第179話36-1. 枯渇
どんなに楽しいことでも、気持ちの良いことでも限界はある。
たとえば食事。美味しいものを腹一杯食べられる満足感は格別だが、食べ過ぎてしまったら胃もたれや吐き気に悩ませることになる。
たとえばゲーム。寝る間も惜しんでプレイしているちに、コントローラーを握る指が痛くなり、目はしょぼつき、仕事や勉強に使うはずだった時間が失われることになる。
そして、最後に性行為。最初はエクスタシーに到達する感覚に強い悦びを覚えていたのが、いつのまにか擦過でアレが痛くなり、それでも強要されていると感情が死ぬ。
地頭方志光は全裸でベッドに横たわり、無表情な面持ちで天井を眺めながら、腕に刺さった点滴の針を反対側の手で触れた。
邪素を直接体内に流されるのは、記憶にある限りこれで三度目だ。一度目は泥酔した麻衣から殴られた時。二度目は超怪力のヘンリエットに抱きつかれた時。
そして今回は〝合体〟のやり過ぎだ。しかし、そんなことで点滴のお世話になる悪魔が、一体どれだけいるのだろう?
この五日間は部屋から一歩も出なかったにもかかわらず、とても慌ただしかったし心身が疲弊した。一対一から始まって、二対一に三対一……もう無理だと思うと口にフィルム状のED薬を放り込まれて強制的に〝回復〟させられる。しかも、一人を除くと全員が上手いので、何のかんの言って最後には「出さされて」しまう。
もしも、これが自分の意志で行われたのであれば、まさに天国にいるような気分を味わえたのかもしれない。だが、生憎というか現実は女性陣に振り回されただけだ。
理由は何となく見当が付いている。魔界日本の軍事担当である湯崎武男が立てた計画に自分が口を挟むことを、クレア・バーンスタイン、門真麻衣、アニェス・ソレルの三人が望んでいなかったのだ。見附麗奈とヘンリエットは彼女たちが立てた計画に便乗したに過ぎない。
「船頭多くして船山に上るって言うでしょう? それは避けたいの。少なくとも、魔界から池袋ゲートを攻撃する作戦の船頭は湯崎よ。彼がゲートのある島に上陸するまで、ベイビーは何も考えず私たちと遊んでなさい」
特にソレルはオブラートに包まず事情を明かしてくれた。実際に三日目からは麻衣と麗奈が寝室に来なくなり、四日目からはクレアとヘンリエットが欠席した。作戦が進行し、自分たちの出番が来たからだ。
そして、五日目の朝になってソレルが自分に邪素の点滴を打った。要するに、お膳立てが整ったということだろう。
志光はベッドの上で半身を起こし、褐色の肌を探して首を振った。彼女はソファに座って鼻歌を歌いながらワイングラスを傾けている。
「お早う、ソレル」
「お早う、ベイビー。気分は如何?」
「最後の一滴まで搾り取られた感じだけど……なんでソレルはそんなに機嫌が良さそうなの?」
「あれだけベイビーに〝ご馳走〟してもらったんですもの、機嫌が悪くなるはずがないでしょう? ほら、見て。お肌ツヤツヤよ」
「僕も君がやけに綺麗に見えるんだ」
「女は愛されて輝くということよ」
「……愛ってなんだろう?」
「大丈夫? 五日も休まずやっていたのに、もう忘れちゃったの?」
「いや、あれって愛無しでもできるよね?」
「一日や二日ぐらいならね。でも、五日連続は無理よ。逆に言うと五日連続でできれば愛がある証拠よ」
ソレルはそう言ってデザートワインを飲み干すとソファから立ち上がり、大型タブレットを志光に手渡した。
「もう、分かっていると思うけど、そろそろベイビーの出番よ。湯崎の部隊が、計画通り池袋ゲートのある島に上陸拠点を確保したわ。敵の推計は、悪魔が約二〇〇人前後。魔物の数は不明。こちらは約三倍の兵力で攻めているけど、戦況は硬直しているわ」
「二〇〇人! ホワイトプライドユニオンの悪魔は一〇〇〇人前後だから、相当な数を島に上陸させたんだな」
「あちらの棟梁であるゲーリーの熱心な支持者を根こそぎ連れてきたみたいよ」
「あいつも必死なんだろうな」
「それは私たちも同じでしょう? 今回の戦いは、多くの悪魔が注目しているわ。ベイビーも私も、他の幹部たちも負けるわけにはいかないのよ」
「分かってるよ。それで、こちらの損害は?」
「戦死者一〇名。負傷者は二四名。ちなみに、あちらの損害も推計で同数程度よ」
「じゃあ、予想通りこちらが圧倒的に有利ってわけじゃないんだね。それなら、池袋ゲートを襲撃するという計画は予定通り実行するしかないわけだ」
「もちろんよ。大工沢はベイビーの提案通り、囮のビル爆破に使う爆薬を現実世界で製造し終えたわ。後は実際に爆破させるだけのようよ」
「麻衣さんの様子は?」
「門真は部下を使って、坑道の入り口があるラブホテルに武器弾薬を輸送するという難題に挑戦中よ」
「警察の検問が厳しいんだよね? 特に大型トラックを使った輸送は難しいって話を前にしていたと思うけど……」
「他国にも協力してもらって、大塚ゲートから徒歩で池袋まで移動して検問を回避しているわ。人海戦術ね」
「そりゃ大変そうだ」
部下の苦労に少年が同情していると、ソレルは続いて彼の着替えをベッドまで持ってきた。
「立って。準備ができたら現実世界に行きましょう」
「ありがとう」
全裸の志光が点滴の針を抜いてベッドから立ち上がると、褐色の肌はかいがいしく彼に衣類を着せていく。
いつもの服装になった少年は、邪素の入った水筒を片手にソレルを付き従えて寝室を出ると、扉の前で警備をしていたウニカ自動人形を引き連れ、螺旋階段を上ってドムスの中庭に到着した。そこには、麻衣の部下である女性たちが、足早に移動しつつ言葉を交わす姿があった。
「みんな忙しそうだね」
志光が彼女らの様子を訝しがると、ソレルが事情を説明してくれる。
「大塚ゲートに運ぶ武器弾薬は、魔界日本で製造しているのよ。忘れたの?」
「ああ。ここの工場で作ったものを、大塚ゲートに運ぶまでの中間地点としてドムスを使っているのか。でも、ここでは日本の警察が検問することはないんだから、物資の運搬は車両でしているんだろう?」
「ええ。ウチの車を総動員しているわ。それに、心強い助っ人が来ているから挨拶して」
「助っ人?」
褐色の肌が放った言葉に首を傾げた志光は、彼女に押されて執務室に足を踏み入れた。そこには、オレンジ色の髪を二つに分けて結っている、十代中盤ぐらいの外見をした少女がいた。ヘンリエットの姉、ヴィクトーリアだ。
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