第184話36-6.暗黒神話

「あー、あー、聞こえないー」

「聞こえてるじゃないか」

「聞こえませんよ、ヤリチンさん」

「じゃあ、聞こえないままで良いから聞いてくれ。さっき警備室にいたのに、ここまでこっそり逃げ出したりしなかったか?」

「五六億七千万年前からここにいて、もう弥勒になってます」

「諸星大二郎ネタはマイナーだから受けないって、前に言ってなかったっけ?」

「残念でした。あの時は『妖怪ハンター』の話をしただけで、諸星大二郎作品には言及していません。『暗黒神話』ネタならメジャーなので大丈夫です」

「いや、どう考えても『妖怪ハンター』の方がメジャーでしょ……って、その話じゃないんだよ! いいですか、過書町さん。これから僕と一緒に外へ出て、敵の居場所を探る手伝いをしてもらいます。過書町さんを選んだのは、元日本人だから警察に怪しまれない見た目をしているからです」

「お断りします」

「なぜ?」

「私がアートマンだからです」

「…………まだ、そのネタを引っ張るんだ」

「ヤリチンさんが私を諦めるまで続きます」

「分かった。ヘンリエット!」


 茜との交渉が決裂すると、志光は許嫁の名を呼んだ。ヘンリエットはすかさず少年の傍らまで移動する。


「如何なさいますか、ご主人様?」

「前言を撤回する。何とかしてエムズに連れて行くから、過書町さんのメイド服を引っぺがして、君の服を着せてくれ」

「はい、喜んで!」


 少年の許嫁は居酒屋の店員さながらの返事をすると、ニッコリ笑って茜に近寄った。眼鏡の少女は強ばった面持ちのまま後じさる。


「ちょっと、ヤリチンさん! 彼女に私を襲わせるなんて卑怯じゃないんですか?」

「過書町さん。残念だけど、今は時間が無い。新垣さんを待たせているんだ。外交のトップなら、男尊女卑国の来賓を待たせる重大性ぐらい分かるだろう?」


 志光は片眉を上げ、唇を突き出した。すると、それが合図だったかのように、彼の許嫁が茜に飛びかかる。


「いやーっ! 犯されるうっ!」


 眼鏡の少女が悲鳴を上げても、ゲートのある部屋で作業をしていた女性たちは誰も反応しなかった。魔界に警察組織は無い。悪魔が身を守るには己の力を頼るか、より強い者にすがるしか無い。


 ところが、よりによって被害者を襲っている相手は魔界日本の棟梁とその許嫁なのだ。助太刀しても良い事など何も無いから、誰も茜の存在を無視し始める。


 眼鏡の少女が周囲から空気扱いされたことを察するや否や、ヘンリエットはその超怪力で彼女の着ていたメイド服を引き千切った。こうして茜が下着姿になると、志光の許嫁は続いて自分から服を脱いだ。


「どうぞ。サイズ的にはそんなに変わらないと思います」

「……」


 ヘンリエットから女学生風の衣裳を受け取った茜は、恨めしげに志光を睨む。


「ヤリチンさん。まさか、任務だと嘘をついて私を外に連れ出してから、ホテルであんなことやこんなことをするつもりじゃ……」


「四日前から、クレアさんやソレルに僕がどんな扱いを受けたかについて、見附さんから耳にたこができるぐらい聞いているはずの過書町さんが、なんでそんな妄想を? ぶっちゃけるけど、何日も雨が降らなかったダムみたいに、やられ過ぎて性欲が枯れたのかと思うぐらいすっからかんだよ」

「性豪自慢ですか? それに、レイプは支配欲の発露だから性欲とは関係ないって言うじゃないですか」

「過書町さん、アメリカに行った時にゴールドマン氏と僕のやり取りを聞いてなかったの? レイプが支配欲の発露だったら、僕は男性を支配しようとするたびに同性愛か両性愛にならないと変じゃないか。そんなの、現実的にあり得ないでしょ?」

「私の読んでる本には書いてありますよ! ノン気だったはずの主人公がゲイの攻めに無理やり犯されて感じちゃって、〝俺、どうして男と……〟と苦悩するんですよ!」

「それはただのBLだし、性癖が変わってるのは攻めじゃ無くて受けじゃないか! あーっ!」


 憤怒の声を上げた志光は、茜に人差し指を向けた。


「もういい。過書町さんの見解ははどうであれ、僕につき合ってもらう。そうでなければクビだ!」


 少年の口調が変わったのに気づいた眼鏡の少女は不満そうに唇を曲げたが、それ以上は反論を述べるのを止めた。


「……分かりました。その代わり、条件があります」

「条件?」

「私は戦闘要員じゃないので、敵を発見したとしても倒したり捕まえたりするのは無理です。期待しないで下さい。私が人間として学校に通っていた頃の、体育の成績は一ですから」

「それで問題ない。新垣さんたちと行動するつもりだから、彼のパートナーも含めて四人になると思う。一人ぐらい戦力外でもなんとかなるだろう」


 志光も茜に要求を突きつけず、肩をすくめてみせる。


「もう一つあります。私の着替えを覗かないで下さい。私はヤリチンさんの彼女たちみたいに、気軽に下着姿や裸体を男性に見せる嗜好はありません」

「女性の着替えは見慣れてるし、童貞の頃からそれほど強く下着には興味が無いから覗かないよ」

「態度で示して下さい。早く!」

「了解」


 眼鏡の少女から二番目の条件を突きつけられた少年は、その場で身体を半回転させる。しばらくそのままでいると、やがて茜から許可が下りた。


「いいですよ。これでどうですか?」


 背後を振り返った志光は、ヘンリエットの学生服もどきを身にまとった茜の姿を凝視した。彼女の身長が平均よりも低いために、どこにでもいるという表現には語弊があるが、少なくともこの見た目ならまず警官から呼び止められることは無いだろう。


 これで、ようやく新垣と行動を共に出来る。


「監視室に戻ろう」


 安堵の溜息をついた少年は、下着姿の許嫁、自動人形、そして眼鏡の少女を引き連れて元来た道を引き返した。監視室には、既に着替えを終えた新垣とヨーコ、そして彼ら二人と話をするソレルの姿が見える。


 禿げた中年男性はグレーのスーツ姿だったが、空手で鍛えた首が太すぎてワイシャツの第一ボタンはもちろん、第二ボタンですら留められない有様だった。一方、彼のパートナーは初対面の時に着用していたオレンジ色をしたイブニングドレスとは打って変わった、地味なベージュの生地を使ったAラインのワンピースを身につけていた。ただし、スカートの裾は膝上で袖も七分丈なので、こちらも隠密行動からはほど遠い格好だ。

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