第219話38-18.決着

 志光は細かいステップを踏みつつ、相手の攻撃圏内に足を踏み入れた。ゲーリーはすかさず拳を振り上げ、少年の顔めがけて金属製の爪を振り下ろす。


 志光は前足に全体重をかけて後ろ足を浮かせると、ススッと後退した。ゲーリーの攻撃は宙を切る。


 悪魔だけあって、スピードは十分にある。しかし、攻撃する時に脇が開く。素人だ。


 志光は敵を観察しつつ、再びゲーリーに接近した。これはボクシングの試合では無い。時間にも空間にも制限は無い。


 門真麻衣に基礎を習い、ホワイトプライドユニオンとの実戦で思い知ったのは、フィクションとノンフィクションの違いだ。フィクションの世界では、敵との戦いは一進一退で、ボロボロになりながらも最後に必殺技を放った方が勝つ。


 だが、ノンフィクションの世界では、ひょんな事で喰らった一撃ですら致命打になる。つまり、最初に攻撃を当てた方が一方的に勝つことが圧倒的に多い。だから、まず敵の攻撃をできるだけ躱すのが肝要になる。


 この戦いの目処は付いた。ゲーリーは攻撃する時に脇が開く癖がある。だから、彼が脇を開くタイミングで飛び込めば、こちらが最初の一撃をお見舞いすることができる。


 志光は意識を敵の肩周りに向けた。彼が再び近づいていくと、ゲーリーが右手を振りかぶるべく脇を開ける。


「シッ!!」


 その瞬間に、短く息を吐いた志光はステップインして飛び込みつつ左腕を真っ直ぐ突き出した。手を振り上げたお陰で無防備になったスキンヘッドの右目に、少年の拳がめり込んでいく。


 だが、志光は一気に攻め込もうとはせず、着地と同時にバックステップで退いた。彼が先ほどいた場所を、ゲーリーの持つ刃物が通り過ぎる。


 少年は攻め急ぐこと無く、呼吸を整えつつ相手を凝視する。スキンヘッドは右目を叩かれて混乱しているものの、戦意は衰えていないようだ。まだ目が死んでいない。


「この吊り目やろう!」


 ゲーリーは闇雲に突進すると、両手を振り回し始めた。志光は左足に全体重をかけて右足を浮かせると、大きく斜め後ろに下がって敵の突進をやり過ごす。


 これは、棟梁就任式の日に行ったタイソン戦のバリエーションだ。元プロレスラーのタイソンは、フックとストレートを使い分けて打ってきたが、ゲーリーは変則的なロングフックのみ。ただし、スキンヘッドは手に武器を装着している。


 志光は敵をいなしながらタイミングを待った。やがて疲労のせいで、ゲーリーの腕を振り回す速度が落ちてくると同時にガードが下がる。


 そこで志光はバックステップを止め、上半身だけを後ろに引いた。ボクシングの防御技術の一つであるスウェーだ。


 空振りの連続で疲弊したゲーリーは、これをバックステップと勘違いした。スキンヘッドは前進して少年に切りつけようとする。


 志光はその瞬間に上半身を戻すと同時に奥手のストレートを打った。前のめりになったホワイトプライドユニオンの棟梁の鼻に、少年の右拳がめり込んでいく。



 カウンターだ。


 ゲーリーの鼻の軟骨は折れ、鼻血が吹きだした。志光は身体を捻り直すと後ろ脚の踵を地面に着け、これを跳ね上げることで得たパワーで、もう一度右ストレートを放つ。


 右のダブルだ。


 二発目も折れた鼻に当たると、ゲーリーはたまらず手で顔を覆った。敵が戦意を喪失したのを確認した志光は、とどめの作業に入る。


 少年はその場から前進して、左右のワンツーをゲーリーの右手首に叩きつけた。圧迫された手は反射的に硬直し、一瞬だけ動かなくなる。


 そこで志光は大きく振りかぶって左フックを打った。叩かれた衝撃で固まった手は防御のために動かせず、少年の拳が白人男性の横面に引っかかる。


 志光の一撃で頭部を横方向から揺さぶられたゲーリーは、たまらず前のめりに倒れて動かなくなった。ノックダウンを確信した少年は、その場で右腕を挙げる。


「やったな!」


 志光の勝利を確信すると、後ろで愛弟子の様子を見守っていた麻衣が駆け寄ってきた。彼女は倒れたスキンヘッドの手から獲物を奪うと、彼の手を背中に回して身動きを取れなくする。


 棟梁同士の喧嘩を撮影していた茜は、戦闘能力を奪われたゲーリーに近寄った。赤毛の女性に上半身を引き起こされたスキンヘッドは、呂律の回らない話し方で眼鏡をかけた少女に悪態をつく。


「くたばれ! 黄色い猿共め! 地獄に落ちろ!」

「ここが地獄みたいなものだろう?」


 志光は無礼な発言を繰り返すゲーリーのこめかみにパンチを叩き込んで黙らせると、その場にしゃがんでから口上を唱えだした。


「ミスターゲーリー。お別れの時間だ。僕は貴男のお陰で人種差別について実地で体験することができた。大変感謝している。僕は日本人で、日本に住んでいて、まだ国民の大半は日本人だから、白人至上主義なんてどうでも良かったし、このまま暮らしていれば経験することも無かった。ところが、貴男が魔界日本にちょっかいを出したお陰で、僕は悪魔にならざるを得なかった。貴男に殺されたくなかったからだ。戦ったのも生き残るためだ。日本人のためとか、黄色人種のためとかじゃない。僕にとって肌の色なんてどうでも良いことだし、その程度のことで差別をする連中と戦うのも時間の無駄だと思っていたからね。それに対して、貴男はどうだ? あなたは悪魔になってからも、まだ肌の色のことを考えていた。白人種の将来を考えて行動し、団結を訴えていた。凄いことだと思う。とても僕には思いつかなかったし、思いついても行動なんて絶対にしなかっただろう。逆に、貴男が固執している白人至上主義が、間違っているから正そうなんて正義感も持ち合わせていなかった。今だってこれっぽっちもない。誰にだって馬鹿げた考え方を信じる権利がある。それが貴男にとって、白人至上主義だったという話に過ぎない。要するに、僕は正義じゃ無い。そのお陰で、僕は悪魔の流儀に慣れるのも早かった。僕は悪か? 貴男から見ればそうだろう。僕にとって一番大事なのは、貴男を魔界からも排除して、安心して眠れるようになることだ。もうすぐ、その願いが達成できる。グッバイ、ミスターゲーリー。サヨナラの時間だ」


 志光は一方的な演説をすると立ち上がり、両手に意識を集中させた。少年の様子を見た麻衣がゲーリーの腕を更にねじり上げて彼を無理やり引き起こす。


 志光はファイティングポーズをとると、麻衣がゲーリーの背中を押した。少年は流れるような動作でやや斜め上に向けて右ストレートを放つ。


 青白く輝く拳に直撃された、恐怖に歪んだ白人男性の頭部が急激に加速した。志光のスペシャルを喰らったゲーリーは、流星のように頭から斜め上に飛翔する。


 やがて、その加速に耐えられず、白人男性の頭部と胴体が空中で分離した。その様子を〝蝿〟で監視していたソレルが戦争の終結を告げる。


「ゲーリーは死んだわ。これでひとまず戦争は終わりね」


 褐色の肌の宣言を聞いた悪魔たちから悦びの声と拍手が沸き起こった。クレアは撮影を担当する茜に目配せして、志光にビデオカメラのレンズを向けさせる。


「ハニー。魔界日本の棟梁として、何か言った負が良いわ。〆は大切よ」


 背の高い白人女性に促された少年は、しばらく黙考した後で短い台詞を述べた。


「悪は勝つ!!」

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