演劇の聖地(2)

 トレーナーとジーンズを着た、一際ひょうきんに振る舞う人物。

 世話しなく、挨拶回りをこなしていく男の腕には、写真と同じ金の腕時計が————。


 女刑事が、勇んで飛び出そうとするので、滝馬室は彼女の肩を慌てて掴み止める。

 

「おい? 待て! 俺達は警察を名乗れないんだぞ? 保険のセールスというのも不自然だ? どうやって接触するんだ?」


 質問の多い上司に対し、彼女は肩を激しく揺らすと、掴まれた手を解き邪魔されたことを、恨めしそうに睨み答える。


「大丈夫です。"アドリブ"で行きます」


 ときびすを返し、雑踏に進む。


 いつも、過剰に自信を見せるな? どこまでやれるか見ものだ。

 

 女刑事は、他の女性ファンを肩で押して、列に割って入った。

 "観劇かんげき"に高揚した女性ファンの熱狂は冷め、優妃に対し刺すような視線を向ける。

 ひょうきんに振る舞う役者が、接触した優妃に瞬間、戸惑うと、彼女はアドリブを披露した。


「私、あなたのファンなんです!」


 声音を変えた彼女は、さも熱烈な声援を贈る支持者を装った。

 彼女の声援に答えるように、役者の男は、世の中を照らすかと思えるほどの、明るい笑顔を見せ答える。


「ありがとうございます。どうでした? 今日の公演?」


「もう感動しました! ドラマ性といいテーマのおもむきは、見ていて深い感動を覚えます。とくに、あなたの演技は見ていて、憧れます!」


 よくもまぁ、当たり障りのない感想を、さも感銘を受けたように語れるものだ。

 

 役者は照れながら返す。


「嬉しいな。俺も今回の"牛"の役は、いろいろ悩んだけど、全力で演じきったよ。そんなに良かった?」


 優妃は歓喜の声を失い、しどろもどろになる。


 やはり見てもいない物を、得意げに語るのは及び難い。

 だが、今の優妃は現実という舞台に立つ、女優。

 見事なアドリブを見せた。


「はい! キャラクターのバックボーンを、あそこまで深く表現出来るなんて、あなた無しでは、この舞台は語れない!」


 そう言いながら彼女は、両手で役者の手を力強く握る。

 役者の男は、その熱望な手厚く受け取る。

 

 そのやり取りを見ながら、滝馬室は呆れる。

 本当に、手を変え品を変え、よく立ち回れるものだ。

 

 優妃は何かの約束を、役者の男と、強引に取り付けて戻ってきた。

 彼女が去った後、男は舞い上がっている。

 こちらへ戻って来た優妃は、上司を通り過ぎて足を進める為、滝馬室は慌てて付いて行く。

 中年上司は怪訝な顔で聞く。


「あの役者と何の約束をしたんだい?」


「この後、二人だけで会う約束をしました」


 嘘とはいえ、羨望せんぼうの眼差しで言い寄られたのだ。

 大抵の男は、卑しい考え浮かべ期待する。


「それで? この後は?」

 

 その問に答える代わりに振り向き様、優妃は突然、滝馬室の襟元を掴み、ネクタイを荒々しく解く。


「ゆ、優妃さん!? 何をしているんだ?」


「じっとしてくさい……」


「ま、待て! 二十代の女性たる君が、欲求不満なのは解る。でも、こんな人目に付く場所で……」


 彼は振り子のように首を忙しく動かし、周囲を気にするが、それに構うことなく優妃は、彼のネクタイを糸に巻いたコマを放つように取り払う。


 次第に滝馬室は、彼女の情欲にも似た、荒々しさ受け入れる。


「そうか……よく職場で上司と部下が、長い時間を共に過ごすうちに、恋愛感情が芽生えるという話を聞くが。ついに君も、俺の隠れた魅力に気が付いたんだな……いや、部下といえ、君のことは素敵な女性だと思っている。俺も、そんな君に迫られるのは、まんざらじゃない」


「社長、黙ってて下さい」


「解った。すべて君に任せるよ」


 優妃はネクタイをほどき引き剝くと、今度はシャツのボタンを胸元まで外し、両手で服を開いた。


 滝馬室は思わず吐息を漏らす。


「あ、ぁぁ————」

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