滝馬室という男(3)

 まるで、地獄に落とされたようだ。 

 それは、足下から炎がせり上がり、じわじわと苦しめられ、怒りで沸き立つ身体は、全身に真っ赤な熱鉄の雨にさらされている気分になる。

 

 皆が向ける視線は、凍りの刃で肉をそぎ落とすように、滝馬室の精神を裂き、骨を貫くように鋭く串刺しにした。

 

 滝馬室は疑惑の目を向けられるたび、心臓が内側から避けるのではないかと思うくらい、叫びたくなった。



 ――――――――俺は、やっていない――――――――

 


 疑惑の目に耐えられなくなった当事者は、組織に居づらくなる。

 

 正義を代弁する警察の、あるべき姿を示すべく、触れててはならない闇を引きずり出した結果、その深く暗い沼のような闇に引きずり込まれてしまった。

 

 つるぎで藪を突き、そこから出て来たのは、蛇どころか八つの首を持った大蛇だった。

 彼が持つ曇る事が無かった太陽の剣は、糸もたやすく折られてしまった。


 何故だ? 俺は全ての警察官が指標にしている誓いを、忠実に守っただけだ。


 警察官の宣誓

 ”私は、日本国憲法 及び法律を忠実に擁護ようごし、命令を遵守し、警察職務に優先してその規律に従うべきことを要求する団体又は組織に加入せず、何ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず、良心のみに従い、不偏不党且つ公平中正に警察職務の遂行に当ることを固く誓います”

 

 そうだ――――――――

 ”何ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず、良心のみに従い、不偏不党且つ公平中正に警察職務の遂行に当る”


 俺は宣誓どおり、己が良心に従って不正を正そうとし、勇気というつるぎを巨悪に突き立てた。


 正義は本来、この俺に味方するべきだった!

 にもかかわらず、よりにもよって、手を汚した連中に味方した。

 奴らは、組織という正義を利用して、俺をねじ伏せたんだ!


 

 ――――――――俺は正義に愛されるべき人間だった――――――――

 

 

 ”――――何ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず――――何ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず――――良心のみに従い……公平…………警察職務の………………………………”


 ――――――――違う。

 ――――違う。

 違う。

 違う!

 違う!!


 ――――――――正義を利用したのは俺の方だ――――――――


 部内で俺は出世が遅かった。

 難関の採用試験を突破した、純正のキャリア官僚に劣等感を抱いていた。

 同じ年に採用された連中は、いつも俺より一歩先んじていた。


 ――――――――悔しかった。

 

 出世レースに出遅れた自分に焦りを感じ、出遅れた穴を埋める為、一つでも多くの功績と、先を行く奴らを出し抜く偉業が必要だったのだ。

 俺の優秀さを上司や人事、同期や部下に見せつけたかった。

 正当な評価を求め、能力に見合う対価を欲した。


 その時に到来した捜査の八百長。

 これは天命としか言いようがなかった。


 警視庁内部の汚点を洗い出し、乱れた規律を正す。

 警察の組織改革が叫ばれていた時期のことだ。 

 俺が警察の襟を正し、新しいモデルを確立して、すべての警察官を導いてやれば、それは叶うと思い込んでしまった。


 今思うと「改革」という言葉にほだされ、のぼせ上がり傲慢になっていた。

 本当に愚かな話だ。


 俺が正義を裏切った――――――――。

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