いつけても、メルが視界から消えるとすぐに追いかけてくる。

「それなら」

 モルテンブルク邸の東側には長めの廊下がある。その端にリックを座らせ、メルは反対の端に。可能な限りの距離をとり、全力で走り出した!


 客間から中庭を通り、書斎へ。書斎側から窓を閉めればリックは迂回するしかない。その間に書斎から出て、以前マクリッサが使っていた部屋、骨組みだけになったベッドの陰に隠れる。

 この部屋はほとんど出入りしていない――メルはひっそりと笑みを浮かべた。しかしすぐに眉を寄せる。音が聞こえる。リックは鼻を擦るように床の臭いをかぎながら、確実に近づいて来ているのだ。

 追い詰められるように箪笥の陰に移動するが、それが単なる足掻きであることはわかりきっていた。

 見つかる――!


 その瞬間、「あーっ!」と叫ぶ声がメルをびくりと震わせた。

「リック! 足が泥だらけっす!」

 中庭の土だ。

 走ってきたナージュはリックを確保。くぅんと悔しそうな声はお風呂場へと運ばれた。


「またとないチャンスだわ」

 メルは急いで隠れ場所を探した。見つけ出したのは、大胆にもナージュの部屋、クローゼットの中であった。メイドの制服と共に、彼女の地味な私服たちがかけられている。スニーカーとリュックサック。少年のような荷物を端に詰め、膝を抱えるかたちで座って、扉を閉める。


 そして息を潜めて、ただただ待った。

 何時間経っただろう。いや、こういうときは実際以上に長く感じるもの。五分しか経っていないかもしれない。時計を持ってくればよかった。リックは嗅ぎ付けるだろうか。ナージュはどの石鹸でリックを洗っただろう。匂いの強い石鹸ならいいな。床の泥を掃除するついでに、廊下全面を拭いてくれたらいい。匂いさえどうにかしてくれれば勝機はある。あとは静かにするだけ。待つだけ。どうやって時間を潰せばいいだろう。何を考えていればいいだろう。ええと、ええと、そうだ。フォードのこと。もう引き渡されてしまっただろうか。いや、そんなはずはない。きっと尾行や襲撃の準備に時間がかかるはず。今ごろ電車でパリドル駅に向かってるんだわ。そうよ、絶対そうだわ。まだ引き渡されてない。まだ、手遅れ、じゃない……はず……きっと……。


 ――――閉所は、息苦しかった。




 ナージュがメルを探し始めたのは、メルが隠れてから二十五分後。「メル様、メル様」と呼ぶ声に徐々に焦りが現れ始める。

 走る音。呼ぶ声。扉の開閉。布団を剥ぐ。――鍵を外す。

 足音が遠ざかったのを確認すると、おそるおそるクローゼットの外へ。そして眩しさに目を慣らす間も惜しんで走り出す。


 開けっ放しの玄関。映る色が白く飛んだ外の景色の中に、メルは自分の幻影すがたを見た。


 リックと共に居た。傘を持っていた。――「あの日」だ。ぐにゃりと歪み、リックが馬に蹴飛ばされた雨の中へと場面が変わる。雨は収束し、赤く。やがて一本のナイフが浮かびあがる。

『出ちゃいけなかったのに出てきた? お前は今それを繰り返すのか?』

 いつか聞いたフォードの声が、くぐもって甦る。


「――ナージュ!」

 叫んだ。計画に反する行動だったが、今までの経験が、得た知識が、そして恐怖が、メルを突き動かしたのだ。

 ナージュは廊下の先から、開け放たれた玄関に立つメルを視界に捉えた。

「ナージュ! 私はどうあっても行くわ!」

 走ってくるナージュに凛と向かう。

「行かせるか行かせないかじゃない。一緒に行くか、一人で行かせるか……そのどちらかよ!」

 吹き込む風はメルの髪をぶわりと舞わせた。堂々としたその姿に、ナージュはミスター・モルテンブルクの面影を感じた。メルの目の前まで来て、ぺたりと座り込んだ――――。




 そしてパリドル駅。

 メルが目にしたのは、『地獄』だった。


 悲鳴と爆音。泥と鮮血。議員や政府役員は逃げ惑い、警察は四方八方から襲う打撃とナイフで無慈悲に崩れていく。相手はスラムの住人だけではない。傭兵とおぼしき武装した男たちが大勢。多数対多数。こんな直接抗争に発展するなど、誰が予想しただろうか?

 引き渡しから追跡となる計画はどこで狂ったのか。なぜスラムの外で血が流れているのか。理解が追い付かないままとにかくフォードを探すメルは、見つけてしまった。――そして同時に見つかってしまった。

 全身の細胞が警笛を鳴らす。

 目が合ったそれは恐怖そのもの。

 どうしてここに居る――。


 声の出ない唇が、震えながらその名をなぞった。

『ゼイン』

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