桜田門外が変

 ――――――――午後九時。


 滝馬室は踏み出した革靴が、地を這う、アリの行列を踏みつけていることに気付き、静かに足を退けミクロの労働階級に気を使う。


「おっと? これは失礼」


 正面から見上げる警視庁は、三角柱の角を、綺麗に切り落とした形状をなしている。

 切り落とした部分が、硝子張りであることで、巨大なつるぎが、地から伸びているように思えた。

 それは何とも、威厳のあるたたずまいで、東京都の治安を統治するシンボルを感じさせる。


 桜田門を通る内堀通りは、車の列が新宿方面に向けて、世話しなく流れていた。


 警察の外に出れば、再び一般人としての顔を作らねばならない。

 だが、部下の事務OLには、受け入れがたい”代理店”の側面。

 優妃は、これまでの不満爆発させる。


「せっかく、警視庁に戻る足がかりが出来たのに、これ以上踏み入れられない何て、この二週間の内偵は何だったのよ?」


「優妃さん。とりあえず今日は帰ろう? いろいろあって疲れた。もう、身体があちこち痛い……」


 優妃をなだめる気力すら尽きた滝馬室は、メトロの入口、地下から放射される光に目線を向け、帰宅を促す。


 足を踏み出すと、不意に物影から、こちらを見据える気配を感じた。

 街灯の光を避けるように、木々の影に隠れる人物。

 そのシルエットは、闇夜の影に同化しているようだった。


 瞬間、影と目が合う――――――――。

 

 細身で紺色のジーンズに、黒のパーカーを着た男。

 滝馬室は、少しばかり違和感を感じた。

 年齢は目測で三十代ぐらい。

 仕切りにフードを掴み、顔を見えないように隠している。


 まるで冥界より使わされた死神が、現世から魂を摘み取ろうと、目を凝らしているよう見えた。

 

 滝馬室は自分が、死神にでも魅入られたかと思い、戦慄が走る。


 側にいる優妃まで、取り憑かれるのではないかと危惧し、それとなくうながした。

 

「優妃さん。あまり顔をさらさないで」

 

「は?」

 

 不快な顔をして見つめる彼女の耳元へ、顔を寄せて小声で返す。

 

「俺達は潜入任務中だ。誰が見ているか解らない。警察の前でうろうろしていたら、関係者だと悟られる。今の俺達は、あくまでも一般人だ。潜入任務の意味が無くなる」

 

 それとなく、メトロの入り口を見るふりをして、フードの男の様子を伺う。

 

 顔半分がフードに隠れ、目元は見づらいが、走行する車のライトが時折、男を照らし、鼻より下は大体見て取れた。

 色白で青髭が目立ち、腫れぼったい唇。

 右の顔面が、ほんの少し吊り上げられたように、口角が上がり口元を歪ませる。

 

 暗がりで、仕切りに顔を隠す仕草は、不自然で薄気味悪いだ。

 

 今、あの影を自分だけが、見ているのではないかという、不安が拭えかったが、周囲の動きを見て、実態の有る存在だと解り安堵する。


 その挙動を不審に思ったのか、警視庁の入り口で、見張りをする制服警官が男に近寄った。


 それに気付いた男は、静かに歩き始め、警官から距離を置く。

 

 その足は遠ざかるに連れ、速度をゆっくり早めて暗闇へと消えて行った。


 男が去る背中を見て優妃が呟く。


「怪しい……」

 

 遠くを見つめていると、フードの男を逃がした警官が、今度はこちらに足を運び質問する。

 

「どうしました? 何か困ったことでも?」

 

 警官は気さくな素振りを見せるが、腰の警棒に手を当てて、内心の警戒を露わにする。


 優妃が不意の質問に、しどろもどろになるので、滝馬室は彼女の腕を掴み、さりげなく、半蔵門線の入り口に連れて行く。

 警官が後から、付いて来ようとするので、足を早めてメトロへ逃げ込んだ。

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