第2話 灰色
なぜ高校に進学したのだろう。
と、高校三年生になった二十年前の僕は、その答えがわからずにいた。
中学でイジメにあった。地獄の日々を耐え抜いて、中学を卒業することだけを考えていた。
そして、明るく楽しい高校生活を送りたかった。高校で友達をたくさん作って、中学の元クラスメートのヤツらに街で偶然出会ったとき、
「どうだ!僕は今楽しくやってるぞ」
と見返すことを期待していた。
中学の卒業式は無感情だった。何の未練もないこの場所から早く、おさらばしたかった。この卒業式が終われば、新しい人生がすぐそこにある。予想通りの卒業式、誰も僕に話しかけてこない。卒業式で泣く女子たちは、学校にいい思い出がたくさんあるんだろうな。
何一ついい思い出のない僕にとっては、ただただ時間が過ぎていくのを待つだけ。
やっと、卒業式の行事が終わって、校門を出たとき、肌寒いけれど、少し春の要素を含んだ爽やかな風が吹いた。無感情で形式だけの卒業式にも関わらず、天気はすばらしく良かった。僕は高校生活に期待していた。
しかし、高校に入っても状況は変わらなかった。
結局のところ、僕は人から好かれる素質を持っていないのかもしれない。デブで眼鏡の外見だからか。いや、外見がそうであっても、キャラで乗り切るヤツはいる。僕は話もうまくないし、性格も明るくはない。それでも、小学生のころは普通に友達もいて、楽しくやっていた。デブで運動のできないおとなしいクラスメート、これが僕の個性といったところか。
中学に入れば、個性は、周囲の人間がくだす評価に変化する。
中学時代、周りは僕のことを、デブで眼鏡の運動できない気持ち悪いヤツと評価した。残念なことに、この評価は高校に進学しても変わらなかった。
ただ、中学のイジメとは違って、子供っぽい嫌がらせなどは少なくなった。高校生は大人なのだ。苦しい嫌がらせは少なくなったものの、気持ち悪いお前とは違うんだと言いたげな感じの距離感で接してくる。僕が教室にいても、クラスメートたちは僕が見えていないようにふるまう。
実際、クラスの行事には極力参加せず、ただひたすらに、時間が過ぎるのを待っているだけ。そんな二年間が過ぎた。
高校三年生になっても、何の変化もないままだった。クラス替えのドキドキももちろんなかった。
初めて出席をとるとき、担任が
「内田和久」
と、僕の名前を呼び、僕は自信なさげに
「はい」
と、返事をした。うちのクラスにこんなヤツもいるんだ的な目で見ているのが伝わってくる。こんなことは、もう慣れた。
それでも、去年はまだよかったのかもしれない。僕と同じレベルの、有野がいたから。有野は痩せていて、陰気な雰囲気をもっていた。僕も有野もお互い、クラスの中でレベルが同じというのを知っていて、何となくという感覚であったけれども、必然的にいつも一緒に行動していた。
僕は有野を友達と思ったことはない。有野も同じ思いだろう。有野は今のクラスで同じレベルのヤツを見つけ、そいつと仲良くやってるらしい。三年生のクラスで別々になってから、連絡をとっていない。こうなることは、有野と共に行動しているころから、わかっていた。今の僕にはクラスに同じレベルのヤツがいないのだ。
弁当タイム。これも苦痛の時間だ。五月になれば、クラス替えで興奮した感じも落ち着き、昼食を食べるグループが出来上がってくる。女子だけでなく、男子もグループを作って、机を二つ三つ、くっつけて食べる。部活を熱心にしている人などは、教室を出て、部活の仲間と食べたりしている。
僕は、一つの机、一人で食べる。
ある日の弁当タイム。誰かが僕を見ている気配を感じた。岡崎とその仲間たちだ。岡崎はクラスのムードメーカー的存在で、授業中にも教師たちにも堂々と冗談を言ったりしていた。ただ、岡崎は子供っぽさが抜けないところがあり、冗談も度を越えていることが時々あった。そんな岡崎から向けられた目線はどこか、いたずらっぽかった。
僕はまだ弁当を食べている途中で、机の上に弁当を広げている状態だった。何かされる予感がしたのは、中学時代にイジメを受けてきた長年の勘か…。とにかく、弁当を早く食べ終えようと思ったその時だった。
岡崎はピンポン球を僕に投げてきたのだ。何という単純な行為。ピンポン球を投げられている僕はたまったもんじゃない。しかし、クラスのムードメーカー的存在なヤツに「やめろ!」と言えない気の弱い僕。そうだ、逃げよう。弁当を食べるのはあきらめよう。食べかけの弁当にふたをして、立ち上がった。とりあえず、廊下に避難しよう。弁当箱を手に持った。
その時、岡崎が、
「ごめん、ごめん。ちょっとピンポン球を、投げたくなっちゃって」
と笑いながら、言った。
少年のようないたずらっぽい笑顔に見えるかもしれないが、僕にとっては悪意の塊のような顔だ。岡崎はさらに、
「本当、ごめん。座って、座って」
と言った。座れと言われたら、座るしかないと思った僕は、椅子に座ろうとした。
ところが、あるべきはずの椅子がなかった!
僕が岡崎に気をとられている間に、岡崎の仲間たちが僕の椅子を後方へ動かしていたのだ。気づいたときには、もう遅かった。椅子に座りかけた姿勢の僕のデブな体は、そのまま思いっきり床に尻もちをついた。
手には食べかけの弁当を持っていて、弁当は僕の頭上に舞い上がり、弁当のおかずやごはんが、雨のように僕に降り注いできた。一連がスローモーションに見えた。僕が床についた尻もちの大きな音と、弁当箱が床に落ちた音が教室に響いた。
岡崎とその仲間たちの大笑いする声が聞こえた。彼らは、デブが転ぶ姿を見たかったのだろう。僕は動揺して、立ち上がることができない。どうしたら、立ち上がれるのかと思いながら、教室の雰囲気が感じ取れた。
笑い転げる岡崎たち、それに同調してクスクス笑っている人たち、ドン引きしている女子たち、呆れている人たち…。好意的なものはない。僕の心臓の鼓動が速くなり、顔が熱くなっているのを感じた。赤面しているのかと思うと、緊張が増し、どんどん、顔が熱くなっていく…。
そんな時だった。
僕の頭上に、五月の明るい光が僕を照らした。
いや、光ではない。クラスメートの女の子だ。
その女の子は、床に尻もちをついたままの状態の僕に近寄ってきた。その女の子の後ろからは、後光のように眩しい光がさしていた。眩しくて顔はよく見えない。そして、僕に手を差し出した。
「大丈夫?」
と優しい声で僕に言った。この光景は、天から天使が舞い降りて来たかのようだ。この距離で、やっと誰だかわかった。
こんな僕でも知っている、学校で人気のある女子、水川沙希さんだ!
水川さんは僕に手を差し出してるけど、弁当まみれの僕の手は、水川さんの手を握っていいのだろうか?それとも、夢かなんだろうか?
躊躇している僕に気づいたのか、水川さんはかがんだ姿勢になり、水川さんの方から僕の手を握り、僕が立てるように、引っ張ってくれた。水川さんは意外にも力持ちで、僕を立たせることに成功した。
水川さんは優しく笑って、
「お弁当、もったいなかったね。でも、お弁当箱に少し残ってるよ」
と言って、床に落ちた弁当箱を拾い上げてくれた。奇跡的にも、上向きに落ちた弁当箱の中に、少しのご飯と海老フライがひとつ、残っていた。
そこへ、女子たち数人が来て、
「やだ、沙希、優しいね。まあ、でもこれは岡崎たちもやりすぎ」
「そうだね」
と女子たちは言った。
岡崎たちはきまり悪そうにしていた。水川さんは僕の頭や制服についた弁当の中身を手で払い落してくれた。他の女子たちは、ほうきとちりとりを持ってきて、床に散らばった弁当の中身をかたずけてくれた。
僕は緊張しながら、精いっぱいに、
「あ、あ、ありがとう」
とだけ言えた。水川さんはにこっと笑ってくれた。他の女子たちは、水川さんと僕を見て、くすっと笑っていた。
僕が尻もちをついたことで、水を打ったように静まり返った教室は、普段の雰囲気に戻っていた。こんなことが起きて、食欲がなくなったけれど、水川さんがせっかく、弁当箱に弁当が残っていることを教えてくれたので、それを食べることにした。
箸を持った右手は、水川さんの手の感触が残っていて、魔法をかけられてるかのように、ホワホワしていた。
それから数日間、、授業中、休み時間、僕の目は水川さんを探してしまう。やはり、かわいい。さらさらしたセミロングの髪、大きい瞳、長い睫毛…。頭もよく、テストでは学年でいつもトップだ。その上、僕を助けてくれたあの優しさ。欠点なんてない。完璧だ。
爽やかな風は君から来た @aozoraaoiumi
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