第55話 ダメ姉は、近況を語る

 美味しく楽しいお昼ご飯を済ませてからは、予定通りスイカ割りを楽しんだ私たち。……ああ、一応念のために言っておくけどごく普通のスイカ割りだったのでどうか安心してほしい。

 コマが見事一発で綺麗に割ってくれたよく冷えたスイカを食後のデザートとして堪能してから、その後は午前中同様にコマと全力で海を遊び尽くし……それから二時間ほど過ぎた頃。


「―――ふぁあああぁ……あー、寝た寝た。よく寝たわ。…………今何時だ?」

叔母さん。やっと起きたね。アンタいくら何でも寝すぎだよ、もう三時前だよ」


 流石に疲れてきた身体を休ませるためにビーチパラソルの下で休んでいると、お昼ご飯を食べてからずっとビーチチェアで爆睡していた叔母さんが大きな欠伸をしながらのそのそと起き出す。


「全く……海に来てやることがお酒飲んで寝るだけとか叔母さんは何しに来たのさ。それじゃあいつもの引きこもりで自堕落な生活と何にも変わんないじゃないの。泳いだりしないの?折角のおニューな水着が泣いてるよ?」

「うっせぇなぁマコ……折角の休みなんだし何をしようがアタシの勝手だろうが。海に来たら泳がなきゃならない理由でもあんのか?ねーだろそんなもん」


 じゃあ一体何のためにわざわざ水着なんてものを着てんだこの人……?


「大体よ、折角の海なのに泳がないどころか……空気読まずに水着を持ってきてない奴だっているだろが。なぁそうだろシュウ―――って、あれ?シュウ?…………なあマコ。編集はどこ行ったんだ?それに……コマの姿まで見えないみたいだけど……マコだけなのか?アイツら一体どうした?」


 編集さんに同意を求めようとした叔母さんがきょろきょろと周囲を見渡してから、ようやくこの場にコマも編集さんもいないことに気付く。気付くの遅いなぁ……


「コマなら一旦コテージに戻ったよ。コテージに置いてある予備のカメラを持ってきますってさ。なんかよくわかんないけど、持ってきてたカメラのバッテリーが切れちゃったとか、もう容量がいっぱいになったとか言ってた気がする」

「…………ああ、なるほどそういう……そういやアイツ、見境なしにパシャパシャとマコのことを盗さ―――撮ってたもんな。あんだけ撮りまくればそりゃバッテリーもメモリーもすぐ切れるわな……」


 実は私も写真を撮るコマを隠し撮りするのが好きだけど、コマもコマで私以上に写真が好きなんだよね。イベントとかあると私の隣でよく撮ってるし、デジカメとかにしたって複数持っている上に私の持ってるものより遥かに高性能。そういえば確かコマ、今回の旅行の為にまた新しいやつを買ってたっけ。


「それで?編集の奴はどうしたんだ?もしかして便所か?」

「……なんで叔母さんは何かある度にそういう単語を口に出すのかなぁ?いい加減恥じらいというものを……まあ良いけど。編集さんにはコマのボディガードになって貰えるように私から頼んだよ」

「ボディガード?そりゃ何でまた?」

「ほら、さっきみたいにコマがまたナンパ共に付きまとわれたら大変でしょう?だからコマと一緒にコテージに付き添って貰ってるんだ」

「…………ああ。そういやそんな事もあったな。すっかり忘れてたわ。なるほどなるほど……それはマコにしては珍しく良い判断したじゃないか」

「私にしては、とはどういう意味かね叔母さん?」


 ホント余計な一言多いなこの人……まあ別に良いけどさ。


 つい先ほど……そう、お昼ご飯を買いに行って貰った際にコマがスイカ―――じゃない、ナンパに絡まれる事件があった。その時は叔母さんの容赦ないビンタを食らってナンパ共は全員引き下がったみたいだけど……その手の輩がその程度でナンパを諦めるほど素直なわけがない。コマを見つけ次第、隙あらばまたナンパをしてくるに決まってる。

 だからこそ、コマが単独で移動する際はコマの傍でガードして貰えるように編集さんに頼み込んだ私。編集さんが隣にいればコマが彼氏連れだと思い込んで、下手に声をかけてくる連中は格段に減るだろうし……もし何かあっても編集さんなら上手に対応してくれるからね。


「まあそういうわけだよ。ついさっき行ったばかりだからしばらく二人は戻ってこないんじゃないかな」

「ふーん、そうかい。戻ってこないのかい。…………うん?待てよ、コマもシュウもしばらくは戻ってこないのか。……ならちょうど良いかもな。なぁマコ。急で悪いが良い機会だし、ちょいとお前さんに話がある」

「へ?……あ、うん。なぁに?」


 何やらボソッと呟くと、ぐでーっとビーチチェアに寝転がっていた叔母さんが突然姿勢を正して珍しく真剣な表情で私を見つめる。

 ……これは、この叔母さんの様子は……多分真面目な話をするっぽい。叔母さんにつられるように私も居直り真面目に聞く姿勢を取ることに。


「直接コマ本人の口からは中々聞き難いからよ、お前の方から教えてくれないかマコ。最近のコマはどんな感じなんだ?」

「は?コマがどんな感じなのかって?……ええっと」


 突然そんな事を聞かれても……最近のコマがどうかなんて、そんなの決まってるじゃないか。


「それはもう相も変わらぬ可愛さ満点のパーフェクトマイシスターなんだけど、それがどうかしたの?」

「ド阿呆。誰もそんな話は聞いていないし、お前さんから何千回も聞かされて聞き飽きとるわ」


 冷めた目で心底呆れたように叔母さんがそのようにツッコむ。聞き飽きるとは何て失礼な。私としてはまだ話足りないくらいなのに。


「そういう話じゃなくてよぉ…………アレだよアレ。最近二人で行き始めただろ?心理療法士さんのところによ。その話を聞きたいんだよ」

「…………あー、はいはい。なるほどそっちの話ね」

「普通に考えりゃそっちの話に決まってんだろうが、この駄姉……」


 そこまで言われてようやく察する私。そういう事か。叔母さんが珍しく真剣な表情をしていたのも合点がいった。


 覚えているだろうか?梅雨に入り昔の嫌な事を思い出してしまう雨と雷のせいで満足に眠ることが出来なかったコマが、授業中に倒れてしまった6月のあの日の出来事を。

 その一件以来コマの例の味覚障害克服にはちゆり先生による医学的な治療に加え、根本的な問題……そう、6年前から蝕むコマのトラウマを払拭する心理療法も重要だと考えた私。そんなわけで先月ちゆり先生と相談し、夏休みから本格的に心理療法を取り入れる事となった。


 何も変わらないかもしれない。いや寧ろ心理療法によりコマの中の嫌な過去を呼び起こす事にもなるゆえに、症状が余計に悪化する可能性だって十分ある。

 それでも……藁にも縋る思いでコマと共にちゆり先生に紹介された心療内科を受診したわけだけど……


「改めて確認させて貰うぞ。お前、言ってたよな?その心理療法を受けてから、

「うん。実はそうなんだよ」


 結論から言うと、私のその判断は正しかったらしい。まだ5回くらいしかその診療を受けていないんだけど……受け始めてからコマの例の味覚障害にささやかな変化が生じ出したのである。


「コマの味覚障害自体はまだ治っているわけじゃないからさ、やっぱり私とのいつもの口づけをしなきゃ味覚が戻らないのは相変わらずなんだけど……嬉しいことに、ちょっとずつ味覚が戻るまでの時間が短くなってきたんだよね」


 その変化とは……ずばり、コマの味覚が正常に戻るまでのだ。


「それはマコの気のせいとかじゃないんだよな?実際に時間が短くなっているのか?」

「うん。計ってみたら短縮されてたっぽい。まあ、コマの体調とかその日の気候とかで多少時間は前後しちゃうけど……」


 私と口づけを交わすことで味覚が戻るコマの特異体質。以前は味覚を戻すのに触媒のリンゴジュース無しだと早くても10分程時間がかかっていたのだが…心理療法を受け始めてから、コマの調子が良い時は5分くらいで戻るようになっていた。

 初めは気のせいかと思っていたけれど実際に時間を計ってみるとコマの味覚が戻るまでの時間が以前よりも明らかに短くなっているではないか。


「勿論いつも通り触媒のリンゴジュース使ったらもっと早く味覚が戻るようになったよ。それに……ありがたいことに味覚の持続時間もかなり伸びてるっぽい」


 おまけに……前までは一時間が過ぎるとまた味覚が失われていたけれど、今では大体3時間くらいは味覚も保つようになったコマ。このお陰で食事のタイミングにかなり融通が利くようになってコマも助かっているようだ。


 実は今日だって海へ向かう前にコテージで一度コマと口づけを交わしておいたお陰で、お昼ご飯の為の口づけはやらずに済んだ。

 数か月前まではひと気のない場所や更衣室等をわざわざ探さなきゃならなかった点を考えると、これは大進歩と言えるよね。


「なるほどな。どうなる事かと少しばかり不安だったが中々良い傾向みたいじゃねぇか。正直ホッとしたよ。今までは手探り状態だったが……やっと回復の兆しが見えてきたみたいだな。……良かったなマコ。6年に及ぶお前とコマの頑張り、ようやく実を結び始めたぞ」

「……うんっ!」


 いつもはあまり見せることは無い優しい顔で私を褒めるようにそう言ってくれる叔母さん。

 ……この人ズルいよなぁ。普段はアレな人だからこそ、こういう時の優しい顔を見せてくれるのが……ちょっと効く。悔しいけど嬉しくなっちゃう。


「……あ、でもね叔母さん。心療内科の先生さんにも言われたんだけどさ、コマのトラウマって……かなり根が深いんだって」

「……なるほどな。まあ、そりゃそうだ。……ったく。姉貴たちあの屑共も余計なものを残してくれやがったもんだよな……」


 ただ、安心するのはまだ早い。薄々はわかっていた事だけど、やはりコマの味覚障害は―――そして6年前の傷は一朝一夕で治せるほど単純なものではなかったようだ。


「予想してた通り6年前のあの日の出来事が原因で味覚障害を引き起こしているってその先生に断言されたんだ。だからそこのところを重点的に解きほぐして貰っているんだけど……かなり手強いみたい」

「……そっか」


 そもそもあくまで発動時間が短くなったり持続時間が伸びただけで、コマの特異体質自体が治ったわけじゃない。それに今は良い傾向と言えるけど……いつ何が原因で、それが悪い方向へと向かっていくかもわからない。

 だから油断せず、これまで以上にコマと共に辛抱強く味覚障害と向き合っていく必要があるだろうね……


「まだまだ療法を続ける必要があると思う。……だからその、叔母さんも大変だとは思うけどさ。コマの事を……どうか温かく見守ってあげてください。お願いします」

「……こらこら。何を今更改まって畏まってんだ。そういうの良いから」


 頭を下げて頼み込む私を、叔母さんは苦笑交じりにその頭をわしゃわしゃと撫でる。


「安心しな、わかってるよそんな事くらい。まあ、お前も無理しない程度で頑張りなマコ。アタシもアタシで出来ることがあれば協力するからな」

「……うん。ありがと叔母さん。私もっと頑張るね」


 まあ、とはいえ私がやるべき事は6年前から何一つ変わらない。

 すべては愛する妹の為、いつか来るコマの味覚障害完治の日が来るまで……コマに寄り添って自分に出来る事を精一杯頑張るだけだ。頑張ろう私、頑張れ私……!


「それにしても……味覚を戻す時間の短縮と持続時間の増大か。そりゃお前にとっても喜ばしい事だなマコ」

「えっ?喜ばしい……?」

「これでお前の負担も少しは減っただろ?毎回毎回ことある事にキスなんてしてたわけだし、相当大変だったもんなー」

「…………あ、ああうん……そう、だね……」

「ん……?どうしたマコ。そこはもっと喜ぶところだろうが。何だか浮かない顔してるけど何か問題でもあるのか?」


 と、いつものように自分で自分に鼓舞していると叔母さんがそんな事を言ってくる。その叔母さんの一言に、少し表情を曇らせてしまう私。

 ……うぅん……まあ確かに手間的な意味では楽には……なったんだけど……


「……いや、その……さ。味覚戻る時間の短縮と味覚の持続時間の延長は……確かに良いこと尽くしではあるんだけどさ……」

「だけど何だよ?」

「……それね、一つだけ……があってね。私そのことが気がかりで……」

「は?欠点?……お、おいおい……もしかしてそれに何か不都合な事でもあんのか?」


 叔母さんが再び真剣な表情を見せて私に問いかける。そう、このコマの特異体質の改善は良き方向へと向かっている一方で……私にとってかなり痛いデメリットが生じてしまった。

 これは……正直かなり由々しき事態だと言えるだろう。


「うん。すっごくヤバい不都合なんだ。もうホント大変な事なんだよ……」

「……(ゴクッ)大変な事、だと?一体何なんだよマコ。勿体ぶらずに教えろよ」


 息を吞み、私の言葉に身構える叔母さん。その叔母さんに私は衝撃の発言を繰り出す。


「わからない叔母さん?よく考えてみてよ。味覚が戻るまでの時間が短縮される上に、味覚の持続時間が延長されるんだよ?って事はさ、つまりは……」

「つまりは?」

「つまりは―――






―――相対的に、コマと私が口づけする時間が、大幅に減ってしまうって事なんだよ……ッ!!!」

「…………は?」


 そう。今まで何かにつけて言い訳をしながら妹の唇を遠慮なく奪っていた私にとって、この変化は死ぬほど辛いものだったのである。


「……無論、コマに回復の兆しが見えたこと自体は私だってめちゃくちゃ嬉しいさ。これって私にとっても長年の悲願だったんだもん。……だけど!嬉しいのだけれども……!そのせいで合法的にコマと口づけ出来る時間も、口づけ出来る機会もめっきりと減ってしまうのは……本音を言うと死ぬほど辛いんだよぉ…………ッ!!?」

「…………」


 以前は一日計30分以上はチュッチュしてたのに……今ではその半分程度の時間しか口づけ出来なくなってしまった。嗚呼……辛い……正直辛すぎる……!

 神よ、これは私に課せられた試練なのでしょうか……!?


「心の底から喜びたいハズのに本心からは素直に喜ぶことが出来ないこのジレンマ、一体どうすれば良いと思う叔母さん!?私、どうしたら良いんだろうね叔母さん!?」

「……やかましい。心っっっっっ底、どうでもいいわ。真面目な話をしてたと思ったらすーぐこれだよ……この変態姉め」

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