第177話35-3.動機
司も湯崎の部下として、戦闘に同行することになった。元ガン患者は数名が入ればいっぱいになってしまう上陸用舟艇の狭い艦橋から、同僚と一緒になって窓の外に広がる魔界の海を眺めつつ、その異様な光景に心を奪われた。
空は真っ暗で何も見えないのに、海は青く輝いている。こんな場所は、現実世界のどこを探しても存在しない。悪魔たちが、ここを魔界と呼ぶ理由がよく解る。
今のところ経過は順調だ。魔界日本を出発した上陸用舟艇は、巨大なウミヘビの襲撃を受けることもなく、敵の攻撃に晒されることもなく前進を続けている。
「そろそろか?」
司の隣で同じ方向を見ていた湯崎が呟いた。元ガン患者は、ごま塩頭の言葉に同調する。
「予定では、あと一〇分ぐらいですね」
「いよいよ戦争だな。自衛隊にいた頃には、こんなところでドンパチをおっ始めるなんて想像もしていなかったぜ」
「戦争を想像していなかったんですか? それとも、魔界を想像していなかったんですか?」
「どっちもだよ。ただ、悪魔になって何年も経ってからで良かった。その間に、何度か殺し合いに巻き込まれたお陰で、いざという時に使える武器とそうじゃない武器の区別がつくようになったからな」
「湯崎さんは、戦争をしたかったんですか?」
「俺は殺し合いより覗きの方が好きだ」
「ですよね……」
「ただ、自分がここで雇われている理由も解っている」
「戦争をするため、ですか?」
「そうで無ければ、相手にケンカを諦めさせるためだ。軍事力の理想的な使い方は、戦争抑止だ。それは、戦争を仕掛けようとした敵が、思いとどまるぐらい強力な力を持つってことだ。今回は、相手が相手だけに無理だったわけだが」
「そういえば、戦争を決めた我々の雇い主は自室で女どもと乳繰りあっていると聞いたんですが……」
「事実だ。会議にも出てきやしない」
「いざ戦うという段になって、ビビって現実逃避でもしているんですか?」
司の推測を聞いた湯崎は、狙撃を回避するために薄暗くなっている艦橋の中で小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。同僚たちも彼と同じように薄笑いを浮かべている。
元ガン患者は、周囲の意外な態度にたじろいだ。
「あの、どうしましたか?」
「何でも無いよ。麻衣も言っていたが、お前は本当に女についてからっきしなんだな」
「……女性の話をしているつもりは全くなかったんですが」
「だから、だよ。敵の本拠地にまで乗り込んで大暴れしたトンパチ坊主が、自分から進んで戦争直前に女とベッドでレスリングを延々としたがると思うか?」
「常識的に考えれば、あり得ない話ですよね」
「そうだ。女の方から誘ったんだ」
「何のために? 女性は男性より性欲が無いんですよね?」
司のあまりにも無自覚な女性蔑視的発言に、湯崎は口を曲げて天井を仰いだ。ごま塩頭は溜息をついて部下を諭す。
「女が自分に性欲があるって公言したらどうなると思ってるんだ? そいつとヤリたい下手くそな男共が群がってくるだろうが」
「え! じゃあ、やっぱり女は嘘吐きなんですね!」
「自衛のためだよ。なんで、息をするように女性は悪いに決まっているという前提で論旨を組み立てるんだ?」
「すみません。よく言われるんですが、そういう自覚は無いんです……」
「だろうな。まあ、いい。ここには女がいないからな。坊主がベッドで入れたり出したりしているのは、麻衣やクレア、ソレルの意向だ。まず、坊主は俺の意見を無視して、ホワイトプライドユニオンのトップと会談した。次に、池袋ゲート奪還作戦の打ち合わせで、想定していなかった陽動作戦を加えることを俺に承認させた。彼女たちが止めていなかったら三度目も四度目もあっただろうよ」
「ちょっと待って下さい。まるで女どもが、湯崎さんの計画を邪魔させない目的で、棟梁をベッドに押し込めているみたいじゃないですか」
「みたいじゃなくて、その通りだよ。坊主は一八歳だ。度胸もあるし、センスも良いのは認めるが、まだ小規模とはいえ戦争全般をコントロールするだけの知識も経験も無い。俺がその素人に引っかき回されないよう、あっちから気を遣ってくれたんだよ」
「はあ。女どもに、そんな才覚があるとは思えませんが……」
「……お前、本当に酷い女性嫌悪(ミソジニー)だな」
湯崎が感心していると、艦橋の内線電話が鳴った。ごま塩頭は受話器を取って三〇秒ほど言葉を交わすと司に指示を出す。
「船長から報告。目標地点に到達したそうだ。作戦開始! 総員に上空を監視させろ。対空砲の準備も忘れるな。一番艦は自律ボート放出!」
「作戦開始! 総員上空監視! 一番艦は自律ボート放出!」
司は湯崎の言葉を復唱してから、自分の手前にある内線電話の受話器を持ち上げ、デッキにいる兵員に命令を下した。同僚たちは他の艦艇に無線で戦闘開始の合図を送る。
数分ほど経つと上陸用舟艇の一隻が戦列から外れた場所で停止して、荷物を乗せる巨大な板を下げ、そこから直方体状の何かを次々に邪素の海へと放り出した。
それはFRPで出来たボートだった。ボートの大きさは四~五人が乗れる小型タイプだったが、その分だけ数は多く、目視できるだけでも二~三十隻はあった。
ボートはやがて自動的に島に向かって前進し始めた。すると、それと同時に別の上陸用舟艇から大型のドローンが複数のプロペラを回しながら離陸して、ボートを先導するように飛び始める。
どちらの兵器にも悪魔が乗っていないのには、少しでも人的、いや悪魔的な被害を減らそうという意図があった。司は双眼鏡でボートの動きを確認しつつ湯崎に報告する。
「ボートが自律駆動を開始しました。予定通り池袋ゲートのある島に向かっています」
「気を引き締めろ。ここまで派手にやって、敵さんが気がついていないわけがないからな」
「了解!」
司が各員に電話連絡をしていると、前方の海が盛り上がり、爆発音と共に数十メートルの水柱が立った。近くにあったボートが一旦宙を舞ってから海面に消えていく。
「間違いない。機雷だ。予想通りだが、かなりデカいぞ」
湯崎は子供のような笑みを浮かべ、前方に目を凝らした。司は上役の読みの確かさに内心で舌を巻く。
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