第143話29-3.花は聖者に喰われた

「私も参加すれば簡単よ。3Pで……」

「良い方法だと思いますが、謹んでお断りさせていただきます。見附さんにも釘を刺されてますから」

「仕方ないわね。それじゃ、基本に返りなさい」

「基本?」

「仰向けに寝た女性に対して、リードする男性のとるべきポジションは?」

「右利きなら右側ですね。女性の右側に入れば、利き手である右手で女性の股間を愛撫できるからです」

「それだけ判っていれば十分よ。後は彼女が痛がって逃げだそうとしたら、足を両手で押さえ込みなさい」


 クレアはそう言うと、椅子を引いて立ち上がった。彼女は大きな乳房の間に志光の頭を挟んで優しく語りかける。


「安心して。私からも、見附さんには初夜の心得を教えておいたわ。それに、処女として詰まらなかったら、私か麻衣かソレルで発散すれば良いでしょ?」

「お、お心遣い、感謝します」


 たわわを押しつけられた少年が礼を述べると、背の高い白人女性は笑いながら執務室から姿を消した。志光も十数秒後には立ち上がって中庭に移動する。


 中庭には大工沢美奈子率いる黒鍬組のメンバーが忙しそうに動き回る姿があった。魔界日本における建設集団が行っていたのは、ヘンリエットを迎え入れるための部屋造りで、具体的にはかつて魔界日本の幹部だった、花澤という女性悪魔が使っていた部屋の改装だった。


 少年が通りかかると、黒鍬組のメンバーは「どうも」と軽い挨拶をして螺旋階段が設けられた扉の中に消えていった。けれども、改装している場所が中庭から遠いせいで工事の音はしない。


 リフォームが終われば、ヘンリエット、あるいはその代理人がここに来て婚約が成立する。まったく実感が持てないが、それは結婚までのカウントダウンが始まることを意味する。


 十二歳の、ただし魔物も裸足で逃げ出すような怪力の悪魔と結婚? 一体どういう生活が始まるのだろうか?


 現実世界であれば、小学生と〝合体〟するのは御法度だし気が進まない。本音を言えば処女をリードするのも気が引ける。


 最初の相手がクレアと麻衣だったのは、自分にとって幸運だった。緊張して「できない」状態にならなかったのと、最短で正しい身体の動かし方を覚えられたからだ。


 これが、見附麗奈相手だったらどうだったか? お互い試行錯誤している間に、上手くいかない焦りで「できなくなっていた」可能性が高い……ような気がする。


 そう思うと、童貞を嫌がる女性の気持ちも分かる。性行為全般に対する自信が無いと、相手が未経験者だと聞いただけで、失敗するかも知れないという恐怖からやる気が削がれてしまうのだ。


 志光がぼんやりと黒鍬組の様子を眺めていると、かつて花澤の居室だった出入り口から、大工沢が現れた。一九〇センチに近い立派な体格を持った三つ編みの女性は、のっしのしいと少年に近づいてくると、やや屈んで彼の耳元で囁き出す。


「大将。ちょっと来てくれないか?」

「何ですか?」

「部屋をリフォームしている最中に、ウチの面子が一郎の落書きを見つけたんだ」

「父さんの? 何が書いてあったんですか?」

「それが、詩みたいなもので、意味がさっぱり分からないんだよね」

「はあ」

「見たいだろ?」

「ええ。お願いします」

「来なよ」


 志光が頭を下げると、大工沢は彼を手招いた。二人は前後になって螺旋階段を降りる。


「花澤さんが死んだのは二五年前のことだそうだ。私は会ったことが無い。ウチの幹部で面識があるのは、窪と湯崎とソレルの三人だと聞いている」

「窪さんとは、ほとんど話をしたことが無いんですよね」

「彼は人付き合いが悪いからね。一郎の意向もあって、花澤さんの部屋は最低限の片付けをされただけで長期間放置されていた。大将が新しい棟梁になって、ここを改装することが決まってから、ウチらが中に入ったわけだが……」

「何かおかしいところでもあったんですか?」

「いや、このドムスに設けられた幹部用の部屋として標準的なものだよ。ただ、落書きが見つかっただけだ」


 階段を降り、鉄扉を開け、長い通路に入ったところで熊のような女性は歩みを止めた。彼女は工事用のLED照明に照らされた通路の一角を示す。


「そこだよ。通路の塗り替えをしようとしていたらあったんだ」


 志光は通路の壁に顔を近づけた。そこには一文が引っ掻くように掘られていた。


「花は聖者に喰われた」


 文字を読み上げた少年は首を捻った。


 大工沢が説明したとおり、落書きの内容は詩のようだった。しかし、何を指し示しているのかが良く解らない。


 花というのは、かつてこの場所に住んでいた花澤という悪魔のことか? それでは「聖者に喰われた」とは、一体何を意味しているのか?


「確かに、これだけじゃ何が言いたいのかがぼんやりしていますね」


 スマホを取り出した志光は、付属のカメラで落書きを撮影した。


「他に、同じような落書きは見つかったんですか?」

「いや、これだけだ。ここもリフォームしなきゃいけないんだが、この落書きは残しておくか?」

「写真に撮ったから、上から塗っても大丈夫ですよ。ちなみに、これは本当に父さんが書いたんでしょうか?」

「断定はできないが、まず間違いないだろう。筆跡が同じだ」

「解りました。ありがとうございます。」

「ちなみに、この落書きの話は他の幹部にしても良いのかい?」

「ご自由にどうぞ。特に重要でも無さそうですし」


 志光が礼を言うと、大工沢は笑顔になった。


「よし。これで施工主から許可を取ったぞ。また、何かあったら報告するよ」

「ありがとうございます」


 片手を挙げた少年は、鉄扉をくぐって螺旋階段を上り、中庭に戻る。


 そこでは、親衛隊のメンバーが何人かで固まって談笑をしていた。彼女たちの中には、少年を見つけると「棟梁、ファイトー!」などとわざとらしい声を掛けてくる者もいる。


「はーい」


 愛想笑いを浮かべながら手を振った志光は自室に足を向けた。焦げ茶で統一された空間に戻ると、彼は寝室に行く前にソファへと腰かけ、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。


 間違いない。処女卒業パーティーがお開きになったのだ。

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