好きと言えない

街子

ラブホテルの休憩

ラブホテルの『休憩2時間』を利用するのはまだ慣れない。学生の頃はお金は無かったが、それでもこんな時間の使い方はしなかった。

セックスするなら安くてチープなところを探して、一晩丸々ホテルでの時間を買った。一緒にシャワーを浴びてダブルベッドに潜り込むまでがセットだった。

今日だって本当は泊まりのつもりでいたのに、1件目のイタリアンレストランを出た途端に智は「ホテルに行きたい」と言い出した。


「ごめん、今日友達と23時から飲む約束してて」


19時に集合して食事してから、今は20時半。久しぶりにこんな雑な誘われ方をされたな、と思う。過去のセフレにはこういうタイプはいなかったし、智も今までは割と気を使っていたのだろう。

ラブホテル街へ歩き出す智の背中を蹴飛ばしたいし、そんな安く扱えると思うなよと言ってやりたい。だけど、この関係性では不機嫌にならないことが重要だ。努めて明るく、ちょっと拗ねた可愛らしい声を準備する。準備してから声を発する。


「えー、そうなの?早く言ってくれれば、私も飲みに行く予定入れたのに」

「あ、そうだよね。ごめんね」


言いたいことはそんなことではないが、とにかく軽い女を演じる。腕を絡ませ、智が適当に見つけたラブホテルに入る。

「今のお時間だと休憩か宿泊がありますが、どうなさいますか」

「休憩で」


セックスのために2時間部屋を借りる。

大人の世界には便利なシステムがあるものだ。

他の国にはラブホテルという文化が無いというが、本当なのだろうか。確かに、大学の卒業旅行で訪れたヨーロッパの国には、少なくても日本のような分かりやすいラブホテルはなかった。その代わりとは言わないが、ポップでキュートなアダルトグッズショップがファストファッションや高級ブランドショップの隣にあっけらかんと並んでいたのは衝撃だった。


今更、「身体だけが目的なの?」などとヒステリックなことは言わない。

食事は一応したし、セックスはするに越したことはない。だけど、先週は次の日が仕事だったから泊まらずに帰ったし、来週末は波留が出張で会えない。

平日はひたすら仕事が忙しいという智と会えるのは、金曜か土曜の夜だけだ。


おおよそ週一ペースで会うようになってから、もう半年が経つ。

高崎智と波留の関係を端的に表すなら「セフレ」だ。マッチングアプリ経由で出会ったその日にセックスし、付き合う約束を交わさずに今に至る。

二人で腕を組んで歩いているところを、例えば会社の同僚に見られても「オトモダチの高崎くん」と紹介するしかない。


いかにもな装飾がされたラブホテルの部屋は、やはり薄暗くて狭かった。もうすぐ10月だというのに、室内は冷房が効きすぎるほど効いている。


智が冷蔵庫から缶チューハイを出してグラスに注いでくれた。すぐにセックスに雪崩れ込もうとしないあたりは、女の機嫌を損ねない術をよく知ってるといえる。

何せマッチングアプリで出会っただけに、お互いそれなりに異性経験があるのは織り込み済みだ。


グラスのレモンチューハイを飲みながら「友達と飲む約束」の詳細をよくよく聞けば、つまりそれは合コンだった。


「そいつにはずっと断ってたんだけど、さすがに1ヶ月前から誘われたら無理とは言えなくて」

「ふうん」


レモンチューハイをどんなペースで飲めばいいのか分からないので、とりあえず少しずつ口に含む。これを飲み終わってからセックスするのだろうか。それとも飲み終わらなくてもいいのだろうか。わからない。

(2時間ってどのくらいの長さだっけ。そもそもいつもセックスにどのくらい時間をかけてたっけ)


「まあ、軽く顔出して退散すると思う。行きつけの店のバーテンダーが今日で辞めるから、そっちにも顔出す予定だし。ほら、波留と初めて会った時に連れてったとこ」


智が住むタワーマンションのすぐ近くにある、シャンパンカクテルを出す店だ。波留はそこで気持ち良く酔っぱらって、まんまとお持ち帰りされたことを思い出す。

「つまり今夜あのバーには、違う女の子がいるってことだね」

唇を突き出して、上目遣いにふくれっ面をする。智は嫉妬してみせる波留に気を良くしたようだ。

「やだな、そんなことしないよ。俺、別にモテないし」

俺には波留がいるんだから、とは言わない。

「嘘。そんなことないって自覚してるくせに」

株式投資で生計を立てている智は、同世代のサラリーマンより収入がある。ジュノン系の甘い顔立ちだし、軽快なトーク力も備えている。

「…あたしは、モテるよ?」

智の目をじっと見つめる。

「…知ってる」

キス。

軽いキスから、どんどん深く。波留は自分から舌を入れ、貪るようにキスを続けた。この男が他の女の子と今晩キスするときに、波留を思い出して少しは罪悪感を持てばいい。

(無駄だって、知ってるけど)


ベッドに手を引かれて押し倒されて首筋に舌を這わされても、いまいち集中できない。だけど好きな相手だから、身体は条件反射のようにすぐに濡れた。


波留は智が好きだ。半年なんとなく身体を重ねるうちに、好きになってしまった。今まで何人もセフレがいたが、セフレを好きになったのはこれが初めてだった。



身体を起こしてブラジャーを着ける。

「寂しくなるくらい、支度が早いな」

智は、まだコンドームの処理をしている最中だ。


「だって、まだ抱きしめてて欲しいのに、男の人が先に着替え始めたら切ないもん。だから、自分から先に離れるの」

「なにそれ、いつもそんなこと考えてたの。複雑だね」


ティッシュを丸めてゴミ箱に放ると、後ろから智に抱きしめられた。そのままもう一度ベッドに引きずり込まれ、二人で余韻に浸る。

好きだと自覚してからは拒否されるのが怖くて、セックスの後に彼に触れることができなかった。それでも半年かけて好きという感情にもまた少し慣れて、どうにかこうしてピロートークもできるようになった。最初の頃はもっと気安く触れられていた気がする。

だからセックスの後のハグも、さよならのキスも、一周回って二人はどこかぎこちない。

こういうとき、もしかしたら智も、少しは波留に本気なのかもしれないと思う。遊びなれている男が緊張するのは、多少なりとも好意がある場合だと思っている。

でもやっぱり、先にベッドから抜け出すのは波留だ。


「化粧直してるってことは、この後飲みに行く男が見つかったってこと?」

鏡に向かってリップを塗る。

「うん。大学の友達が恵比寿で飲んでるって言うから、合流する」

男とも女とも答えずに笑う。少しは智も嫉妬すればいい。小悪魔っぽく軽く微笑む。うまく表情を作れているだろうか。

「ふうん。さすが」

「でも私、あれから智くんにしか抱かれてないよ。愛のあるセックスしかしないって決めたの」

「…はいはい」

智は、首をすくめた。

愛のあるセックス、と言う部分を、智はちゃんと聞き取ってくれただろうか。


合コンに行く智も大概だが、波留も似たようなものだと思われているのだろう。

今はそれでいい。

波留は捉えどころのない女の子を演じていた。奔放で男友達がたくさんいて、いつも誰と飲んでいるかわからない。

簡単に従順な女の子になってしまったら、飽きられてしまうのもきっと早いから。


そういうタイプが好きなことを知っているから、演じている。演じていることがバレていないか、たまに不安になる。


ホテルを出ると、もうすっかり日が落ちていた。

「大丈夫かな、俺、焼き鳥くさくない?」

首筋に鼻を近づける。

「うーん、女の匂いがするかな」

「それ、波留のにおいじゃん」

あはは、と軽快に笑う。

「マーキングしといた。キスマークつけなかっただけマシでしょ?」

じゃあここで、と自ら切り出して、頬にキスした。バイバイ、と今日一番の笑顔で手を振って、背を向ける。振り返らない。


2時間のラブホテル。

智は、1日に2回射精できるタイプなのだろうか。これから向かう合コンに来ている女の子を抱けるのだろうか。本当は他の女の子と寝ないでって言いたい。


好きと言えない。だって彼女じゃないから。


ただひたすら、一筋縄ではいかない魅力的な「都合のいい女」でいるのが精一杯だった。

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