「うどん」「ファンタジー」「バッハ」(2017年09月25日)

矢口晃

第1話

「うどん」「ファンタジー」「バッハ」



 これからこの物語を読もうとするあなたに間違いなく言えることは、この物語を読み終えるまでに、あなたが必ず、うどんを食べたくなっているということです。

 そのことをどうか忘れずに、これからの物語をお読みください。

 

 それは、真っ白な日の差す、さらさらの砂浜のビーチでした。波の音が、リズムよく、心地よく耳に届いていました。

 あなたは砂浜に出した真新しいビーチチェアに横になって、波の音を聞きながら、うとうととしていました。日差しを遮るビーチパラソルが、時々風に揺られてカタカタと小さな音を立てています。

 日差しはさんさんと降り注いでいるのに、不思議と暑さは感じません。肌を焼くようなじりじりとした痛さもありません。生まれたての赤ちゃんのように暖かで、生まれたての赤ちゃんのように柔らかな日差しに全身をくるまれて、うとうとといつまでも眠れそうです。

 もしあなたが目を開けば、目の前には透き通る一面の輝く海が見えることでしょう。遠くの方は深い緑、途中広々と青い色が広がり、あなたに近くなるほど、水は透明になって見えます。海面はとても穏やかで、ヨットが四、五艘、日のひかりを照り返しながら並んで静かにたゆたっています。砂浜には白い波しぶきがざあっと溶けるように広がり、水の引いた後を、小さなカニが急ぎ足でどこかへ歩いて行きます。

 鳥が歌い、風がそよぎ、波が歌います。あなたは時間の流れも気にせずに、その空間の中心に、からだごとどっぷりと浸かっているのです。

 あなたは目を閉じたまま、瞼越しに太陽の明るさを感じます。空の青さを感じます。眠気が濃くなり、ふっと意識が遠のく瞬間、風の音に妖精の羽ばたきを聞き、鳥の声にバッハのメロディを感じます。あなたがまどろむ夢の中では、どんなファンタジーが起こっても、もう何の不思議もありません。空が咲いても、海が笑っても、太陽の滴が、頬を濡らしたとしても。

 イルカが戯れ、ウミガメが踊り、トビウオがカモメと競争をしても。

 またうとうととしていたあなたは、ぽわっと大きなあくびをします。腕と足を大きく伸ばして、重い瞼をゆっくりと開けます。

 そこには、先ほど想像した通りの、きらきらの世界が、想像の通りに存在していました。

 あなたは飲み物がほしくなって、チェアの隣のテーブルに置いてあったグラスに手を伸ばしました。ストローに口をつけ勢いよく吸い上げると、しなやかでコシのあるうどんが一本、のど越し良く体の中を通って行きました。

 びっくりしたのも、つかの間のことです。そのうどんのおいしいことと言ったら、ありません。

 あなたは夢中になって、グラスの中のうどんをストローで吸い上げます。グラスのうどんは、虹色のストローの中をするすると通って、次々とあなたの体を滑らかに通り過ぎていきます。

 青い海が広がっています。白い日差しが降り注いでいます。鳥や風の音色が、いつまでも続いています。

 その中で、あなたは、いっぱいのうどんを、夢中になって、食べています。


 そしてこの物語を胸に秘め繰り返し反芻しながら、あなたは今宵、近所の立ち食いうどんの暖簾をくぐるのです。

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「うどん」「ファンタジー」「バッハ」(2017年09月25日) 矢口晃 @yaguti

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