7時51分の忘れもの

相川青

第1話 始まりは忘れ物

 それはいつも通りの寒い朝だった。


 寒いけど雲ひとつない、痛いほどにキーンと透き通った青空の朝で、そんな時には私はいつも決まって空のどこかに雲を探してしまう。


 雲ひとつない真っ青な空は完璧すぎる存在に思える。飛行機雲でもあれば落ち着くのにと、私はキョロキョロと雲を探した。


 私はなぜだか完璧なものが苦手だ。


 少女マンガに出てくる出来すぎた恋愛話や、スタイリッシュすぎて落ち着かない家具や、カッコ良すぎてちっともくつろげないおしゃれなカフェ。それらがなぜかとても苦手だ。

 だから学年で一番のイケメンで、誰もが一度は恋してしまうというハシバくんにも、なぜだか少しもときめかない。


 少女マンガにも、素敵な家具にも、おしゃれなカフェにも、ハシバ トオルにさえもときめかないなんて、どうもかなりおかしいらしく、高校のクラスの女子とも話が全然弾まない。話すのが苦手だから、もちろん男子となんて、言葉を交わす機会さえほとんどない。


 そんな、ぱっとしない高校生活。だけど、絵を書くことが好きな私は、好きなものがあるというそれだけの事実で、それなりに自分のことを幸せだと思っている。


 自分で書いたイラストだらけのスマホと、同じクラスの幼なじみの女友達、ツバサがいれば、それなりに毎日充実している。人からどう見られてるかは知らない。だけど、人付き合いが苦手な女子高生の中では、そこそこの充実度だと思ってる。


 できたらツバサには、私同様ジミ顔でいてほしかった。だけど、残念ながらツバサはすれ違う人の何割かが振り返るくらいのかわいい容姿の持ち主で、それが玉に傷だ。


 と言っても、玉に傷だと思っているのは私だけだろう。むしろ一般的な評価は「かわいい上に性格もいい素敵な女の子」だと思う。


 その人なつっこい世話焼きな性格に、引っ込み思案な私は何度も救われた。ツバサから見て私が一番の親友かどうか知らないけど、私にとってはツバサは一番の親友だ。ツバサから見て私が一番でなくたっていい。神様本当にありがとう。


 その出来事は高2の冬の朝に、いつもの通学路から始まった。


 冬だからこその澄んだ綺麗な青空。その青空に雲をひとつも見つけることができなかった私は、なんとなく、ちょっと負けたような気になって学校への道を歩いていた。


 ツバサから「寒い冬がない世界に行きたいね」ってラインが来た。いつものように、たわいもないメッセージ。

「また、学校に行ってから返事しよう」と私は一人つぶやいた。


 家から3つ目の交差点の前のことだった。今日はこの交差点の手前で、タイミング悪く信号が赤になった。私は自分のルールで信号が変わりそうになっても絶対に走らないと決めていた。私は信号が青になるのを待ちながら、自分が大きな不運に見舞われたような気になった。


 こんなことを不運だなんて、大げさだと思われるかもしれないけど、とても単調にすぎていく毎日の中、不幸だったり幸せを感じるのはこんなささいなことなのだ。テレビや漫画だと、女子高生って毎日ドラマにあふれているようなのに、びっくりするくらい私の毎日は単調だ。


 ともかく、その時、多分人にとっては取るに足らないことで私はしっかり不運を感じて不幸になっていた。


「こんなふうに朝から不運な時は、何かさらに嫌なことがあるかも」と思った瞬間だった。ふと口から

「あ。リーダーの教科書」

という言葉が出てきた。


 その不意に口にした言葉から、私ははたと気付いてしまった。そろそろ授業で私が当たる順番だからと、昨日の夜に珍しく部屋で予習をしたこと。それからその教科書を部屋の机の上に置きっぱなしだということ。


  「!」


 無言で驚いた私は、気付くと同時に勢いよく振り返って、一目散に家に向かってダッシュした。


 もしこれが夏だったら、もう少し余裕を持って家を出るので、家を出る時にもう一度カバンを見返したに違いない。そしてリーダーの教科書を忘れなかったに違いない。


 朝が弱い私にとって、寒い冬の朝はかなりの難関だ。駅に着いて電車に丁度のタイミングから逆算して、ぎりぎりの時間にしか、いつも起きれないのだ。


 頑張って早く起きようとしたこともあるけど、どうしても起きれなかった。そして不思議なことに電車のダイヤが早くなっても遅くなってもそれは変わらなかった。


「このままだと学校に間に合わない」

 いつもはのんびりしていると言われる私が、この冬一番焦っていた。


 焦っていたからかもしれないし、焦っていたのにとも思うのだけど、いつもと逆に歩く朝の通学路はなんだか全く別の世界に見えた。毎日夕方にはここを通るというのに、それは夕方の通学路とは全く別の場所のように見えた。


 確かに右側には表札に田中と書かれた家があって、左側に銀行の社宅がある。それは知っている通りなのだが、それでも全く別の世界のように見えた。


 急いでいるのに、焦っているのに、「なんだか別の世界だなあ」とのんきな考えが浮かんできて、それがなんだかおかしかった。でも今面白がってる余裕なんてない時なのにと思ったら、少し自分に腹が立った。


 全く意味がないことに自分の感情を無駄遣いしながら走っていたら、不思議と、どんどん、どんどん違和感が増してきた。


 でも、今はそんなことに構っている暇はなかった。遅刻して、無駄に目立つのも嫌だった。地味で平凡なんだから、できるだけ悪目立ちしたくない。


 ようやく自分の住んでるマンションまで戻ってきた時に、入口のオートロック操作盤が自動ドアに対して左右逆に付いていることに気づいた時にはかなり驚いた。


 それはもう、違和感というレベルを超えていた。

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