手を伸ばすのはいつも

新元号でお祭り騒ぎのGWが終わると、あっという間に梅雨が始まった。


雨の音を聞きながら目覚めるのは好きだ。自分のいる空間が薄い膜に包まれている感じがする。寂しさもやるせなさも、みんな雨に溶けてしまえばいい。


今週は珍しく、金曜日に智に会った。いつもは土曜日に会って彼の家に泊まるので、自宅で日曜の朝を迎えるのは久しぶりだった。


今日は部屋の隅まで掃除機をかけ、常備菜を大量に作り、英語の勉強をしよう。雨は雨なりの過ごし方がある。ラジオを付けてニュース番組を流す。


昨日はセックスしなかった。新橋の居酒屋を4件はしごして、ベロベロに酔って泥のように眠った。朝、背を向けて寝ている智に手を伸ばしかけて、やめた。


いつだって手を伸ばすのは、波留からだ。


「なんでその子との結婚を考えたの?」


3件目の居酒屋での会話を思い出す。結婚なんて考えられないと言っていた智に、かつて結婚を考えていた彼女がいたという話だ。


「その頃めちゃくちゃ遊んでて、1回2回のセックスで終わる子も多くて。その中で付き合うくらい好きだってことは、そのうち結婚もありなのかなとか。そんな軽いノリだよ」

(「付き合うくらい、好き」か)

結婚を考えていた彼女にあって、波留にないものは何なんだろう。波留と付き合わないということは、つまりそういうことだ。知ってはいたが、改めて冷静になった。


付き合っておらず、好きとも言われず、触れるのはいつも波留からで、約束のない日に会いたいと言えない。それでも好きだから飲み込むしかない。


「今は正直、結婚は考えられないけどさ。あの頃は仕事が順調だったけど、最近行き詰まってるし」

智はビールジョッキを置いた。

「だから、この間波留は30歳までに結婚したいって言ってたけど、本気ならそれはちょっと難しいから」

波留はギョッとして顔を上げた。以前、智の友人の結婚がきっかけで、結婚願望があるか聞かれたときのことを言っているのだろうか。

「あ、ううん。あれは酔ったノリだし、年齢的にその頃にはしたいかもってだけで、智くんとって意味じゃないから」

一気に酔いが覚め、慌てて言葉を紡ぐ。

「それに本当に結婚したかったら、そういうを人を探すから大丈夫!」


気まずい雰囲気を打ち消すように笑うと、智も笑顔を作った。二人の間の空気を元に戻したくて、そのあと4軒目に誘ったのは波留の方からだ。


智の負担にならないように。時間的なコストを払わないで済むように。

(他にもう一人くらいセフレを作れば、気が紛れるのかな)

最近、マッチングアプリをいくつもダウンロードした。

彼に対する恋愛感情の一部を他に移せば、バランスが取れるだろうか。彼と波留の想いが同じくらいになれば、こんなに苦しい想いをせずに済むだろうか。


二人の将来の話は、タブーではなかった。

以前、子供ができたらどうするか、と言う他愛のない話をしたこともあった。

「子供は、基本的に作ろうと思わなきゃできないけどね」

波留は苦笑いをした記憶がある。付き合ってもいない女に、子供や同棲の話をするなんて、罪深い男だなと思った。

「まあそうだけどさ。作ろうと思うかもしれないし」


智は、どのくらい波留を惑わせれば気がすむのか。波留の気持ちなんて、とっくに気がついているだろう。それなのに、それでもこんな話を平気でする。でも、間に受けてはいけないことは学んだ。軽く笑って流すのだ。

「そうだね。まあ、わかんないもんね」


ぼんやりと、本当にぼんやりとだが描いていた智との未来は、もう見えない。


智は今日、大学の友人たちと恵比寿で飲み会だという。

波留はきっとマッチングアプリを開いて、適当な男と飲むことになるだろう。でも、智の後姿を探して恵比寿に向かうかもしれない。

雨がこのまま止まなければ、そんな馬鹿げたことはしなくて済むかもしれない。




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