第194話37-3.泥酔

「ちょっと! なんで地頭方が泣いてるのよ!」

「やっと……やっとこういう光景が見られたからだよ!」

「やっとって……自分の女の身体に、卑猥な単語を落書きしたかったの? 貴男ぐらいの権力者なら、すぐにでもできることじゃないの?」

「違う、そうじゃない。ウチの女性陣は気が回りすぎて、僕のことを奪い合ってくれないというか、嫉妬してくれないというか……」

「複数の奴隷なり恋人なりを抱えているんだから、全員が地頭方に従順な方が良いと思うけど?」

「そういうのが好きな人がいるのは知っているし、否定もしないけど僕は違う。こう……僕のことをもっと欲望して欲しいんだよ!」

「私には、あの二人が地頭方を取り合っているんじゃ無くて、どちらが身体により卑猥な落書きができるかを争っているようにしか見えないんだけど」

「いいかい、ヴィクトーリア。僕から見ると、今の二人は僕の寵愛が欲しくて争っているように見える。だから、事実は指摘しなくて良い」

「……地頭方がそう言うなら、私はもう何も言わないわ。でも、夢を見たいなら後にした方が良いと思うけど」

「どうして?」


 志光が目を瞬かせると、ヴィクトーリアは無言で行動に続く穴に顔を向けた。そこには門真麻衣の頭部が見えた。


 赤毛の女性の目は吊り上がり、瞳孔は興奮で大きく開いていた。彼女の存在に気づいたソレルとヴィクトーリアは口を閉じ、穴から距離をとる。


 志光もソファから立ち上がると後じさった。次の瞬間、飛び上がった麻衣が床に着地する。


 赤毛の女性の手には、空になったスピリタスの瓶が握られていた。彼女はその場にいた全員の顔を濁った瞳で見回してから口を開く。


「アタシは、もう呑めるだけ呑んだ。だから、そろそろ戦争を始めよう」

「わ、分かったわ。じゃあ、偵察を始めるわね」


 ソレルは怯えた面持ちで麻衣に呼応すると、全身から青白いオーラを立ち上らせた。光はやがて幾つかの粒に変わり、坑道に続く穴へと消えていく。


 すると、そこでソレルが作った〝蝿〟と入れ替わるように、クレアと麗奈と大工沢が現れた。志光がポニーテールの少女に目配せすると、彼女は小さく頷いて状況を説明する。


「皆さんが見ての通りです。これ以上、攻撃を控えていると、私たちが麻衣さんに殺されます」

「こっちも状況は見ての通りだ。ソレルが偵察を開始した。それまでは麻衣さんには我慢してもらわないと」

「それじゃ、私はみんなを呼んできます。部隊を組ませないと」


 麗奈はそう言うと、慌ただしく部屋を出て行った。大工沢は無言で麻衣の傍らに立ち、彼女の酔い具合を注意深く伺っている。


「困ったわね」


 スペシャルで形成した監視装置を、坑道の行き止まりからゲートのある通路まで送り込んだソレルが顔をしかめた。その場にいた一同は、彼女の発言に耳を澄ます。


「ゲートに続いている通路は真っ暗で、しかも煙が充満しているわ。これは火事じゃ無いわね……多分、フォグマシンよ」

「つまり、敵は貴女への対策を立ててきた、ということかしら?」


 クレアが質問すると、ソレルは歯を剥き出しにする。


「そういうことだと思うわ」

「対策は?」

「私の〝蝿〟に煙を追い払う力は無いわ。池袋ゲートに通じる通路と坑道の一部を繋げてから、爆発物を使って煙を吹き飛ばす、とか? 大型の扇風機でも良いかも知れないわね」

「お安い御用よ。でも、それをするにしても情報が足りないわ」

「分かったわ。少し待って」


 褐色の肌はそう言うと両目を閉じ、偵察に意識を集中させる。しばらくすると、彼女は首を左右に振った。


「ゲートに続く通路に、切断した鉄パイプのようなものが、乱杭のように何本も突き刺さっているわ。こちらの移動を邪魔するつもりね」

「爆発物か、銃撃とワンセットになっていそうね」

「でしょうね。ただし、ここで爆発を起こせばゲートごと埋まってしまうはずよ」

「そうなると銃撃が無難な選択と言うことになるわね」

「そうでなければ、穴が崩壊しない程度の爆薬によるトラップでしょうね。どちらにせよ、まずあの鉄パイプで出来た針の山を抜けないと話にならないわ」

「確かに……」


 ソレルの指摘に頷いたクレアは志光に顔を向けた。少年はやや斜め上を見上げてからウニカの名前を呼んだ。


「ウニカ!」

「…………」


 自動人形は直ちに少年の前に移動する。


「地面に刺さっている鉄パイプを回避して、通路を前進することはできるかな?」


 志光の質問にウニカは表情を変えず頷いた。


「ありがとう。頼む」


 自動人形に礼を述べた少年は、クレアに自分のアイデアを告げる。


「ウニカなら、鉄パイプを避けて前進できるかもしれません。ただし、その先で敵が待ち構えているなら、返り討ちに遭う危険がある」

「当然、待ち構えているでしょうね」

「僕の警護役を無駄死にさせたくない」

「ウニカを送り込む前に、こちらの火力で制圧するしか無いわ」


 クレアはそう言うと、麻衣の横に立っている大工沢に声を掛けた。


「大工沢さん。プラスチック爆弾と信管の予備を持っていない?」

「もちろんあるよ。でも、何に使うんだい? 大量に使えば、ゲートごと生き埋めになるぞ」

「量はそれほど多くなくて良いわ。そうね。洗面器一杯分ぐらいかしら?」

「十分多いぞ。それをどうするつもりだ?」

「中央部を凹まして、指向性の即席地雷を作るつもりよ」

「はあ……なるほど、そういうことか。このホテルの私が管理している部屋にストックを保管してある。取り行こう」

「助かるわ」


 クレアは熊のような女に謝意を伝えてから、志光に断りを入れる。


「ハニー。私は大工沢さんと一緒に即席の爆発物を作るわ。それまでに門真さんを何とかなだめておいて」

「努力はするよ」


 志光が首をすくめると、背の高い白人女性は笑って彼の側を離れ、大工沢と一緒に部屋を退出した。


「私もM男共を呼んでくるわ」


 続いてヴィクトーリアが逃げるように部屋から消える。つまり、泥酔した門真麻衣という究極の危険物と同席しているのは、志光、ヘンリエット、ソレル、ウニカの三人と一体だけになった。


 この中で、辛うじて腕力で対抗できるのはヘンリエットのみ。スピードならウニカが勝るが、自動人形は接近戦のスペシャリストでは無い。志光とソレルに至っては論外だ。


 だから、麻衣が口を開くと全員が彼女の話に注目せざるを得なかった。

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