嘘をつかないオオカミ少年は一人ぼっちでサバイバる。
鷹宮 センジ
少年は森の中で一人暮らしを決意する。
サバイバル生活の幕開け
「お前は嘘つきだ」
そう言われたとき、時間が止めってしまった様な空気が辺りを覆った。
空に上った月が辺りを薄い光で照らし、集まった村人の顔を森に満ちる闇からぼんやりと浮かび上がらせている。
「お前は嘘つきだ」
それはこの村では破ってはならない絶対の掟。嘘は許されてはならない。嘘は裁きを受けなければならない。
だから他の村人たちと相対する彼は笑う。
「たしかに僕は嘘つきだ。でも、僕は狼になっていない」
「確かに」
「その通りだ」
「彼は狼じゃない」
彼の事を嘘つきであると糾弾した男性の周囲で、村人が次々にざわつく。
「しかし見ろ。これでも彼は嘘つきではないと?」
男性は彼の頭を覆っていた帽子をはぎ取る。
すると、中から飛び出てきたのは三角の獣の耳。
村人が忌み嫌う狼の耳だった。
「これは……」
「狼になりかけているではないか」
「なんということだ……」
再び村人がざわめき、彼はその笑みをますます深くした。
「これはごまかしようがないなあ。確かに僕は狼になりかけている。でもそれがどうした?」
彼が一歩、前に踏み込む。
「嘘をつけばこの村の人は神様に呪われて狼となる。でも僕は中途半端だ。完全に狼となっている訳じゃない」
また一歩、前に踏み込む。
「それなら僕は、本当の嘘つきじゃないって事にはならないかな?と言うより、」
更に一歩、前に踏み込む。
「受け入れてくれないともう一人の僕が悲しむんだけど」
最後の一言は小声で、彼以外の誰にも聞き取れなかった。
「も、もう良い!お前は中途半端だろうが何だろうが、嘘をついたことはその体の変化を見れば間違いないだろう!お前を追放する!早くこの村から出ていけ!」
先程から彼に正面から詰め寄られ、焦った男性――この村の村長は彼を狼だと正式に宣言した。
「そうだ、お前は呪われた子供だ!出ていけ!」
「嘘つきがうつるわ!とっとと出て行って!」
「お前はやっぱり嘘つきだったんだな……失望したよ」
浴びせられる罵声を背にして、彼は――村でも優しくて朗らかな人柄で愛されていた少年は、笑った顔を崩さずに月の光も届かない昏い森へと入っていった。
~・~・~
「で」
僕は滝が轟轟と流れ落ちる滝つぼの傍らで、座禅を組んで考えていた。
「で、この状況は何なのだろう」
朝起きたら、自分の村から遠く離れた森の中で横たわっていました。これ何て冗談?
これは村のみんなのイタズラだろうか。
思わず周囲を見渡す。イタズラなら何か仕掛けられていてもおかしくない。起き上がった瞬間に頭上の枝から木桶が落ちてきたり、立ち上がって一歩踏み出した途端に落とし穴に落ちたり。村のやんちゃ坊主達のイタズラは手が込んでいることこの上ない。
だから警戒したのだが――ゆっくり立ち上がっても、つま先で探りながらその場から立ち上がっても、何も起きなかった。周囲に誰かいる気配もしない。
改めて周囲を見渡す。そこかしこに立ち並んだ大木。流れる滝の水しぶきに浮かび上がる小さな虹。小さな野原にひっそり咲いている白い花。平和だ。でも見覚えがない。
記憶力には自信があるし、そもそも森で遊んだ回数は数え切れないので、村の近くにある普通の森ならそれと分かるはずだ。
……ここがもし、自分の入ったことのない森だとすれば、分からないのは当然なんだけど。
自分の両手をみる。人間の手だ。自分の足をみる。人間の足だ。
念のため立とうと思って立ったら二本足で立てたし、歩いても四つん這いにならずに二足歩行できた。
そもそも生まれてから十六年と数か月は経つが、その間に嘘をついた覚えはない。
嘘をつくと狼になる。これは事実で現実。あの村の中で絶対のルールだった。
現に目の前で人が嘘をついて狼になるところを見たことがあるし、狼になった人間は村の南に広がる『禁忌の森』に放りだされることも知っている。
でも僕に嘘をついた覚えはないし。体も狼になっていない。
「これはいったいどういう事だろうね……」
ため息をついて、ここから村に戻る事を決意する。僕は狼じゃないからね。村には僕がやり残したことがたくさんある。今頃は夜中に居なくなった僕の事を村のみんなも心配しているかも知れない。
そこで、まずは日課である朝起きてからの洗顔でもしようと滝つぼの水面をのぞき込む。
「……ん?」
何か自分の頭に三角の毛むくじゃらな物がくっついている気がした。
試しに触ってみる。
サワサワ
「何じゃこりゃ」
これってひょっとして、ひょっとしなくても。
狼の耳?
「嘘だろオイ」
どうやら僕は、体の一部分だけ狼になってしまったらしかった。
体の一部だけ狼って……今までに聞いたこともない。
これではもうどうしようもない。
「狼じゃないけど、これってもう人間じゃないよね……」
~・~・~
「これからどうしようか」
どうやら僕は村から放り出されたらしい。
村ではオオカミとなった人間は村から追放され、『禁断の森』に行くとされている。
『禁断の森』にはオオカミ達が住んでいて、普通の人間が迷い込むと食い殺されるとか。
これはヤバイ。
つまり僕は、いつオオカミに襲われるか分からない森に一人ぼっちということだ。
しかも何も持たずに。
どうしようもないこの状況から、僕は脱しないといけない。
そうじゃないと生きていけない。
僕はこのままオオカミ達に見つかって食われるのも、ジワジワと餓死するのも嫌だ。
生きる。必ず。
その為にもお手洗いに行こう。
その際、ズボンを脱ごうとしたら、お尻にある謎のモフモフにズボンが引っ掛かってしまった。
何だコレ。
……うん、耳もあるなら尻尾もあるよね。知ってた。
~・~・~
お手洗いを済ませて滝壺のほとりに座る。
お尻に生えた尻尾を振りながら考える。
僕の取ることのできる選択肢は、いくつかある。
まず一つは、このまま村に直行して「僕はオオカミじゃありません」と訴える。
僕は村でもけっこう頼りにされている方だったと思うし、村の何人かはきっと僕の話を信じてくれるはず。
でも僕は中途半端とはいえ狼になっている。
半分オオカミの人間なんて、僕の聞いた限りでは前例は無い。
嘘をつくかもしれない人間なんて、僕が相手なら信用なんてしないだろう。
絶対に嘘をつかない。それが人間だと小さい頃から教えられてきたのだから。
それなら次の選択肢。
狼の群れを見つけて仲間に入れてもらう。
要するに、自分は完璧に狼であると認めて、人間を捨てるということだ。
ただ、狼になった人間たちは完全に獣だ。会話もできないし人間を見つけたら襲い掛かってくる。僕は完全なオオカミじゃ無いので襲われる可能性の方が高い。
『禁忌の森』にはオオカミを閉じ込める魔法の結界のような物があって、それで村のみんなは平和に暮らせているだけだ。
自分は一部分に狼の特徴を備えているだけで、耳と尻尾を除けば完全に人間だ。
しかも僕は、生肉だけを食べて生きていける気が全くしない。
滝つぼの周囲に一匹、野ウサギが顔を出した事はあったけど食べる気にはなれなかった。
追いかけて捕まえても、焼かないと食べれないと思う。
ちなみに食べれる野草は普通に食べれた。狼は生肉しか食べないから、少なくとも味覚は人間らしい。
人間に戻れない。狼にもなれない。
それなら取れる選択肢はこれしかない。
一匹狼になること。つまりは自給自足だ。
~・~・~
自給自足。それを実現するためには色々な技術や道具、知識が必要だ。
技術に関しては少しだけど自信がある。村ではみんなの手伝いを積極的にこなしていたので、家事も料理もそこそこ出来る。手先は器用だ。狩りもやり方が身についているので問題ない。元々家業は狩人なので、自分の弓や短剣があれば何とかなる。
道具と知識、これが難題だ。僕は1度も旅に出たことが無い。安全な『禁忌の森』以外の狩場としていた場所で、大人達と一緒に野宿した事はある。でも火の起こし方すらうろ覚えだ。しかも火を起こすのに必要な火打石は自宅に置きっぱなし。愛用の武器も置きっぱなしなので、技術があっても道具が無ければ狩りは出来ない。
これじゃあ何日も生き残れないな。
「やばいなぁ」
これは1度、自宅に忍び込むしか無さそうだ。
父さんの部屋には、狩りに役立つ様々な物事を書き残した古い手帳がある。母の部屋は形見として大切にしてきた弓と短剣の保管場所になっている。
手帳は正直、文字を読むのが苦手なので狩りの仕方についてのページしか読まなかったけど……他にも役に立つ事が書いてあるかもしれない。
となれば、村へ忍び込む為にも『禁忌の森』を抜けなければならない。
方角は切り株の年輪で分かるので、あとは勘で何とかするしかない。『禁忌の森』には滝があると聞いたことがあったので、ここは村から近いところにあるはずだ。川沿いを進めば村に出られるはず。
気になるのはオオカミ避けの結界……これは半分オオカミの僕には効くのか効かないのか。ちょっとした賭けだけど生きる為だし仕方が無い。入れなかったらまた別の方法を考えよう。
僕は尻尾付きの腰を上げた。
~・~・~
森の中を走る。
別に走らなくても、すぐには自分の家の物は片付けられたりしないはずだから間に合うんだけど。
何だろう。この爽快感。
狼に半分なっているせいか、前より足が速くなっている気がする。
自分の中身さえ置き去りにしてしまいそうな程の勢い。体が軽い。
踏み出す一歩一歩に力を込めると更に速くなる。今なら逃げるウサギにだって余裕で追いつけそうだ。
とか思っていたら、なんと僕に驚いて逃げ出したウサギをあっという間に追い越してしまった。
(でも、これはきっとオオカミになったせいだよね)
人間じゃないからこそ得てしまった、人外の身体能力。
複雑な気分になりながら村と森の境に到着した後、柵の内側に身を潜めた。
人の気配はしない。静かだ。何処か遠くでフクロウの鳴き声がして、それが耳に残る。
見張りが居ないかしっかり確認してから、柵にそっと足をかける。腰の高さ程のこの柵は、見かけ上は普通の格子状に組まれた木製の柵だ。村にいた頃は本当に役割を果たしているのか心配に思ったものだが……。
ゾクッ
「……うっ」
不意に酷い違和感が頭からつま先までを貫いた。指先が痺れて痙攣する。汗が額から流れ落ちる。
その他もろもろの凝縮された不快感を必死に我慢して、柵を一気に乗り越えた。すると同時に不快感の一切が消え去る。
(よっ、よかった)
村に侵入してからも続いていたら、何分かですっかり参っていただろう。それ程の身を削られるような気持ち悪さだった。
~・~・~
自宅になんとか侵入して、目的の武器や手帳の他に保存しておいた食料や必要になりそうな道具類を思いつく限り持ち去った。自分の家に侵入するなんて冗談もいい所だ。
「さて」
取り敢えずは火を起こそうか。
暖をとるため、料理するため、そして効果の程は分からないがオオカミ避けにするために。
僕は父さんの遺した手帳を開いた。
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