第195話37-4.坑道へ
「とりあえず、アタシたちだけでも先に行こう」
赤毛の女性はそう言うと酒瓶を投げ捨てた。志光は一瞬だけためらってから彼女に同意する。
「行きましょう。でも、クレアさんたちが戻ってくるまで戦闘は始めませんよ」
「分かってるよ」
麻衣はそう言うと、両手を摺り合わせてから坑道に続く木製の階段を下りていった。続いて志光も彼女の後についていく。
坑道の幅は狭く、二人が並んで歩ける程度だった。天井も低く、二メートル以下なのは確実だ。
坑道内に電気線を引く手間を省いたため、透明な容器に詰めた邪素がライトの代用物として定間隔で天井に埋め込まれている。地上に比べると坑内の温度は低く、ひんやりして過ごしやすい。
坑道は敵から襲撃を受けた際に、爆発物や銃弾の破壊力を限定的なものにするため、何度も折れ曲がる構造になっていた。もしも坑道を一直線に掘っていたら、敵の銃弾や爆風が容易に直進してしまう。しかし、道が曲がっていれば銃弾は壁で止められ、爆風も壁に当たって横に逸れる。
一同が五~六分かけて移動した先には、折りたたみ椅子に座った男の姿があった。
志光には、この若い男性に見覚えがあった。大工沢の部下で、黒鍬組のメンバーだ。
しかし、名前を思い出せない。確か、初めて魔界銭湯に行った時に、自分を大工沢のいる露天風呂に連れて行ってくれたはずだ。
少年が男の名前を思い出そうとしていると、彼は椅子から立ち上がって人差し指を口に当てた。
その意味を理解した一同が頷くと、男は両手を前に突き出して、後ろに下がれというジェスチャーをしてくる。
志光たちは反転すると、元来た道を引き返した。最後に曲がった場所を通ったところで、後からついてきた男が声を上げる。
「皆さん、すみません。あそこから先は、池袋ゲートにいる奴らに音が聞こえます。話をするのは、ここまでにして下さい」
「ありがとう。それで、状況は? ソレルは敵がこちらに気がついていると言っているけど……」
「俺も同感です。こちらがこの穴を掘り進めている間に、あちらからも金属音が聞こえてきたんで間違いないでしょう」
「鉄パイプを斜めに刺して、乱杭みたいにしているって話だった」
「……そりゃ厄介ですね」
「君ならどうする?」
「乱杭を取り除かなければ、円滑に味方を送り込めないでしょうね。でも、それをやっている最中に、敵から襲撃を受ければ……」
「大被害だ。だから、まず敵を排除したい」
「どうするんですか?」
「敵はフォグマシンで霧を作って撒いて、ソレルの偵察を阻害しているらしいんだけど、まずそれを止めさせる。次に、ソレルの偵察を元に作戦を立てる」
「どうやって霧を作るのを止めさせるんですか?」
「クレアさんが、洗面器で地雷を作るって言っていたな」
「即席の指向性地雷で霧を吹っ飛ばすつもりですか。クレアさんらしいな」
男は合点がいったようで、深く頷いてみせる。
「大将。作戦を始める前に、突き当たりまで行ってみますか?」
「見られるの?」
「もちろんです。突き当たりまでのルートですが、途中から上向きに傾斜します。ゲートと同じ高さに掘ると、銃撃戦の時に相手の弾丸が真っ直ぐ飛んでくる危険があったのと、ゲートより低い場合は重力を利用されて、水を注ぎ込まれる危険があったからです」
「じゃあ、突入は天井から?」
「そうです。爆発で相手通路の天井を落として、そこから突入する予定です」
「なるほど……」
「ただ、大きな穴が貫通していなくても、敵通路のすぐ側まで掘っているのは間違いないので、この部屋を出たら突き当たりまで行って戻ってくるまでお喋りも出来ないし、音も立てられません」
「もしも、敵がこちらの動きを察知して攻撃してきたらどうするの?」
「一応、こちらの坑道の床部分に分厚い鉄板を敷いて、楯の代わりにしています。三〇ミリ機関砲までだったら貫通できないので、逃げるまでの時間稼ぎになるでしょう。行きますか?」
「ああ。行こう」
志光が同意すると、男は頷いて歩き出した。志光、麻衣、ウニカ、ヘンリエット、ソレルが彼の後を付いていく。
事前の説明通り、坑道の奥には傾斜があった。光を敵側に漏らさないように、邪素入りのペットボトルが地面に置かれているため、足元以外は酷く暗い。
男はやがて歩くのを止めた。彼のジェスチュアで、志光はそこが行き止まりであることを理解する。
少年は腰を下ろし、防御用の鉄板を確認しようとした。けれども、手で地面に触れるや否や、血相を変えたソレルが後ろから彼の襟を掴んで引っ張った。
志光は後転の要領で傾斜を転がった。すると、彼を案内していた男の足元から凄まじい発射音と共に光る物体が飛び出してきた。
男の肉体は一瞬で粉砕され、黒い塵と化して闇に消えた。
「後ろに下がって!」
咆哮したソレルが残りの面々を坑道の曲がり角まで押し返す。
志光が這いずって折りたたみ椅子がある場所まで戻ってきたところで、背後から爆発音が響いてきた。そのあまりの大きさに聴覚がやられ、何も聞こえなくなってしまう。
しかし、少年は脇目も振らず一心不乱に逃げた。麻衣、ソレル、ヘンリエット、ウニカも彼に続く。
やがて出口が近くなったところで、一同は大荷物を抱えた大工沢とクレアを先頭に、十数人の部下を引き連れた麗奈と遭遇した。先頭を走っていた志光はその場で立ち止まり、指で両耳を示すと両手を交差させて×印を作る。
「あら。そういうことね」
少年のジェスチュアで事情を理解したクレアは、自らの指先に意識を集中させた。続いて背の高い白人女性は志光に近寄ると、青く輝きだした指先を彼に含ませる。
強制的に邪素を流し込まれた悪魔の肉体は、高度な生物ではあり得ないほど急激に回復した。
「ありがとう。助かったよ」
聴覚が戻った志光はクレアに礼を述べる。
「凄い音がしたわ。何かあったの?」
「坑道の行き止まりを見学しに行って、敵から攻撃された。待ち伏せだと思う」
「被害は?」
「黒鍬組の男性が敵に撃たれた。名前は分からない」
「座間だろう。坑道にいたのは奴だけだったはずだ」
志光の説明に大工沢が素早く回答した。彼女の顔がみるみるどす黒くなる。
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