Chapter.4 - Back Home

 日が沈み、いつもメルが眠る時刻も過ぎ、日付も変わり……それでも小雨が降るなか、会話もほとんどせず、メルとマクリッサは歩き続けた。

 家に着いた頃、安堵の声も出ないほどメルはくたくたに疲れていた。マクリッサからも普段の鎧のような覇気は感じられない。長靴を履いたままのリックは、言わずもがな。

「おかえりなさい! 温かいスープ作りましたよ! 今からでも、お風呂沸かしますか?」

 ナージュの振る舞いからも、夜更かしと心労が窺える。

「ナージュ……ごめんなさい」

「いえいえ! メル様にお怪我がなくて良かったです! えっと……リックは……」

 マクリッサに抱かれたリックを見たナージュの顔が青ざめる。

「足を痛めているだけです。二ヶ月は、安静にお願いします」

 マクリッサが機械的に答える。

 メルはその返事に違和感を覚えたが、違和感の正体を考えられるほどの余裕は無かった。リックのベッドをメルのと並べてもらい、横になると、すぐに眠りに落ちた。


 翌朝、メルを起こしに来たのはナージュだった。

 シーツの洗濯をしたのも、リックの世話も、朝ごはんを作ったのも。

 ナージュがこんなに働くなんて信じられない。相変わらず手際は悪いけど、昨日までより確実に、真面目に、家事のひとつひとつに取り組んでいる。

 朝食を終えたあと、昨日と違うのはナージュだけではないと、メルは気付いた。

「マクリッサはどこ?」

 メルが訊くと、ナージュは視線を反らし、唇を噛んだ。メルは少し考えたあと、背筋にぞわぞわとした嫌なものを感じ、ナージュの腕を掴んで半ば叫ぶように、もう一度訊いた。

「ねえ、ナージュ……マクリッサは?」

 ナージュも震えていた。言わなければならないことなのに、メルを起こしに行った時から、どうか訊かれませんようにと、願い続けていたことだった。

「マクリッサは……実家に、帰りました。……ここを、辞めて」

「――――そんな……うそ、嘘よっ!」

 メルは走りだし、ナージュはその場に座り込んだ。

「マクリッサ! ねえ! マクリッサ! いるんでしょ!」

 メルは叫びながら廊下を走り、外へ――行こうとしたが、玄関の扉は開かなかった。見慣れない鎖と鍵が、扉の取っ手に絡まっている。

「ナージュ! どういうことなの?」

 へたりこんだまま壁にもたれかかり涙を堪えるナージュは、ときどき深呼吸しながらゆっくりと話をした。

「メイドが……というより、仕事をしている人が、責任をとるってことは、辞めるってことっす。昨日メル様が寝たあと、リックの世話の仕方とか、料理の味付けは濃すぎないようにとか、最低限のことは教えてもらいました。それから、また昨日みたいなことが無いように、鍵を。

 ……マクリッサは、お嬢様をお願いしますって、初めて私に頭を下げてました。きっと、悔しかったんだと思います。辞めて仕事が無くなるとかじゃなくて、メル様の側に居られないことが。もっと教えたいことがたくさんあったと思うんすよ……。だってそうじゃなきゃ、外で使う傘をプレゼントしたりしないでしょう? あ、いや、メル様を責めてるわけじゃなくて、その、えっと…………」

 メルはゆうべの違和感を思い出した。マクリッサが「お願いします」と言ったのは、リックの世話をするのが自分ではないから――。

「嫌……嫌よ! わたしまだ何も知らない! 教えてもらわなきゃいけない! 開けて! 開けてよナージュ!」

 ナージュはただ、苦しそうに首を横に振ることしかできなかった。

 

 マクリッサは、メルが自分に頼らないよう、ナージュにすら実家の住所を教えていなかった。

 ナージュと外へ行って外の世界のことを学ぼうにも、リックだけ置いていくわけにはいかない。

 そもそもナージュは、一挙に自分一人の負担になった仕事を覚えるのに手一杯だった。


 後悔と喪失感に苛まれる日々が続き、二週間。

「ナージュ」

 ナージュが鍵を閉め忘れた玄関扉に手をかけ、朝の洗濯物を抱えるナージュに声をかけた。「ああ、すぐ閉めるっす」とナージュは軽く答える。メルはもう一度「ナージュ」と言い、少し扉を開けた。

「メル様? だめっすよ?」

「夜……いや、夕方には、帰ってくる」

「だめっす」

「…………。そうよね、ごめんなさい」

 そんな会話を、何度かした。

 

 ――出ちゃいけないことはわかってる。でも、それでも、学んでおかなくちゃいけない。わたしは、『生き方』を、知らない。

 八方塞がりの現状を打開しようと焦っていたメル。扉の鍵が開いていて、ナージュがそばに居ない。そんな機会が何度か訪れ――ついに。

 

「夕方には帰るから。絶対に、帰るから」

 ごめんなさい、ごめんなさいと心の中で謝りながら、メルは逃げるように街へと走っていった。

 あの日と同じく、空には分厚い雲がかかっていた……。

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