喫茶店Comfort

忘れ物

都会の喧騒から離れた郊外に、ひっそりと佇んでいる喫茶店。遠目から見れば小さな洋館のように見えるそれは、近づいていくと蔓薔薇が絡みついたアーチを始め、所々に細かい装飾がなされているのが分かる。まるで、お伽噺の世界に紛れ込んでしまったような外観。ああ、何時見ても、何度見ても、心が踊る。

祖母の跡を引き継ぎ、今日からここで働くことになった私にとって、喫茶店"Comfort"は憧れの場所であり、心安らぐ場所だった。しかし、これからは私がお客様達をそんな気持ちにさせていかなければならない。不安と緊張で目を閉じると、祖母の言葉がいつでも甦ってくる。

「お客様のお話にはしっかりと耳を傾けること。そして貴女らしい微笑みを浮かべて、お客様をもてなしなさい」

祖母の柔らかな声を思い出すだけで、じんわりと暖かいものが全身に染み渡っていく。やはり祖母の声、言葉には人を励ます力がある。それこそ、魔法みたいな。先代マスターから力を貰った私はゆっくりと目を開き、トートバッグから扉の鍵を取り出して、鍵穴に差し込む。

かちゃり。その音は宝箱を開ける音のように感じた。とっておきの秘密を取り出すための。


「あれ、あの口煩い老婦人は?」

ドアに「open」のプレートを掛けて、喫茶店で出すとあるお菓子が焼き上がるのを待っていた時。前触れもない唐突なその声に、私は眺めていた写真立てを、勢いづけて伏せてしまった。ぱたん!と軽い音が響くがそんなの気にしちゃいられない。急いで視線を声の方へと、__まぁ私の前からなのだが__向けるとそこには1人の若い男性が、頬杖をついて座っていた。ちなみにComfortにはカウンター席しかない。

「お帰りなさい」

とりあえずお客様には間違いない。喫茶店Comfortならではの、"いらっしゃいませ"の意を伝える。祖母を知っているのなら、この挨拶にも慣れているだろう。

「んで、マスターはマスター」

「お婆ちゃ……先代マスターは自分はこの場所から身を引くべきだと仰っていました」

「辞めたのかい?」

「はい」

「で、次を引き継いだのがお前だと」

「はい。先代マスターにはまだまだ及ばないと思いますが、これから」

「別に俺は長ったらしい決意表明を聞きたいわけじゃないんだよね。……名前は?」

「……パトリシア。パトリシアと申します」

この人、不躾だわ。自分が名前を名乗らないからって。軽い不快感に眉をひそめながらも微笑みは絶やさない。

喫茶店Comfortにはいくつかのルールがある。そのうちの1つがお客様が名前を名乗らないこと。私も先代マスターからその理由は聞いて納得していたのだが、今この状況では狡いルールだな、と思わざるを得ない。しかし、客として訪れた男性は恐らく一生、記憶に残り続けるであろうルックスの持ち主だった。もし、また来店してくださったとしても、一番最初のお客様だとすぐ分かる。

「じゃあ、パティ」

「馴れ馴れしいですわね」

「……親睦を深めたくて?」

「口だけのお世辞は嫌味にしか聞こえません」

言っていないはずの愛称で呼ばれて肩をすくめると、男性はくつくつと笑った。

「いつまでも話が進まないのでご挨拶はこれ位にしておきましょう。ご注文はどうされますか?」

「なんかオススメある?」

「そうです、ね………」

私は失礼ながらもお客様に背中を向けて、棚へと手を伸ばす。そこにはお皿やフォーク、スプーン、コンフィチュールの瓶や紅茶の茶缶、コーヒーメーカー等々喫茶店運営に必要不可欠なモノが所狭しと並んでいる。それを見ながら少しばかり考えを巡らせて。私は振り向きざま、お客様へと尋ねる。

「甘い物、お好きでしたよね?」


店内の空気が甘く色づいていく。先程までは懐かしい木材の匂いに包まれていたが、なかなかこの匂いも悪くない。俺は忙しなく動くパティを横目に、改めて久方ぶりに開店した喫茶店Comfortの内装を見回す。先代マスター……アメリアの時と大して変わってはいないようだが、女の子ならではの工夫も見られた。例えば、窓。磨りガラスの部分は外から透ける心配が無いからか、薄手のハンカチやレースを掛けて、窓から入る光が形作る影を楽しめるようにしてある。他にカウンター席の上には控えめだけれども、可愛らしい色とりどりのキャンドル。きっと夜に訪れる客を想定したものだろう。アンティーク調の店内はアメリアが居た時よりも柔らかく、そして暖かな雰囲気を醸し出していた。どうやら、店内に吹いた新しい風は良いものだったらしい。

「よし、粗熱は冷めたかしら」

パティはミトンを外しつつ、満足そうな笑みを浮かべる。ふわり、とより一層甘い匂いで店内が満たされた。彼女は事前に出してあったラズベリーのコンフィチュールを手に取り、スプーンですくう。それをココア生地の上に乗せて、もう1つの生地で挟む。

「へえ、マカロンか」

「今日までに頑張って作れるようになった自信作の1つです」

美味しく出来てると思うんですけど、なんてパティは言いつつ出来上がったマカロンの上にラズベリーを乗せていく。それを真っ白な皿へと飾りつけた。

「飲み物は紅茶でよろしいですか?」

こくりと頷く。それを見届けるとパティはカウンター横のキッチンへと向かう。マカロンの粗熱が冷める間に彼女はお湯を沸かし、使う予定だと踏んでいたのだろう、ティーカップやポットを温めていた。手際が良い。それらをこちらへ持ってきて、棚から"Earl Grey"と書かれた缶を取り、開けた。ティースプーン1杯の茶葉がポットへと落ちていく。そこへお湯を注ぐと、茶葉が舞い上がった。同時に透明は琥珀へと染まりゆく。しかし、それに見惚れたのも一瞬。残酷にもパティはティーコゼーを被せた。ただの水が茶へと変化する奇跡は誰も見られないらしい。紅茶は恥ずかしがり屋のようだ、なんて何故かキザったらしいことを思った。パティはカウンターの上にあった砂時計を寄せ、逆さまにする。さらさらと、青い砂が零れ落ちて時を刻む。そういえばこの喫茶店には時計がないんだっけな。

三分間はひたすら無言だった。パティは砂時計が時を刻み終えたのを確認すると、ティーコゼーを取り、ティーカップに茶こしを入れ、アールグレイティーを注いだ。もちろん、最後の一滴まで。その手つきは慣れたもので、洗練された美を兼ね揃えていた。

「お待たせいたしました、アールグレイティーとココアマカロン、ラズベリーコンフィチュールサンドです」

ことり、という音を立てて俺の前に差し出されたティーカップと皿。まずは自信作だというマカロンを口に運ぶ。サクリとした食感、ココアの甘さとラズベリーの甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。美味しい。ゆっくりと味わった後、アールグレイティーに口をつけた。こちらも香り高く、記憶に残る紅茶とは全くの別物。ストレートだからかマカロンともよく合う。

「ど、どーですかねー…?」

ちらちらとこちらを伺ってくるパティ。

「美味しい。大したものだね。先代マスターにも勝る腕なんじゃないか」

素直に告げてやる。するとあからさまにパティは顔を真っ赤にして、ぱたぱたと手を振り始めた。

「いや、そこまで動揺することかい?」

「な、なんていうか、嬉しくって……今まで悪態ばっかりつかれてたから」

「おい」

「うふふ、失言でした。でも本当に褒めてくださりありがとうございます!」

それは年相応の、笑顔。眩しくて、明るくて。

_____何より愛おしい。

自然と、頬が緩んでしまう。と、同時にこの喫茶店から離れたくないと思っている自分に気づく。ああ、これじゃあまたアメリアに……いや、先代マスターに怒られるか?それは勘弁。

「さて、じゃあ俺はこれで失礼しようかな」

ちゃんと出されたものを完食してから。何枚かのチップをカウンターの上に置く。

「あ、最後に1つ」

席を立とうとした俺にパティの声が掛かる。

「この喫茶店、"Comfort"の意味ってご存知ですか?」

「………いや」

何やら話が続きそうなので、彼女の方へと体を向ける。パティはこれ以上に無いくらいの微笑みで俺を見ていた。

「実はゼラニウムという花の花言葉の1つなんです。ほら、玄関に赤い花があるでしょう?」

「ああ……その花」

これは先代マスターから変わらずにあった花だ。一際目につきやすい所にあるから覚えている。もっとも、先代マスターの頃は深紅、といった方がいい色合いだったが。

「Comfort、これは私達の国に伝わる深紅のゼラニウムの花言葉。意味は慰めや癒し、です。だから先代マスターは気に入ってそれをよく飾っていました」

「…この喫茶店にぴったりだな」

「だけど今日飾ってあるのは赤。それ、先代マスターきっての頼みで飾ってあるんです。きっと今日も"彼"がやって来るでしょう、でも自分の口で"彼"に伝えられる想いは少ないからって」

悪戯っ子のように。秘密を打ち明けるように。そのつややかな唇を開いて。

「赤いゼラニウムの花言葉。異国語のものになってはしまうのですが、それは」

意味ありげに、一拍置いて告げられる。


「"君ありて、幸福"」


思わず、言葉を失ってしまった。

脳裏をとんでもない量の記憶が過ぎっていく。


笑顔、希望、恋、接吻、そして。

紅茶の香り、くだらない会話、邪魔でしかなかったカウンターの線引き。

アメリアと、先代マスターという違い。


「ねぇ、***。私と生涯を共にしてくれる?」


この姿で彼女の前に現れて、客と店員という隔たりがあっても。例え、彼女だけが老いていったとしても。若かりし日の誓いを覚えていたのはどうやら、俺だけじゃなかったようだ。生きていた頃、彼女の隣に居てやれなかったという後悔は、皮肉にも今の姿で報われたらしい。

あぁ、それにしてもなんて分かりづらい愛の伝え方だろうか。こうやってパティを間に入れてくるのがなんとも言えず、いじらしい。想いが伝えられなくて友人に頼むただの恋する乙女か、"君"は。

「……どうか、アメリアに伝えてくれ。君に出逢えてよかったと。いつまでも君を心の底から想っていると。遅すぎるかもしれないけど、ね」

「そんなことはありません。臭いですが、愛は永久のものですから」

「……はは、ホントに臭いな。でもありがとう。それじゃあ、マスター。再び相見えることがあったら、その時はまたもてなしてくれ」

「ええ、もちろんです」

最後に彼は微笑んだ。それが、きっと"彼女"への答えだ。

ドアを開け、私はお客様が指先から解けていくのをしっかりと見送った。光る粒子が空気に溶けるまで。



喫茶店Comfort。

そこは死した人間の想いがカタチと成る場所。その想いを汲み取り、お菓子や飲み物で癒し、新たな場所へと送り出すのが、先代マスターから引き継いだ私の役目の1つ。


全ての人の想いを叶えることは出来ません。

それでも、私はここで出逢えた人達の話を聞いて、出来れば、お客様の力になりたいと思ってます。


だからこそ、私はいつでもここでお客様を迎えたい。

「お帰りなさい」と微笑んで。



私はお客様を見送った後、倒してしまった写真立てを立て直した。

そこにはピースサインをしている美しい女の人と、"どこかで見たことがある人"が呆れたように、でも幸せそうに古びた写真に映っていた。

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喫茶店Comfort @Iori___Tachibana

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