第150話31-1.新宿二丁目へ

 ゲートへの出入りが保証されている悪魔の旅行は気楽なものだ。日程に応じて能力を維持するだけの邪素を持ち運びすれば良い。また、現実世界との往来が多い悪魔は、それぞれが邪素を運びやすい専用のバッグを持っている。


 地頭方志光はリュックサック型のものを、クレア・バーンスタインは革製のリュックサック、そして過書町茜はB5サイズの同人誌を大量に収納するための専用バッグに、それぞれが必要と思った分だけの邪素入りペットボトルを詰め込んで、ツバの広い帽子を被って不自然なぐらい整った顔を隠したウニカと一緒に〝キャンプな奴ら〟の共同代表であるウィリアム・ゴールドマン、そして魔界日本と関係の深いミス・グローリアスと一緒になって、大塚のゲートから現実世界へ戻った。


 志光が見附麗奈と乳繰り合っている間に、ゲートの近辺はアニェス・ソレルがスペシャルを使ってしらみつぶしに調べていた。そして、彼女は敵の存在を感知できなかった。


 本拠地を攻撃されたことと、麻薬売買ルートが一時的に壊滅させられたせいで、ホワイトプライドユニオンは魔物や悪魔を大塚に配置できるほどの余裕を失っているのではないか、というのが褐色の肌の推測だった。


 彼女の調査結果を裏付けるように、一行は襲撃されること無く大塚駅の北口から山手線の下をくぐって南口に出ると、そのまま数百メートル直進して、地下鉄丸ノ内線の新大塚駅に到着した。彼らはそこから電車で隣にある池袋駅に向かい、丸ノ内線のホームから歩いて新宿副都心線のホームまで移動する。


 池袋には魔界へのゲートが存在する。それはかつて魔界日本の、今は白誇連合の支配下にある。


 彼らは有色人種を人間とは思っていない。いや、思っていたとしても容赦なく傷つけ、殺すだろう。ホームに爆発物を持ち込んで、スイッチを押すことぐらい朝飯前のはずだ。


 地下のホームから別のホームへ辿り着き、新宿副都心線の列車に乗り込むまで志光は生きた心地がしなかった。しかし、少年の懸念は当たらなかった。一同は襲撃に遭うこと無く池袋を出立し、新宿三丁目駅に着いた。


 クレアの語った仮説によれば、ジョゼッペを人質に取られたホワイトプライドユニオンが、彼の身を案じて攻撃を控えているのではないか、ということだった。彼女の推理が当たっているとすれば、敵を生かしておいたことに意味があったことになるが、真相は霧の中だ。


 B2出口から地上に出た志光たちは、ミス・グローリアスの先導によって東に進みつつ雑居ビル群を抜け、都道三〇五号を横断して新宿二丁目に到着した。ゲイ用語に疎い志光にとって、複数の雑居ビルで構成された区画が世界有数のゲイ・タウンかどうかは、至る所に設置されてある看板を見ただけでは皆目見当がつかなかった。


 そもそも、盛り場に行った経験が皆無の少年には、新宿二丁目を他の繁華街と比較することもできない。日中の路上を歩く人の相当数は外国籍とおぼしく、そして彼らが同性愛者かどうかを判断する基準も解らない。


 もしも、そうした目安があったとしても、同性愛者(ホモセクシャル)と両性愛者(バイセクシャル)をどうやって区別するのだろう? あるいは異性愛者(ヘテロセクシャル)と両性愛者をどうやって区分するのか?


 それは、魔界日本の幹部連と散々やり取りした話と基本的に変わらない。ドイツ人とユダヤ人が結婚して生まれた子供、すなわち「ユダヤ人であり、かつドイツ人」をドイツ人と、あるいはユダヤ人と完全に区別することはできないのと一緒だ。


 ただし、男性を性的対象としているであろうと推測できる外観をした場所もある。


「ここよ」


 ミス・グローリアスが立ち止まった店の看板には、筋骨隆々の男性が全裸で股間をプレートで隠しているという立て看板が置いてあった。志光が後ろを振り返ると、茜が食い入るように男の裸像を眺めている。


「ここはアダルトショップですか?」

「ええ。ゲイビデオとアダルトグッズが置いてあるわ。ゲートはこの奥よ」


 ヒョウ柄のジャケットを着た男は、そう言うとすいすいと店内に入っていった。眼鏡の少女が嬉しそうに彼の後を追う。


 志光も彼らの後を追いかけた。アダルトショップの店内には、ミス・グローリアスが説明したように、アダルトグッズらしき品々とDVD、そして露出した男性のヌードポスターが所狭しと並んでいる。


「すごっ……」


 茜は恍惚の面持ちで店内を舐め回すように眺め始めた。彼女の存在に気づいた男性客の何人かが、露骨に顔をしかめる。


 眼鏡の少女は彼らの態度に気づいて悄然とした。すると、ヒョウ柄のジャケットが彼女を庇ってくれる。


「ごめんなさい。私の知り合いなの。奥に通らせてね」


 彼はそう言うと、茜の肩を抱くようにしてカウンターの奥へ消えた。志光は店員の一人に会釈してから、レジスターの脇を通って隣室に入る。


 そこは、倉庫と店員の休憩室を兼ねたような場所で、狭い室内には段ボールが乱雑に積み上げられていた。


「そこよ」


 ミス・グローリアスが部屋の一角を指し示した。そこには、あまり大きくない内開きのドアがあった。


 すると、先ほどまで志光の真後ろをついてきていたウニカが、彼の前に回り込んだ。自動人形は、そのまま誰の許可も取らずドアノブに手をかけて回す。


 扉の向こう側にあったのは地階に向かう階段だった。幅は狭く、一メートルもなさそうだ。


「そこを降りていって」


 ヒョウ柄のジャケットを着た男の声を聞いたウニカは、志光がいる場所を見た。


「ウニカ。下に降りて」


 少年は自動人形に命令する。


 また、彼自身もミス・グローリアスと茜を追い越して階段に足を掛けた。思ったよりも急勾配で、足を滑らせたら一気に転げ落ちそうだ。


 志光は時間をかけて一番下まで辿り着いた。そこはコンクリートを突き固めて作った空間だったが、大塚のゲートに比べると小面積で、どこかからカビの匂いが漂ってくる。


 少年と自動人形は残りのメンバーが降りてくるまで階段の端で待った。一同が勢揃いすると、再びミス・グローリアスが先頭を歩き出す。


「狭くてごめんなさい」


 ヒョウ柄のジャケットは、来賓たちに謝罪の言葉を述べた。志光はLEDに照らされた空間を見回しつつ、疑問を口に上らせる。

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