第97話20-2.アソシエーションの使者

 二月の東京は寒い。特に年中蒸し暑い魔界から出てくると、寒暖差を実感せざるを得ない。


 東京都豊島区大塚にあるゲートを抜けて現実世界にやって来た地頭方志光は指を動かして寒さを紛らわした。少年の両隣には、ロングコートを着用したクレア・バーンスタインとアニェス・ソレルが立っている。


 昨年の夏に監視拠点を潰されれてから、現実世界における白誇連合の魔界日本に対するハラスメントはなりを潜めていた。ソレルが定期的に大塚周辺を監視しても、それらしき兆候を見つけることは出来なかった。


 ただし、新棟梁就任式当日にテロを仕掛けてきたように、敵が魔界日本に関心を示さなくなったわけでは無いはずだ。彼らから領土を取り返すという目的のためにも、様々な手を打っておく必要がある。


 その中でも、志光が優先して動いたのはクレアの雇用継続だった。彼女は死亡した父親、地頭方一郎の遺言を執行する目的で働いていただけで、少年が彼女と直接的に契約を交わしていたわけでは無い。もしも、そうしたいのであれば、志光はクレアが所属しているアソシエーションの関係者と話し合う必要がある。


 そこで、少年はクレアにアソシエーション上層部との会合をセッティングして欲しいと依頼した。数日後に彼女は大塚ゲートで待ち合わせをするなら可能だという回答を携えて戻ってきた。ただし、秘密保持の名目で交渉相手の名前は教えて貰えなかった。以前、クレアの活動がWPUに筒抜けになっていたため、この条件を外すことは出来なかった。


 志光は敵を監視する役目をソレルに頼み、彼女とクレアと一緒に大塚のゲートをくぐり、駐車場にある地上出口から外界に出るとアソシエーション関係者の到着を待った。しばらくすると、一組の男女が坂道を上がってくる。


 一人は日本人らしき年老いた男性で、長い白髪を総髪にして羽織袴を身につけている。身長は恐らく平均的な女性よりも低い。もう一人は白人女性で、青いパンツスーツを着こなしている。年齢は三十代ぐらいだろうか? 長い黒髪が美しい。


「初めまして。地頭方志光です」


 少年は最初に頭を下げる。


「それがしの名前は高橋要蔵。こちらの御婦人はオレガ・アニシナさんだ」


 羽織袴が自己紹介すると、彼の隣の女性が少し微笑んでから頭を垂れた。ソレルは何故か自己紹介せず、ただ無言で礼をする。


「高橋さん、アニシナさんはアソシエーションの関係者で、私の実質的な上司になる人達よ。さあ、挨拶も済んだことだし中に入りましょう」


 クレアはそう言うと、地階への入り口を振り返る。残りの四人は彼女に先導される形で螺旋階段を降り、警備室にある応接間のソファに腰を下ろした。


「本当なら、それがしが魔界日本に赴くのが礼儀だが、故あってできぬ。かたじけない」


 要蔵は古い言葉遣いと今風の言葉遣いが混ざった奇妙な話し方で口火を切った。志光はその意味を理解しようとして、必死の面持ちで彼の発話を追った。


「高橋さんが、魔界日本に来られない理由とは何ですか?」


「そこのきゃん娘なら知っているはずだな。それがしは、かつて魔界日本の棟梁だったのだ」


 志光は口を半開きにしてソレルの顔を見た。褐色の肌は深く頷いて羽織袴の良い分を肯定する。


「彼の言っていることは正しいわ。イチローがその人を魔界日本から追い出して後釜に座ったのよ」

「え? 父さんが?」

「そうよ」

「じゃあ、なんでこの方がアソシエーションのメンバーになってるの?」

「イチローがその人と戦って勝った後で、話し合いがもたれた結果と聞いているわ」

「まことの話だ」

「うーん……」


 要蔵とソレルから説明を受けた少年は、何を言って良いのか判らず絶句した。父親が魔界日本の棟梁になる過程で権力闘争があった、という事情は分かる。しかし、追い出した人間をアソシエーションのメンバーにした理由が解らない。


 ひょっとすると、父親はこの老人を高く買っていたのだろうか? それ以外に、納得できる仮説がない。また、それとは別に高橋要蔵の存在を教えてくれなかったクレアにも不信感を抱いてしまう。


「クレアさん。交渉相手の名前を教えて貰えなかったのは、高橋さんと父さんの間に確執があったからですか?」


 志光の質問にクレアは首を振った。


「いいえ。最初に説明したとおり、秘密保持が目的よ。もしも高橋さんだけが問題だったなら、アニシナさんの名前を隠す必要はなかったでしょう?」

「……まあ、確かに。でも、父さんと争った人と、こうやって話をすることになるとは思ってもみなかったな」

「掟などあってなきがごときの悪鬼の世界で、諍いごとの決着というのはたいていは殺しと相場が決まっているからな」

「父さんが高橋さんを殺さなかったのは、あなたの能力を高く買っていたと言うことですか?」

「どうやら、そのようらしいな」


 羽織袴は謙遜する気も無いようで、快活に笑ってみせた。


「薄々気付いておるだろうが、それがしは時代遅れでな。薩長が御一新と騒いでいた時分に幕府を担ぎ、戦に負け、鬼になった。そして、いつか政府を倒そうと画策しておったら、今度は奴ら亜米利加に戦で負けて何もかもが滅茶苦茶になった」

「なるほど……」


 志光は相づちを打ちながら、要蔵の判りづらい発言の意味を汲み取ろうとした。


 御一新というのは、恐らく明治維新のことだろう。鬼は悪魔と同じ意味に違いない。つまり、高橋要蔵は明治維新の時期に江戸幕府に荷担したが戦争、恐らく戊辰戦争に負け、それがきっかけで悪魔化したのだ。


 彼は悪魔化した後も日本政府の転覆を狙っていたらしいが、アメリカとの戦争、つまり太平洋戦争に日本が負けたせいで、計画が台無しになってしまったのだろう。人間よりもはるかに寿命が長い悪魔ならではの出来事だ。記憶に間違いが無ければ、戊辰戦争が起こったのは一八六八年。それから要蔵が悪魔化したとして約一五〇年近い年月が経っているはずだが、人間であれば十五年しか老化していない換算になる。


「高橋さんが父と争うようになったのは、アメリカとの戦争が終わってからなんですか?」


 志光は続いて父親と要蔵の関係を問いただした。


「左様。年寄りの話は長くなるので端折るが、それがしは一郎との争いに敗れて下野することになった。そこで、アソシエーションを紹介されたのだ。まさか、奴の方が先に逝くとはな……」


 要蔵は宙を仰ぐと懐から電子タバコを取りだした。

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