第53話 ダメ姉は、海を堪能する

 コマに日焼け止めを塗って貰ってから数分後、乱れた息と抜けた腰を何とか気合で正常に戻した私。……いや、本音を言うとコマに触れて貰った身体はまだかなり敏感になっていて、本調子とは言えないんだけどね。

 ……今も下手に触られたらまた…………しょ、昇天しそうだし。


「うーむ。改めて言うまでもないけど……ホント良い海だよね」

「そうですね姉さま。水も砂浜もとても綺麗で…これ以上ないくらい美しくて素敵な海ですよね」

「ねー!今まで体験した中で一番の海かも!」


 それでも。こんなにもキラキラと輝く素晴らしい海と、その輝き以上に光り輝く美しきコマがこの私を待っているのだ。シートの上でただただ無様に寝転がっているわけにもいくまい。ビクンビクンと痙攣していた身体に鞭を打ち、コマの手を引いて夏の海へと繰り出した。


「おぉー……冷たくてきもちー!」

「ええ本当に。今日は特に暑いですからね。そのお陰か余計に海の冷たさが心地良いですね」

「だよねー!うーん、良い。このヒンヤリ感……最っ高……っ!」


 まずは波打ち際までコマと二人で近づくと、寄せては返す波が私たちの足首から下を勢いよく濡らす。

 今日は周囲が揺らめくくらいの真夏日で、じりじりと太陽に熱せられた砂浜がビーチサンダル越しでさえ熱かっただけに……余計に海の冷たさがめちゃくちゃ気持ち良く感じちゃう。


「こんなに気持ち良いのですし、叔母さまも海で遊べば良いのに……勿体ないですよね。あんなところで横になってるだけでは却って暑いでしょうに」

「あはは、言えてる言えてる」


 そう言ってコマは振り返り、相変わらずビーチパラソルの下でビーチチェアに寝そべっている叔母さんを見つめる。

 私もコマに釣られるように振り返ると、何かを(十中八九お酒だろうけど)飲みながら、夏の暑さに負けて汗だくになっている叔母さんがサングラス越しに太陽を恨めしく眺めている様子が見えた。


『あーつーいー……この熱気と眩しさ何とかならんのか……おいシュウ、あのうざったい太陽何とかしろー……』

『それは私に言っても何ともなりませんよ。文句なら太陽に言ってくださいな』

『じゃあシュウ、扇げー……少しでもアタシを涼しくしろー……』

『はいはい。わかりました。……というか、暑いなら目の前に広々と海が広がっているわけですし、泳いだらどうですか先輩。きっと冷たくて気持ちいいと思いますよ』

『泳ぐの疲れるしヤダー……』

『……では先輩は一体何のために水着を着て海へやって来たんですかね……?』


 ちなみに私たちをこんな素敵な海へと連れて行ってくれた編集さんは、暑がっている叔母さんを団扇で扇いだり飲み物を用意したりと甲斐甲斐しくお世話をしてくれているみたいだ。

 ……叔母さんの面倒見るの大変そうだなぁ……大人なのに我が儘気ままな大きな子どもですけど、叔母さんをどうかよろしくです編集さん。


「…………姉さま」

「ふぇ?どったのコマ―――」

「えーい!」

「わぷっ!?」


 と、叔母さんたちのいる方へ視線を向けていた私の顔面に、突如として冷たい海水が浴びせられた。防御する暇もなくもろにかけられたお陰で目も鼻も口の中にも海水が侵入し、海の水ならではのしょっぱさが私を襲う。な、なにごと……!?


「こ、コーマー…!」

「えへへ。隙あり、ですよ姉さま♪」


 ぺっぺっと口に入った水を吐き出し、目を拭ってよく見ると……いたずらっぽく笑いながら足元の海水を両の手で掬っている私の小悪魔:コマの姿が私の目に映ったではないか。

 や、やられた……叔母さんの話題を出してから叔母さんの方に意識を向かわせて、私が完全に油断したところを狙ったのか……おにょれ……流石に賢いなコマ……っ!


「や、やってくれたねコマ!コマも水浸しの刑にしてあげるから覚悟するよーに!」

「ふふふっ、姉さま。それはこっちの台詞ですよ。さあ、私を捕まえてみてくださいな姉さまー♪」

「コマ待てーっ!ぜーったい、逃がさないんだからねー!」


 楽しそうに海の中に入って逃げるコマを追いかける。そんなわけでまずはコマと二人の水の掛け合いっこが始まった。やられっぱなしじゃいられない、今すぐコマを濡れ濡れ透け透けの水も滴る良い女にしてあげるんだから……っ!


「ていっ!てーいっ!―――うわっぷ……!?」

「どうしましたかー?私、まだ一度も姉さまに当てられてませんよー?」

「くぅ……あ、当たらな……んくっ!?」

「ほらほら姉さま、頑張って♡」


 そう意気込んでコマに向かって水をかける私だったけど、まるでダンスをするように優雅にコマは私が浴びせる水をことごとく避ける。

 私の動きが手に取るようにわかっているみたいに、どれだけ私が水を浴びせてもひょいひょいっと余裕で躱し……そして水を補充しようと屈んだ私に的確に水を浴びせてくる。


「ま、まだまだーっ!くらえコマ―――ガボボボ……っ!?」

「甘いですよ姉さま。そんなんじゃいつまで経っても私を濡らすことは出来ませんよー?」


 フェイントをかけてみたり、がむしゃらに全方位に水を浴びせてみたりと色々やってみた私だけれども、コマには全く当たらずに逆に私の方は全身濡れ鼠。

 ぐぬぬ…や、やっぱり当然と言えば当然だけど、こういう身体を動かしたりする系はコマの方が一枚も二枚も上手らしい。参った、マジで全然当たる気がしないや。…………よーし、こうなったら。


「どうしましたー?もう終わりですか姉さまー?来ないならまた私が―――姉さま?」

「っ……うぅ……」

「っ!?ね、姉さまッ!?」


 コマが再び私に水を浴びせようとしたところで、目を両手で覆ってその場でうずくまる私。


「ど、どうなさいましたか!?もしやどこか痛めたのですか!?」

「うぅ……こ、コマ……す……」

「す!?な、何ですか姉さま!言ってください!」

「す……」


 心優しいコマは、案の定慌てた様子で私に駆け寄って心配そうに私の顔を覗き込む。だが…………かかった……ッ!


「す、す……す…………隙ありィ!」

「え、わ……きゃっ!?」


 反射神経抜群なコマでさえ躱せないところまで距離を詰められたのを、指の隙間から確認すると同時に……覆っていた手を勢いよく離してその手でコマを力一杯抱きしめる私。

 ほとんど体当たりに近い飛びつきだったうえに、ここは踏ん張りが効きにくい海の中。流石のコマもバランスを崩してしまい―――



バシャーン!



 と、水しぶきを上げて二人海の中に倒れてしまう。膝下が浸かる程度の場所で掛け合いっこをしていたから、溺れることなくそのまま浮かび上がる私たちだったのだけれど……元々濡れていた私は勿論、全然濡れていなかったコマもずぶ濡れ状態に。


「「…………」」


 抱き合ったままコマと目を合わせる私。数秒ほど二人とも無言だったけれど、


「…………ぷっ」

「…………ふ、ふふ……」

「「あはははははっ!」」


 ほとんど同時に二人で声を上げて笑い合う。あー、面白かった。


「どーだコマ!宣言通りに水浸しの刑を執行させてもらったからねっ!」

「ふふふ……もう、姉さまったら。今のはちょっとズルいですよ。あまりビックリさせないでくださいな。心臓に悪いです」

「あはは、ゴメンゴメン。……でーも。そういうコマこそ、いきなり水を浴びせるんだもん。ビックリしちゃうじゃないの。このイタズラっ子めー!このこのー!」

「きゃんっ♪ふふっ…ごめんなさーい姉さま」


 最初に水を浴びせられたお返しにコマのわき腹をくすぐってあげる事に。海の中でクラゲのようにぷかぷか海に漂いながら、より一層笑い声を高くする私とコマ。


 さあ、次はコマと一緒に何をして遊ぼうかな。



 ◇ ◇ ◇



 そんな感じで海の中で水の掛け合いっこをしたり、泳いだり、砂浜で砂のお城を作ったりと全力で海を堪能した私たち。気づけばあっという間に海へ来てから一時間以上が過ぎていた。

 時間的にもそろそろお昼時。若干疲れたしお昼ご飯の為に休憩がてら一旦遊ぶのを中断する事に。


『それじゃあ、私がお昼ご飯を買いに行きますね』

『アタシはビール―――じゃない、全員の飲みもん買ってくるからな。任せとけ』

『では私はコテージで冷やしているスイカを取りに行きますね。食後はスイカ割りをしましょう。きっと楽しいですよ』


 コマや叔母さんたちと話し合った結果……コマがお昼ご飯の調達、叔母さんが飲み物の調達、編集さんがデザート兼スイカ割り用のスイカや金属バットを調達に行くことになった。

 ちなみに私はシートで荷物の番をさせてもらっている。一番楽な役割なだけにちょっと皆に申し訳ないなぁ……なんてことを考えながら3人が帰ってくるのをしばし待つ私。


「……うーん、それにしてもコマ遅いなぁ……」

「ええ。先生も随分と時間かかっていますよね」


 それから10分後。シートに座ってボーっと海を見ながら待ちぼうけを食らっている私と編集さんがそのように呟く。

 てっきりすぐ傍の海の家で食料&飲み物を買いに行ったコマか叔母さんが最初に戻ってくると思っていた私だけど……一番先に戻ってきたのは、距離的に一番遠いコテージまでスイカ等を取りに行った編集さんだった。


「も、もしかしてコマたち何かあったんですかね……?」

「コマさんと先生に、ですか?さて、どうでしょうね……確かに食べ物や飲み物を買うにしては時間がかかり過ぎている気はしますが」


 あまりにコマ(と叔母さん)の戻りが遅いからちょっと心配になってきた私。まさかとは思うけど……何か事件や事故に巻き込まれているとかだろうか?そう例えば―――


「―――ハッ!?た、例えば……コマが海で溺れたり……とかッ!?」

「へ……?」


 自分で言っておいて背筋が凍る。も、もしもコマが海で溺れたりでもしたらと思うと私……


「ま、待っててねコマ!お姉ちゃんすでに心臓マッサージおっぱいモミモミ人工呼吸ディープキッスをちゆり先生と沙百合さんに免許皆伝してもらってるからねっ!今すぐにでもコマを救って見せるからねっ!」

「マコさん色々落ち着いて。興奮しすぎて何だか凄いルビ振りをしてますよ。あと鼻血鼻血」


 思わず取り乱して鼻血をまき散らしながら海へ向かって駈け出そうとした私を編集さんがティッシュを手渡しつつ鎮めてくれる。


「す、すんません編集さん……お、お見苦しいところを……見せてしまい」

「いえいえお気になさらずに。……二人ならきっと大丈夫ですよマコさん。仮にコマさんや先生が溺れているなら、今頃ライフセーバーの方々が気づいて慌ただしくしているハズでしょう?救急車が呼ばれた様子もありませんからその心配はありませんよ」

「あ……そっか。い、言われてみればそうですね」

「やはりお昼時ですし、海の家が混んでいるだけだと思いますよ。もうすぐしたらきっとお二人も戻って―――ああ、ほらマコさん。噂をすれば何とやらですよ」


 と、編集さんが指差した先には食べ物や飲み物を抱えたコマと叔母さんの姿が。


「お、お待たせしました姉さま、編集さま」

「うーっす。待たせたな。ホレ、飲みもんだ。受け取りな」

「お帰り二人とも。ありがとねー」

「お疲れ様でしたコマさん、先生。さあ、お昼にしましょうか」


 買ってきてもらった焼きそばやジュースをコマたちから受け取ってシートの上に広げる私と編集さん。

 ……良かった、見た感じコマも叔母さんも怪我一つなく無事みたいだ。何か事件や事故に巻き込まれたわけじゃなさそうだね。ちょっとホッとする。


「なんか随分遅かったけど何かあったの二人とも?」

「やはり海の家が混んでいたのですか?大変でしたね」

「えっ!?あ、いえその……そ、そこまで混んでいたというわけでは無いのですが……」


 紙皿や割り箸を準備しながら戻りが遅かった二人にそう尋ねてみる。すると尋ねられたコマはその問いに対して言い淀んでいるではないか。ん?何だろうこのコマの反応は?


「ああ、それがなぁマコにシュウ。聞いてくれよ」

「っ!?お、叔母さま!?」


 言い辛そうにしていたコマに代わって、叔母さんが何やらうんざりした表情で切り出す。


「実言うとメシ調達はすぐに出来たんだがな……そのあと大変だったんだぜ」

「大変?何の話なの叔母さん?」

「それがよぉ……コマのやつが数人の男連中にされててな。そのせいで遅くなっちまったんだよ」

「ふーん」


 なるほどナンパかぁ。そっか、やっと理解できたよ。だからコマがこんなに戻りが遅かったん―――いま、おばさんなんていった?……ナンパ?


「ナンパ、ですか。それはまた大変でしたねコマさん」

「そうなんだよな。あれはもうホントしつこかったぜ。コマの奴がいくら『家族で来てますので』とか『私には心に決めた人がいますので』とか言ってもよ、そいつら全然聞きやしねーんだよ。あまりにしつこいから、アタシがそいつらにビンタ喰らわせて追い返してやったわ!ハッハッハ!」

「お、叔母さま!心配かけたくないから姉さまには内緒にしてって約束でしたでしょう!?」

「ん?…………あ、ワリィ。そういやそうだったな。スマン、そういうわけだから今の無し。忘れてくれマコ」

「もう遅いですよ叔母さま!?」


 得意そうにナンパにビンタしたことを自慢する叔母さん。私にバラされたくなかったのだろう、慌てた様子でコマがその叔母さんに向かって文句を言っている。……ふーん、そうなんだ。コマに、ナンパか。…………ナンパか……

 やれやれ……全く、叔母さんったらダメだなぁ。いくらコマをナンパしたヤロウ共が相手だからって、見ず知らずの人に向かってビンタするなんて。いくらなんでもそんなのは…………






 


「ね、姉さま。違うんですよ?あ、あれはそのぅ……多分夏の海のお約束的なものでしょうし。相手の男性方も恐らく本気ではなかったと思います。ですので、姉さまが心配なさる必要は何処にも―――姉さま?」



 ブンッ! ブンッ! ブンッ!



「あ、あの……姉さま?どうして姉さまは金属バットで素振りしているのですか……?そ、それに……ちょっと目が殺気立っていると言いますか……怖いような……」

「んー?ああいや何。これからやるスイカ割りのイメージトレーニングをしておこうと思ってね」

「そ、そうですか……」

「あ、編集さん編集さん♪ちょーっと早いですけど、予定を繰り上げてご飯の前にスイカ割りをしませんか?」

「えっ?い、今からですか?ええっと……ま、マコさんがすぐにやりたいなら私は構いませんけど……」

「ありがとうございますっ!…………それじゃあとりあえず叔母さん。コマをナンパしやがったスイカナンパの顔の特徴を教えてくれないかな?全部私が綺麗に割ってくるからネっ!」

「……オメーは一体、何を割るつもりなんだマコ」


 スイカですが、何か?


 …………尚、この直後バットを叔母さんに没収された私。むぅ……半分冗談だったんだけどなぁ……

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