Chapter.16 - Dead or Alive 2
外出許可の朝。フォードの前には屈強な男が居た。大柄で筋肉質。帽子を目深に被り、寡黙で真面目そうな印象だ。ボディーガードであったなら頼もしいと言える。
こんな男が十人ちょっとも居ればゼインと直接抗争しても勝てそうなものだが、やはり「相手はこちらを殺しに来るが、こちらから相手を殺してはいけない」というアンフェアな状況がそれを許さないのだろう。お偉いさんがたはあくまで引き渡しの場での決着にこだわるらしい。
「メルの家に行きたい」
要望はすんなり受け入れられた。職員と別れ、男と二人で汽車に乗り込むべく最寄りのクロロイス駅へ。
五駅ほどでパリドル駅に着く。まずは買い物を提案し、男にも朝食として何か買うよう勧め、清算の瞬間に走り出して人混みに紛れ……とフォードは作戦を練るが、その算段はすぐに狂った。
それは汽車に乗り、ずらりと並んだ席のひとつに座ったときだった。
すぐ隣に女性が座った。
――そこそこ乗客がいるとはいえ、まだ空いている席はある。すぐ隣に座らなくてもいいじゃないか。
女性に顔を向けると、彼女は少しだけこちらを向き、口元で人差し指を立てた。それはフォードにもわかるジェスチャー。
そのとき気付いた。フォードはその女性に見覚えがある。
――メルの付き添いのメイド……確か、ナージュ。
ナージュには考えがあった。
ここでフォードを逃がすことがハリー議員の失脚につながる。職を失えばメイドを雇うお金もなくなり、マクリッサは解雇されるだろう。マクリッサにモルテンブルク邸へ戻ってきてもらい、代わりに自身が辞め、開拓団に入る。開拓団が力をつければミスター・モルテンブルクがスポンサー契約を結び、帰ってこられる。遠回しだが、メルのために、彼女なりに熟考した計画だ。
フォードの助けになるだろうと彼女が持ってきたのは、パンを入れるような長い紙袋に忍ばせた大ぶりの包丁。武器を隠して運ぶなど物騒な行動は、田舎娘のナージュにとってかなりの覚悟を要することなのだ。
心臓はドン、ドンと叩きつけるような音で暴れていた。
彼女は監視の男の様子をちらりと確認すると、フォードだけに見えるように――あくまで自然に荷物を持ち直す動作で――袋の口を少し開けた。簡易的なカバーに納められた包丁が見える。
フォードは迷った。
これまで――スラムの生活を含め――敵と味方ははっきりしていた。現状で言うならメルが味方で、ハリー議員や監視の男たち、そしてゼインが敵になる。
しかしナージュは? 彼女はどちらの立場なのかわからない。助けようとしているのか、嵌めようとしているのか。包丁は武器か、罠か。
パリドル駅に着くと、さらにナージュは動く。
ナージュ、フォード、男の順に汽車から降りたが、数歩で彼女は転ぶ。警戒しすぎてただ見ていただけのフォードに代わり、監視の男が「大丈夫ですか」と寄る。
そのとき一瞬だけ送られた視線を、フォードは見逃さなかった。
ナージュが落とした紙袋を拾い上げ、汽車に乗降する客たちを横切るように走り出した!
もう彼女を疑う暇など無い。フォードは、武器を手に入れ逃走している今この瞬間の行動に全神経を集中させた。人々の隙間をすり抜け、台車と荷物を踏みつけ、ガシャンガシャンと音を立てて金網を越え、暗い路地に積まれた箱を崩し、もはや懐かしき、汚れと錆びと異臭漂うスラムへ!
「やっぱり来たかよ、フォード!」
声。そして顔に迫る鉄。
奇襲だったがフォードは滑り込むように回避した。体をひねりながら一瞬で包丁の袋とカバーを捨て、声の方向に刃を向ける。
声の主はゼインの部下。――あの日、ニーヨを殺した男だ。
「やっぱゼインってすげえよな! お前が来ることを予測して見張りの指示してんだからよぉ!」
言うが早いか、右手に握りしめた武器を振りかぶる。建築用の鉄の棒を加工して取り回しやすくしたものだ。長さは彼の背丈より少し短いといったほど。大きなものとはいえ包丁の域を出ていないこちらはリーチで負けている。だからこそ踏み込んだ。相手に対して体を横に向け、くの字に曲げた腹部で攻撃を受けとめる。瞬時に逆手に持ちかえた包丁で男の首を狙う。しかし男は頭部をがくんと後ろに下げると、長い足を突き出しまっすぐフォードの脇腹にねじ込んだ。押し出されるように再び離れる二人。
一瞬の隙が生死を分ける。
そんな状況に……否、そんな状況だからこそ、フォードの心には充実感があった。
汚れた街並み。悪意を運ぶような乾いた風。悪臭と異臭。暴力に次ぐ暴力で構成された全て。――それでも、フォードを育てた故郷の空気なのだ。
攻防が続くほど心は満たされていく。
フォード自身が気付いた瞬間、それは感情と疑問の濁流となって彼を襲った。
――俺をスラムに縛っているのは本当にゼインか?
――ゼインを殺したところで俺は変われるのか?
――人を殺さずに生きていけるか?
――メルを悲しませずにいられるのか?
――俺の生き方は、もう変えられないのか……?
混乱は確実にフォードの枷となっていた。僅かに鈍くなった動きを、男は見逃さない。
みぞおちに鉄が突き立てられる。間髪いれず続く二撃目は横からフォードの右頬にクリーンヒットした。一瞬意識が飛び、鐘のような耳鳴りで目を覚ます。
激しく揺れる視界でも果敢に首を狙っていくフォード。防御として構えられた左手にまっすぐ赤い線を描くも、肩に一撃を受け、膝をつく。
「あの日から! ゼインはずっと不機嫌で! その皺寄せが俺達に来てんだ! わかってんのかよ、フォード!」
傷を負って冷静でいられなくなったのか、男は攻撃をさらに激しくする。次第に戦いは一方的になっていった。
反撃すべく包丁を握りしめると、鉄が振り下ろされ、手の骨を砕く。フォードの表情は痛みに歪んだ。
「あー、あー! ムカつくなあ! ゼインがどう思うかなんて知らねえわ! 今ここでぶっ殺してやる!」
明確に殺意が籠った攻撃は、完全にフォードの頭を捉えた――!
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