それでも俺は、やってない(2)
「それは、確かですか? あなたを触った手は、本当に指輪がありましたか?」
「えぇ。間違いないわ」
自信に満ちた答えに彼は切り返す。
持っていた鞄を足下に置くと、両手を上げて被害女性と駅員二人に見せつける。
「俺は――――独身だ。指輪をはめていない」
滝馬室がかざした手を、皆はまじまじと見つめた。
更に続ける。
「あなたは確たる証拠もないのに、俺を公然の前で痴漢呼ばわりしたことで、俺の名誉を著しく落としめた。これは明らかに名誉毀損だ。話の続きは法廷でしてもいいが、よろしいですか?」
彼の言い分に女も駅員二人も困惑する。
中年の独り身を胸張って言うことではない。
それは重々承知だ。
痴漢の当事者にされた男は、その視線に徐々に耐えられなくなる。
頼む――――これで折れてくれ。
痴漢で無罪を晴らすのは用意ではない。
法廷に持ち込んだ時、そのほとんどが有罪として刑が確定される。
女性特優の被害と言うのもあり、裁判官に限らず誰しも!被害を受けたほうの証言を優先する。
ましてや、この程度の証言で、痴漢冤罪は覆らない。
どう考えても、こちらには分が悪すぎる。
名誉毀損なんて、ただの”ブラフ”だ。
この押し問答に負ければ、俺は確実に犯罪者。
だから今、この場で状況を覆さないと、この先は地獄の鬼共に足を引っ張られる。
この場の人間を伏せることが出来れば、逃げ切れる。
頼む、ここで折れてくれ。
今、俺の”身分”で、訴訟や目立つトラブルは困る。
痴漢と騒ぐ女と女性駅員が困惑する中、男性駅員が懐疑的な目で聞く。
「あんた弁護士か?」
「いや、違う……ふ、普通の会社勤めだ」
駅員の質問に滝馬室は”出すぎた真似”をしたと、少々悔いる。
女は攻める。
「そんなの、指輪を外して隠せば、解らないでしょ!?」
まったくもって、その通りだ。
こんな屁理屈がまかり通る程、世間は抜けていない。
話を振り出しに戻され滝馬室は。
「だから、違う! 俺はやってない!」
「だって私のこと触りましたよね?」
「触ってない!」
らちがあかない状況に男性駅員が割って入る。
「解りました。ちょっと駅員室まで来て下さい」
まずい。駅員室に行けば確実に警察に連行される。
そう思った瞬間、スーツの彼は地面に置いた鞄を持ち上げ胸に抱き寄せた後、姿勢を低くして人の流れに紛れるように、駆け出した――――。
そんな滝馬室に「待ちなさい!」と、男性駅員の怒号が追いかけてくる。
滝馬室は通勤ラッシュで混み合う階段を登り、人混みをかき分けながら、追っ手を振り切ろうと走る。
まるで荒波の中を泳ぎ陸を目指す遭難者のように、ひたすらかき分ける。
だが、行く手を阻む波は反発し、寄せては返すように彼を押し返す。
それはそうだ。
人の流れに逆らっているのだから、押し返されるのは当然。
いくら泳いでも陸地にはたどり着けない。
それは背後から追ってくる男性駅員も同じで、怒号と共に人波にさらわれる。
滝馬室は押し寄せる人の波に押し潰され、呼吸が苦しくなり、このまま人の波で溺れ死ぬのではないかとさえ思えた。
階段を登りきると混雑は幾分緩和され、自分が探し続けた、改札口を見つけ慌てて上着に入れていた、電子マネーカードを胸のポケットから取り出し、改札口を超える際、タッチパネルに叩き付ける。
改札の扉が開く前に通り抜けようとしたので、身体がぶち当たり出口を越えた瞬間、床に転がり改札の外へ。
派手なモーションに周囲の注目を浴びるが、恥る余裕は無く直ぐさま立ち上がり、駅を後にする――――。
何故、彼はここまでして逃げるのか?
痴漢冤罪から免れる為なのは勿論だが、それよりもっと重要な事。
やむにやまれぬ事情があった。
警察は困る! 警察は困るんだ! だって――――――――俺が警察だから!
***
――――――――――――――――
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