第124話25-4.接近注意

 写真で確認していたが、実物も文句のつけようがないぐらい可愛らしい。しかし、恥ずかしがっているのか警戒しているのか、奥の部屋から緊張のため強ばった顔を出してこちらを見ているだけで、声をかけてこようともしない。


 少年は彼女に「怖がらないで」と言おうとして、その細い指が漆喰の壁にめり込んでいるのに気がついた。彼は直ちにヴィクトーリアに顔を向け、ヘンリエットの手を指差した。


 ツインテールは平然とした顔で説明してくれる。


「お母様も私も、女尊男卑国のマゾ男性を腕力で服従させる目的で、邪素を消費すると通常の悪魔よりも力を発揮できる悪魔を選択的に交配させた結果なんだけれど、ヘンリエットはその中でも突出してパワーがあるの。能力だけなら女尊男卑国の最高傑作よ」

「ひょっとして、迂闊に近寄るなと言うのは……」

「そうよ。大怪我したくなかったら距離を取って。あの子は人見知りだから、緊張が解けるまでは力のコントロールが難しいの」

「忠告に感謝するよ」


 下唇を突き出した志光はヴィクトーリアに礼を述べ、深呼吸をしてから笑顔になった。大きく一歩を踏み出した少年は、ヘンリエットに呼びかける。


「ヘンリエットさん初めまして。地頭方志光です」

「は、はい」


 返事をした少女の指が、漆喰の壁を握りつぶした。それでも志光は笑みを絶やさず彼女に語りかける。


「緊張してますか?」

「はい。凄く。ごめんなさい。勝手に息が止まって邪素を使ってしまうんです……」

「謝らなくて良いですよ。初対面なんですから、緊張するのが普通です」

「は、はい」


 ヘンリエットは頷いたが、彼女の小さな手は壁を完全にえぐり取っていた。志光の背中に冷や汗が広がっていく。


 悪魔化してから命の危険を感じたのは一度や二度ではないが、このシチュエーションは最悪かもしれない。ヘンリエットは敵ではないので倒せない。しかし、だからといってこの場から逃げるわけにもいかない。


 何とかしてあの怪力を止めさせなければ、腕や脚の一本を握りつぶされるおそれがある。まるでヒグマと対峙しているようだ。


「どうぞ、こちらに来て椅子におかけになってください」


 少年は椅子を引いて少女に着席を促した。彼女はまるで歯車で動くロボットの格好をした玩具のようなぎこちない動作で室内に入ってくると、恐る恐る椅子に腰を下ろす。


「僕も座りますよ」


 志光はそう言うと、ヘンリエットの手が届かない位置に椅子をずらして座る。ヴィクトーリアと茜は、テーブルからやや離れた場所で立ったまま二人を注視した。麗奈とウニカは少年とヘッドドレスを着けた少女の間に割って入れる位置に陣取った。


「落ち着いて。深呼吸でもしましょうか」


 志光はあくまでも優しい口調でヘンリエットに語りかけた。ヘッドドレスを着けた少女は、言われたとおり大きく息を吸って吐く。


 その間に少年は少女をじっと観察した。着ているのはワインレッドに染められたオーガンジードレスだ。


 顔立ちは近くで見ると、思っていた以上に幼い。手足も華奢だ。こんな子供が政略結婚に利用されるのが良いことだとは思えないし、罪悪感も沸いてくる。


 だが、ここは魔界だ。現実世界の常識は通用しない。


 悪魔は人間以上に見た目と能力のギャップが激しい。実際にヘンリエットの腕力は平均的な悪魔では手に負えないほど強いのだ。人間の子供だと思って接するのは間違っている。


「落ち着きましたか?」


 志光の言葉にヘンリエットが頷いた。彼女がテーブルに手を置いても何も起こらない。どうやら、興奮して邪素を消費してしまう発作のような現象は収まったようだ。


「改めまして、魔界日本の棟梁、地頭方志光です。こちらは私の護衛を務める見附麗奈。反対側にいるのが同じく護衛役のウニカ。彼女は邪素で動く自動人形です。奥にいるのが過書町茜。ウチの外交担当です」


 少年が紹介を終えると、二人と一体はヘッドドレスを着けた少女に挨拶した。ヘンリエットは頬の筋肉を緩ませ、彼らに軽く頭を下げる。


「ヘンリエットです。皆さん、よろしくお願いします」

「ヘンリエットさんは日本語がお上手ですね」

「はい。五歳ぐらいから日本のアニメが好きで、仕伏さんや踏瀬さん教わって喋れるようになりました」


 志光の質問に少女は即答した。彼女の姉が言っていたとおり、どうやら社交性は十分にあるようだ。


「僕のことはすぐに分かった?」

「はい。母から写真を見せて貰っていました」

「僕はゲームが好きなんだけど、アニメにはそんなに詳しくないんだ。それでも大丈夫かな?」

「はい。問題ないと思います。あの写真を撮る時に、甲冑を着ていたでしょう?」

「うん。そうだね」

「私、ああいうのが大好きなんです。この国の女性も、あんな感じの格好で闘いますし」

「あんな感じって、女尊男卑国の女性は鎧を着るの?」

「いいえ。でも、イメージは似ていると思います。見てみたいですか?」

「是非お願いするよ」


 志光が所望すると、ヘンリエットは嬉しそうに椅子から立ち上がった。


「志光さんが、そう仰って下さると思って、事前に着ておいたんです」


 ヘッドドレスをつけた少女は、そう言うとオーガンジードレスを脱ぎだした。彼女はやがて赤いビキニ姿になる。ただし、その格好が単なる水着でないことは、両手につけられた金属製の腕輪とすね当てで分かる。


「どうですか?」


 ヘンリエットは嬉しそうに少年の前で一回転した。少女の姿を見た志光も思わず笑って頷いてしまう。


「良いね! そういうファンタジーっぽい格好は大好きだよ。ちなみに、武器は何なの?」

「そのロッカーに入っているんですけど、片付けるのが大変なので、後でお目にかけるということでよろしいですか?」

「もちろん。わざわざ、僕のために着替えてくれてありがとう」


 志光に褒め称えられたヘンリエットは、顔を赤らめつつも再び着席した。少年も彼女に倣って椅子に座る。

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