第139話28-6.自衛隊徒手格闘

「勝負あったか?」


 刀を手にした羽織袴が闇に目を凝らした。ソレルは意識を集中させ、荒川沿いの茂みに視線を向ける。


「悪魔がいるわ。川岸沿いをこっちに向かってくる。門真の兵隊が時計回りに包囲を始めたから、こちら側に来たのね。タイミングを見計らって逃げるつもりよ」

「どうする棟梁? 生きて捕まえるか、この場でやっちまうか?」


 タイソンは首を回してから志光に尋ねてきた。


「どちらでも」


 少年が生死を問わないと明言すると、元レスラーは親指を立てる。


「じゃあ、その時次第で」

「それがしも行く。滅多いにない攘夷の機会だ」


 要蔵もアソシエーション関係者とは思えない物騒な言葉を口にしつつタイソンと並ぶ。


 その二人が数歩移動したところで、茂みの中からスーツを着た白人男性が現れた。彼は元レスラーと目を合わせた瞬間、ぎょっとした面持ちになり、続いて羽織袴の姿を目にすると、一気に邪素を消費して戸田橋の下を飛ぶようにくぐり抜け、ゴルフ場がある方向に逃げる。


「待たぬか!」


 要蔵は刀を振り回しながら追跡を開始した。


「待ってくれ!」


 タイソンも慌てて羽織袴の後を追う。


 残された三人と一体は、次のチャンスを待った。十数秒すると、邪素無線機に戦果の報告が届く。


「こちら門真。残りの魔物二体を排除。こちらの損害無し。生物生態園に一名を追い込んだ。残りの一名は不明」

「こちらソレル。了解。引き続き、戸田橋付近で敵が逃げてくるのを待つわ。敵の銃撃部隊が全滅したのなら、射撃は停止して」

「こちら門真。了解」


 麻衣とのやりとりを終えた褐色の肌は新しい〝蝿〟を飛ばそうと邪素を消費し始めた。ところが、彼女が外界から意識を逸らしたタイミングで、新たな白人男性が枯れ草の中から飛び出してくる。


「ソレルさん、危ない!」


 咄嗟に危険を察知した麗奈が、対戦車ライフルを抱えて飛び出した。けれども、敵は悪魔ならではの瞬発力でラハティの下に潜り込み、肩で銃器を斜め上に押し上げてしまう。


「チッ!」


 銃器の使用が難しいと悟ったポニーテールは、そのままライフルを離すとボクシングに似た左半身の構えをとった。ただし、拳の位置は胸のあたりで顔はガードしない。自衛隊徒手格闘の基本姿勢だ。


 白人男性は英語で何事かを喚くと、ベルトにぶら下げていた鞘からボウイナイフを引き抜いた。男は右手に刃物を持ったまま、麗奈と同じように左半身の構えをとる。


 二人は暗闇の中でじりじりと距離を詰めた。やがて刺せると踏んだのか、白人男性が一歩前に踏み出すと上半身を回し、右手に握ったナイフを真っ直ぐ突き出してくる。


 次の瞬間、麗奈は彼女から見て左側、相手から見て右側の空間に飛び込むと、下から手の平で右腕の手首と肘の間を叩いた。続いて彼女はスーツの裾を掴んで手前に引く。


 前進していた白人男性はバランスを崩し、やや前のめりの姿勢になった。ポニーテールは右脚を上げると回転させ、膝を相手のみぞおちにめり込ませる。


 白人男性は苦痛に顔を歪めて前屈みになった。麗奈は敵の背後に回り込み、靴底で臀部を蹴る。


「ウニカ。こいつを取り押さえろ。殺すな」


 河川敷に設けられた道路に敵が倒れると、志光はすかさずウニカに捕縛を命じた。自動人形はうつ伏せになった白人男性の腕をねじり上げる。


「見附さん。大丈夫?」


 志光は敵の様子を見下ろしている麗奈に声を掛けた。ポニーテールは少年を振り返り、ニコッと微笑んでみせる。


「どうですか? 棟梁や麻衣さんほどじゃないけど、私もなかなかですよね?」

「ああ。凄かったよ。ああいうナイフとの戦い方もあるのか」

「はい。それで、コイツをどうするんですか?」

「邪素を抜いて監禁……かな?」


 志光が生かして捕らえた悪魔の処遇について考えていると、邪素無線機から麻衣の声が聞こえてきた。


「こちら門真。厄介ごとだ。最後に残った一人が強い。うちの部下が二人重傷を負った。ナイフ使いだ。アタシが直接行く」


 赤毛の女の説明を聞いた少年とソレルは、黙って麗奈の方を向いた。ポニーテールはすかさずその意味を汲むと首を振る。


「大丈夫ですよ。今日の麻衣さんは断酒してます。私の処女卒業パーティーのために頑張ってくれるって約束してくれたんです」

「麻衣さんが戦闘中に断酒するのは素晴らしいとして、まだそのネタを引っ張るのは……」

「ネタじゃないですよ! 私の人生の一大事じゃないですか!」

「ベイビー。まだ見附としてなかったの? 勿体ぶらないで、さっさとしてあげれば良いじゃない」


 二人のやりとりを聞いた褐色の肌が呆れ声を上げた。新たな味方を得た麗奈は、嵩にかかって志光を責め立てる。


「ほら! ソレルさんだって、こう言ってるじゃないですか!」

「ねえ、ソレル。一応聞いておくけど、処女ってそんなに重要じゃないの?」

「処女かどうかが重要なのは男の方でしょ? 恋人や女房が自分以外の男の子供を孕まされるのは困るから、処女性を極端に重要視したんでしょ? だから、童貞はたいして重要だと見做されないんじゃないの?」

「……そりゃそうだ」

「判ったら、さっさと敵を片付けて、ここから脱出しましょう。もう配松の欺瞞工作も限界が近いわよ。私達も麻衣と合流しましょう」

「了解。ウニカ。そいつを見張っていてくれ」


 志光が命令すると、白人男性の背中に乗ったウニカは無言で首を縦に振った。少年はソレルと麗奈を伴って野球場を通り過ぎ、生物生態園の前で立ち止まる。


 枯れた芝生の上では、親衛隊のメンバーが何人かずつ固まって、周囲を警戒すると同時に負傷した仲間の手当を行っていた。


「志光君。こっちだ」


 暗闇の中で志光たちに気づいた麻衣が手招きした。少年は足早に彼女の側まで歩く。


「敵は、この奥にある川を観察するためのテラスにいる。藪が邪魔で、ここから狙撃しても当たらないし、テラスの面積も狭いから接近戦は避けられない。それで、アタシの部下二名が手首を切られた。手練れだよ」

「麻衣さんが行くんですか?」

「アタシが素面で戦うところ、見たくないのかい?」

「見たいですよ」

「だと思ってキミが来るのを待っていたんだ。行こうか」


 赤毛の女性は少年の肩を叩くと、背後を振り返って麗奈を目で呼んだ。


 ポニーテールは小さく頷いてから、近くにいた親衛隊の一人に指示を出す。

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