第88話17―3.都井ストーリー

 こうして、悪魔の力とボクシング技術の融合が始まった頃に、鎧の作成を依頼していた絵笛が美作を伴ってドムスに現れた。


 彼が持参したのは、戦国時代の当世具足をアレンジしたもので、赤と金で塗装されたアルミニウム板で作られていた。鎧の兜の正面には、歯車のような模様が描かれている。志光が模様の意味を質問すると、絵笛は呆れ顔で返答した。


「輪宝だよ。ほとんど使われていないが、この魔界日本の正式な紋章だ。元々は仏教伝説に出てくる転輪聖王(てんりんじょうおう)の宝という意味で、日本では家紋にも使われている」

「え! 初めて聞きましたよ。これ、ウチの家紋なんですかね?」

「そこまでは知らない。それより、サイズが合っているかどうかを確かめたいから、さっさと身につけてくれ」


 志光は服の上から甲冑を装着し、鏡の前に立った。少しSFっぽいデザインが彼を満足させた。


 絵笛は撮影用の武器として発注した短槍も持ってきてくれた。柄の部分は赤く塗装したバネ鋼、穂はチタン製という槍は、柄と穂を繋ぐ口金から胴金の部分に金色の金具で髑髏と茨の装飾が施されてあった。


「インスピレーションが沸いたんだ。君がこの槍で強大な敵と戦っている幻視だ。だから、この武器は実戦でも使えるようにした。気に入らなかったら物干し竿にでもしてくれ」

「まさか! 滅茶苦茶格好良いじゃないですか。有り難く使わせていただきます」


 絵笛に礼を言った志光は、そのまま美作の指示に従って写真撮影の被写体となった。紫髪の少女はドムスの一角に巨大な白いバックペーパーを設置し、その前に照明を立てて顔に影が出ないようにすると、少年を立たせたり床机に座らせたりしながら、デジタルカメラで何枚もの写真を撮った。


「OK。この画像データを元に、新党領就任式に先駆けて、宣伝用のポストカード、ポスター、大型のタペストリーなんかを作るよ」

「……格好良く写ってますかね?」

「大丈夫。少しポーズが悪くても、レタッチで何とかするから」


 志光は純の言葉に胸をなで下ろしたが、脱いだ甲冑を絵笛が作ってくれた鎧台に置いてニヤニヤ眺めていると、麻衣がやって来て台無しになる一言を呟いた。


「あれ? 節句の鎧飾り?」


 少年は能面のような面持ちになると、その日は赤毛の女性と一言も口をきかなかった。


 就任式に向かって準備を進めていた志光の心をかき乱すものは他にもあった。大蔵がプロデュースしている影武者だ。


 現実世界で彼の代役を務めている美青年は、ヨレヨレのスーツを着た中年男性の注文通り、いじめっ子達をみんなの前で叩きのめすと、彼らに虐められていた女の子を救い出し、学校で一目置かれる存在になっていた。


 影武者からの報告を見るたび、少年は殺意の衝動と戦わざるを得なかった。どう考えても、奴の方がハッピーな人生を送っている。こちらは人種差別主義者から付け狙われ、就任式当日には元プロレスラーとガチンコで戦わなければならないのに、影武者は喧嘩に勝って彼女もできて、周囲から「凄い奴だ」と承認され……いっそのことかつて在籍した学校に乗り込んで、アメリカの銃乱射犯みたいに暴れ回ってやろうか?


 しかし、志光が中庭で白昼夢に耽っていると、彼の独白を聞いた過書町茜が妄想の内容を察してしまい、一九三八年に岡山で起きた大量殺人事件、いわゆる津山三〇人殺しの犯人である都井睦雄と少年を掛け合わせて「都井ストーリー」というあだ名をプレゼントしてくれたお陰で、怨恨感情を抱くことすら難しくなった。


 こうして、眼鏡の少女のお陰で横道に逸れる機会を失った志光は、新棟梁就任式というさしあたってのゴールに専心することができるようになった。


 当日が少しでも盛り上がるように、少年は麻衣の助言に従って、定期的に銭湯へ顔を出した。悪魔たちに顔を覚えて貰うのが狙いだった。


 ただし、同行者は赤毛の女性か彼女の配下で平均的かそれ以下のバストサイズの女性が多かった。麻衣本人がそうだったように、クレア・バーンスタインかアニェス・ソレルが少年と一緒に行こうとすると、任務を拒否する隊員が続出したためだ。


 志光は大蔵などの男性陣と銭湯に行く試みもしたが、湯崎が顔を合わせようとしなくなった。仕方が無いので同行者を女性に戻すと、今度は出てくるものの苦情を述べるようになった。彼は『ヒトラー~最後の十二日間~』のMAD動画の真似をしながら少年に訴えた。


「どうして、オッパイプルンプルンを連れてこないんだ! 揉み応えが無いんだよ!」


 だが、痴漢はその日の志光のお供が麻衣であることを失念していた。赤毛の女性は笑いながら、しかし何故かこめかみに太い青筋を浮かべ、自衛隊の先輩を容赦なくぶん殴った。


 彼女の暴行に、普段から湯崎の被害に遭っている女性悪魔たち、それに何故か見附麗奈と過書町茜が加わった。スペシャルを使う間もなく一方的に殴打された痴漢は脱衣所から逃走したのだが、少年は彼を追う過程で銭湯に付属していた幾つかの施設を見学する機会に恵まれた。


 中でも彼が驚いたのがトレーニングルームだった。そこは、ドムスと同じような鏡張りのスタジオで、バーベルやダンベル、筋トレ用のマシン、ルームランナーなどが並べられてあったのだが、面積ははるかに広く、また使用者の大半が男性だった。


「そこは魔界日本の一般兵が基礎体力を養うために使っているんだ」


 顔面が変形するほどの暴力を振るわれた湯崎が、施設の説明をしてくれた。


「銃火器の訓練場は別所にある。今度、そっちも案内するぞ」

「そういえば、僕達が使える兵士の数ってどれぐらいなんですか?」

「大隊規模だが人数は少ない。四〇〇人から五〇〇人だ」

「意外と少ないものなんですね……」

「そもそも悪魔の数が人間よりもずっと少ないんだ。当然だろう? それと、現実世界の民主主義国家における、軍隊の規律の正しさや士気の高さは期待するな。民主主義国家では愛国心、つまり〝自分達の国を守ろう〟という意識があるから、たった一人でも戦い続ける場合もあるが、魔界日本はどこまでいっても坊主の所有物だ。他の悪魔が愛着を抱く動機が無い」

「それは……そうなるでしょうね」

「代わりに悪魔には良い事もある。寿命の長さだ。人間ならば歩兵として使えるのは一〇代後半から三〇代前半が関の山だが、悪魔の寿命はその一〇倍もある。また、そのお陰で訓練期間も長めにとれるので練度も高い」

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