第3話 ダメ姉は、決意する

 味覚障害になった最愛の妹の力になりたい一心で、あろうことかその実の妹に半ば無理やり口づけ―――正確には口移しをしてしまった私。その時はただ単純に、無理にでも栄養をとってもらいたかっただけだったんだけど……


「あま……ずっぱい…」

「……え?こま、今なんていったの?」

「りんごの……りんごの味がする……!」


 その口移しは思わぬ効果を妹にもたらした。


 そんなコマの発言に、慌てて現場にいた先生が妹に対して再び濾紙を使った検査や微弱の電流を流す検査、それから血液検査や問診を行うと。


「……ビックリ。コマちゃん、濾紙ディスク法検査も電気味覚検査も正常。完全に味覚が戻っているようね」


 それは一体どんな原理か理屈か、それまでの事が嘘だったように妹の舌は元に戻っていた。私との口づけは……失われたはずの味覚を呼び起こすことになったのだ。


「ショック療法……みたいなもんかねぇ。まさかキスで味覚が戻るとはなぁ。王子様のキスで目ぇ覚ました白雪姫じゃあるまいに……つか、こんなことってあるものなのかい先生?」

「ありえない話では無いと思います。亜鉛不足や薬の副作用による味覚減退ならともかく、今回のコマちゃんの症状はによるもののようでしたから。マコちゃんの先ほどの行動がコマちゃんの脳が感じる味覚に刺激を与え、そのお陰で味覚が元に戻っても……そう不思議なことでは無いかと」

「ふーん……まーアタシにはよくわからんが。とにかくマコ、よくやったな。偉いぞ」

「マコちゃんお手柄よ、流石お姉ちゃんね」

「えへへー」


 ……先生の説明を要約すると、コマにとっては姉にファーストキスを奪われるということは味覚を忘れた事以上のショックだったという意味だったのだろう。

 叔母と先生に褒められたこと。そして何よりも妹の味覚が戻ったことに浮かれていて、その事実にようやく気付いたのは数年後の事だったのだけど。


 一応その当時は私も変態ではなかったし勿論悪気もなかったけれど……大事なファーストキスを奪っちゃってゴメンねコマ……


「味がもどって良かったね、こま!」

「お姉ちゃんほんとにありがとう……!」

「わ、わわわ……!?」


 ともあれ。味覚が戻ったことでここしばらく曇っていた表情が一転して、花が咲いたような笑顔を見せるコマ。歓喜相まって、私にギュッと抱きついてくれた。

 ……ああ、何と幸せな姉なのだろう私は。存在するか知らないが神様ありがとう。妹を助けてくれた上に味覚を元に戻してくれただけでも嬉しいのに、こんなサービスまでしてくれるなんて……アンタマジ最高だよ。そんなことを小さいながらも考えていたと思う。


 ……さて。ここまで説明すると


『姉の妹を想う気持ちが奇跡を起こす!』


 とか


『これにてハッピーエンド!イイハナシダナー』


 で、この話は終わりそうにも思えるだろう。……ところがどっこい、現実はそう甘くない。この話には続きがあるのだ。


 6年間ずっとこれを口実に妹の甘露を啜っている私が言うことでは無いかもしれないけれど、出来ることならそのまま平穏に終わってほしかったのだが……

 その事実が発覚したのは、コマの味覚障害が治ったかに思われてから数時間後。夕食の時間の事である。


「こま!ご飯だよー!味わかるようになったしきっとおいしいよー!」

「うん。お姉ちゃんのおかげだね。楽しみだよ」


 18時になり配膳される夕食。コマにとってはしばらく味がわからなくなって二、三日経った後の久しぶりのまともな食事になる。当然コマも楽しみにしていたことだろう。

 そんな妹の喜ぶ顔が見たくて、配膳車の音が聞こえてくると同時に駆けつけて受け取り、急いでコマの目の前にトレーを差し出した私。


「―――この検査結果なら、コマちゃんは明日、明後日には退院出来ると思います」

「そうかい。あんがとね、先生にはホントお世話になったねぇ」

「いえ。コマちゃんの頑張りと宮野さんやマコちゃんの支え合ってのことですよ。それで、今後の手続きですが……」


 コマが入院している個室部屋には叔母さんと先生も来ていた。大人の二人は『念のためもう一度コマの食事の様子を見て、問題なければすぐに退院できる』なんて会話をしていて……コマもすぐに退院できる―――その事実がなおの事、私を喜こばせテンションを最高潮まで引き上げていた。


「ささっ、こまどーぞ!あー、そーだ!おねーちゃんがあーんしてあげるねー♪」

「……っ!う、うん……ありがとうお姉ちゃん……ど、どうかおねがいしましゅ……」


 テンションが上がったままちょっと行儀は悪いしおまけに叔母や先生が見ている気恥しさもあったけど、味覚が戻った記念にとコマに『あーん』で食べさせてあげる私。

 私以上に恥ずかしそうではあったけど、コマにしては珍しく『お姉ちゃん、ぎょうぎ悪いよ』とは言わずに私に従って雛鳥のように口を大きく開ける。絶対に怪我だけはさせぬように、慎重に…まずはコマの好物のきんぴらを口の中に入れる私。


「はい、あーん」

「はむっ、んむんむ……」


 嬉しそうに頬張り、久しぶりの味のある食事を堪能するようにポリポリとよく噛むコマ。きんぴらはコマの好物だし、ここの病院食は結構おいしいハズ(コマが味がわからずご飯が食べられなくて、代わりに私がしばらくコマの残したものを食べていたからそれは実証済み)。

 だからきっと喜んでくれるに違いない。そう思い、コマの笑顔を楽しみにじっとそのコマの表情を見つめていたの私だったんだけど―――


「どーお?おいし?」

「………ぅえ」

「あ、あれ?こま……?」


 ところがどうしたことだろう。花咲く笑顔を期待していた私の目に映るのは、眉間にしわを寄せて不満そうな、残念そうな、それでいて悲しそうな色々な負の感情が見え隠れするコマの表情。え、何で……?


「あ?どうしたコマ?何だその何とも言えん顔は」

「あら?もしかして美味しくなかった?」


 その妹の表現しにくい表情に、叔母も先生も心配そうに顔を覗き込む。


「こま……?きんぴら、まずいの?」

「……」


 一応ごくりと呑みこんで、困惑した表情でコマは一言こう言った。


「……お姉ちゃん」

「う、うん……?どしたのこま?」

「…………味、またわからなくなった…」

「「「…………あれ?」」」



 ◇ ◇ ◇



 ……とまあ、長い説明と昔話で悪かったが、大体こんな感じで今に至る。私のお陰で治ったかに見えた妹の味覚障害は……妙な方向へと悪化していったのだ。


 そう。私とコマが口づけを交わしたあの日以来……


「ッ…ふぅ―――ぅうん」

「っんむ…ふぁ……マコ姉さま、もう大丈夫です。お待たせしました」

「おっ?もしかして戻った?」

「お陰様で完全に戻りました。お手数をかけましたね」


 私とこうして口づけをして舌と舌を重ね、丹念に舐め合い、お互いの唾液を交換し合い……ゆっくりと舌を慣らして舌の存在を、そして味を思い出させる―――6年間毎日毎食欠かさず行われるある種の宗教めいた儀式のような行為をしなければ、ご飯の味がわからないという体質になってしまった。


 これをしないと、私が妹のため丹精込めて作ったお弁当の味は勿論のこと、炊き立てホカホカの美味しいお米の味も高級レストランの素敵ディナーも、叔母さんがうっかり塩と砂糖を間違えて生成した塩味効きまくりのクッキー(?)も……妹にとっては全て等しく無味乾燥な只の物質になってしまうそうだ。


「よし、んじゃ早く食べちゃおうか。流石にお腹すいちゃったし、うかうかしてたらまた味がしなくなるもんね」

「不便な体質で申し訳ありません…まあ、それ以前に早く食べないと昼休みが終わってしまいますから急がねばなりませんけど。では姉さま、頂きます」

「ほいほいどうぞ召し上がれ」


 しかもこれ、どういうわけか時間制限タイムリミット付き。コマの担当医の先生にあれから色々調べてもらったところ……一度私と口づけをして完全に味覚が戻ってから大体一時間程度が過ぎると、またフッと味覚が消えてしまうらしい。

 だからその時はまた今と同じように、私と口づけを交わして味覚を戻す必要があるのである。


「あら……?このアスパラの肉巻き、いつもと味つけ違いますよね?」

「おぉ。よくわかったね。ちょいとチャレンジしてみた。どう?おいし?」

「ええ、とっても美味しいです。流石姉さま、日々腕が上がっていますね♪」


 お弁当箱を広げ、妹と楽しく雑談をしながらもふと考えてしまう。


 ……そうだ。わかっている。悪いのは私だ。あの時コマを看病してやれなかったのも、その前に父と母のいざこざを止められなかったことも、この行為を依存させてしまったことも……止めさせようとしなかったことも―――悪いのは、全部私なんだ。


 あの時の口づけだって、本当なら先に頼りになる先生に任せて科学的で適切な治療をしっかりと受けておけば妹の味覚だって今頃は普通に戻っていたかもしれない。

 ……それなのに私の短絡的で突拍子もないあの口づけのせいで、余計にややこしいことになってしまったわけだし―――つまり、結局のところ、悪いのは私で……ああいかん。ちょっと自己嫌悪の渦に……


「―――さま。姉さまっ!」

「は、はいっ!?な、なんでござんしょ?」

「……泣いていますよ、姉さま」

「うぇ?泣いてる……?」


 そんなことを考えていると、私にしてはちょっぴりセンチメートル…………じゃない、ええっと何だっけ―――そうそう、センチメンタルになっていたらしい。お弁当を食べながら無意識に涙を零していたようで心配そうにコマが私を見つめる。いかん、ここは誤魔化さないと……


「ありゃホントだ。ははは、目にゴミでも入ったかなぁ?」

「……泣いているのは私のこの体質のことを考えていたから、ですよね?多分姉さまの事です。『自分のせいでコマの味覚障害が悪化した』なんて考えているのでしょう?」

「あ、いやそんな……ことは……」

「そんなことは、ありますよね?……全く、姉さまが気に病む必要が一体どこにありますか」


 誤魔化そうとしたけれど、すぐさま看破されてしまう。私の妹、相変わらず鋭い。あ、いや。この場合は私がわかりやす過ぎるだけか……?

 そっと自身のハンカチで私の涙を拭い、私の顔を覗き込むように真剣な表情で向かい合う。……おお、凛々しいコマ素敵―――じゃない。真面目な話だよね、ゴメン。


「すみません姉さま。私もこの体質は、治さねばならないという事はわかっているんです。このまま続けるのは良くないという事も……わかっているんです。姉さまにも多大な迷惑をかけていますし」

「…………迷惑なんかじゃないし、別に治さな―――っ!」


 思わず『治さなくてもいいよ』と言いかけて、グッと堪えてその言葉を飲み込む私。い、いかんいかん……何血迷ったことをしようとしてるんだ……


 正直に告白しよう、私の本音としてはこのままずっと妹に依存されて、そしてこの甘美でインモラルな行為を続けられるなら一生続けても良いと思っている。と言うか、もしも許されるのであれば永遠に妹とちゅっちゅっしていたい。切実に。


 ……けれど、ダメだ。いずれこの夢のような時間は、こうなる原因を作った私の手で壊さねばならない。出来ることなら、早いうちに妹のこの体質を元に戻してやる必要がある。それは姉としての義務なのだから。

 何故治さないといけないのかって?そりゃ決まっている。この奇妙な口づけはからだ。


 まず一つ。普通に考えればわかる通り、このままでは妹が姉離れ出来ないから。もしこのままずっとこの味覚障害が治らなければ……これまで同様、妹はご飯を食べるごとに私と口づけを交わす必要が出てくる。


 とりあえず今はまだ良い。私もコマも一緒の家で一緒に暮らしていて、しかも同じ学校に二人で通っているわけだし。けれどこの先の未来……例えば私と妹が別の高校や大学に行くことになった場合は非常に困る。距離が近ければ問題ないだろうが、それが他県の学校とかだったら?……その場合、毎食時コマの味覚を戻すため遠く離れたコマのいる場所まで行くのは物理的に無理が出てくるだろう。

 何よりこんなシスコンの私に一生付きまとわれ、毎食ごとに口づけをしなければならないなんてコマだって絶対に困るハズ。今でこそ私を慕ってくれる良き妹だけど……近い将来反抗期が来て『姉さまとキスとか気持ち悪い!ホントに嫌!』となった場合や、妹に彼氏さんが出来てしまった場合は―――


「……あの姉さま?また泣いていますが、今度はどうしたんですか……?」

「はは、これは花粉症だよ。四月はホント辛いよね、気にしないで」

「姉さま何かアレルギーなんてありましたっけ…?」


 ……自分で言ってて泣きたくなるほど悲しくなってきた。妹に反抗期とか彼氏かぁ…………嫌だなぁ……辛いなぁ……

 ま、まあともかく。物理的にも精神的にもコマがわたし離れできなくなるのは良くないだろう。


 次に、周囲にこの事実がバレた場合非常に困ることになるから。例えば今何かの拍子で私たち双子が口づけをしているところを友人たちに見られた場合、(シスコン&変態宣言しており周囲からすでに手遅れと判断されている私はともかく)妹の学内の……いや学内だけではない、社会的地位までもが危うくなりかねない。

 ちなみに余談だけど。今でこそこの鍵付きの部室のお陰で誰にも見られずにこの口づけを出来るのだが、一年生の時はかなり大変だった。人気のない場所を探し、急いで見られないように口づけをして……時には体育倉庫でやったり、時にはコンビニに二人で弁当買いに行くと言い訳しわざわざ学校を出たりと結構面倒だったわけで。


「(だからこそ誰も入りたがらない、こんなボランティアを自主的にやるめんどくさい部に入っているわけだけど)」


 ……そして最後に。これが最も重要なのだが。もう何度も聞いたと思うが私は超が付くほどシスコンだ。妹の事が大好きで、心の底から愛してる。だからこそ、このままではひじょーにマズい。

 それのどこがマズいのかって?…………うん、あれですよ。昔は今のように邪な心は無く、ただ純粋に姉としての責任感から口づけしていた私だけれど……ここ最近は―――


「(…………コマって、日に日に色っぽくなってるんだよね)」

「…?姉さま、目が血走っているような気がするのですがどうしましたか?」

「うん、これも花粉症の症状だね。怖いね花粉症」


 ここ最近はその…私も思春期真っ盛り。妹と口づけをしていると―――罪深いことに妹に対して欲情ハァハァしてしまうわけでして。


 口づけをするたびに触れ合う形の良いぷっくらとした柔らかくて愛らしい唇。息継ぎするたび聞こえてくる甘く蕩けそうな吐息。何かを訴えてくるような切なさを秘める潤んだ瞳。石鹸とシャンプーそしてそれに混ざる少女特有の甘い香り。恥ずかしさと必死さで高揚し赤く染まる頬。時折胸同士が重なりその形の良い胸から感じる温かさと柔らかさと鼓動の心地よさ。


 …………ハッキリ言って、押し倒したい。抱きしめてそのまま妹と欲望のまま色々とシたい…っ!


「ね、姉さま……今度は鼻血が凄い勢いで出ているのですが……大丈夫なのですか?」

「これも全部花粉症のせいよ」

「鼻血出るのは花粉症の症状と言えるのでしょうか……?も、もしや別の病気では……?」


 うん、ある意味私も病気だね…まあこの通り、色々とアウトなことを口づけの最中つい考えてしまうわけで。すまん妹よ…こんな最低なことをいっつも考えてしまう変態姉で本当にゴメン、そういう意味でも私はダメな姉だ。


 ……こんな私だ。日に日に妹への想いがどんどん強く、そしてヤバい方向に向かっている。だからこのままずっと妹のこの体質を改善出来なければ、いつか―――それもかなり近いうちに押し倒して、妹に手を出しかねない。だからこそ……


「……ゆっくりでいいからさ、治せるなら治していこうか。私も頑張るから。絶対に、コマを治してあげるからね」

「……はい、姉さま。私も、頑張ります。姉さまと一緒なら頑張れます」


 妹の頭を撫でながら、そう宣言する。もしも叶うことなら妹と結ばれたいとも思っているし、この口づけの時間を終わらせたくはないのが私の本音。

 でも……私のせいで妹が辛い目に遭わねばならないのは、当事者である私自身が許せない。


「よしよし。コマはホントに良い子だねぇ」

「ええ勿論。私、とっても良い子ですよ、何せ私自慢の姉さまの血を引く双子の妹ですからね」


 そんな軽口を言い合い笑い合う私とコマ。妹への好きという感情を胸に秘めて、私は誓う。可愛い妹のために、遅くとも中学を卒業するまでに―――この口づけの時間を、私の手で終わらせてやるんだ、と。






「あ、ですがね、マコ姉さま……」

「んー?なにかなコマ?」

「例えこの体質が治っても、ですね」

「……うん?治っても?」

「……私、姉さまとこういうことをずっと続けられたらいいなーって……思っちゃってます。え、えへへ……♪」

「…………what?」

「ふふっ、甘えん坊ですよね私。味覚障害だけじゃなく、この甘え癖も治さなきゃとは思っていますが……今までずっとこうしてきましたし、姉さまとこうして口づけを交わしていると心がとても落ち着くんです。……すみません、迷惑ですよね」

「…………(だばだばだば)」

「……っ!?ねっ、姉さま一体どうしたんですか!?鼻血と涙が噴水のように溢れていますよ!?」

「花粉症……だから、大丈夫……だいじょうぶ……」


 妹の無邪気で可愛らしいおねだりに悩殺される。思わず『もうこれ治らなくていいんじゃね……?』と思ってしまう、さっきの決意が早くも鈍りそうなやっぱりダメな私であった。

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