第76話14―4.水星と木星

 自己宣伝の準備を終えて外部との友好関係を確立した志光に残されたミッションは、魔界日本の住民を味方につけることだけになった。その方法に関しては、クレアとソレルの意見が一致していた。それは、魔界日本を代表する施設、銭湯にお忍びで行くという体で少年のお披露目をするというものだった。


 麻衣もその方法に賛同したが、その一方で銭湯には帯同しない旨を宣言した。彼女の主張は非常に分かり易いものだった。


「オッパイお化け二匹と並んで入浴したら、アタシのが小さく見えるだろう?」


 そういう次第で、浴場に行くまで志光を護衛する役目に麗奈が選ばれた。彼女もあまり乗り気ではない様子だったが、上司の命令には逆らえなかった。また、住民の反応を知りたいという理由から、茜が同行を申し出た。


 計画当日になると、大蔵が奇妙な車でドムスの前に乗り付けた。魔界で航空機に乗ったし、車両の存在も耳にしていた志光だったが、その形状には驚いた。車体自体はありふれたSUVなのだが、車輪があるべき場所に三角形の無限軌道が装着されていたのだ。


「日産のSUVを雪上車に改造したものです。魔界の陸地は滑りやすいので、最低でもタイヤチェーンを装着しないと危険だ。でも、この車なら、大抵の場所は何とかなりますよ」


 ヨレヨレのスーツを着た中年男性から事情を聞いた少年は、クレア、ソレル、麗奈、茜と雪上車のシートに座った。五人乗りの自動車に六人が乗ったので窮屈だったが、大蔵が保証したように車は少しもスリップしなかった。


 ドムスのある高台から、銭湯がある場所までは直線で約一キロだったが、実際には蛇行する坂で構成された未舗装の幅が狭い道路で道路灯も無く、歩いて移動するのは慣れた者で無ければ難しかった。


 志光は車の窓から坂下に広がる光景を見下ろした。事前に受けた説明によると、魔界日本の大きさは推計で一〇〇キロ平方メートル。日本の領土にたとえると、伊豆大島程度の大きさしか無いらしい。


 こんな狭い場所が魔界で栄えている理由はたった一つ。この場所にはゲートが二カ所あるのだ。一カ所は東京都豊島区大塚、もう一カ所は千葉県市原市米原。前者が魔界日本の支配者層専用、後者が魔界への物資輸入と一般の悪魔の出入りに使われている。


 どちらも日本に繋がっているため、魔界を利用した長距離移動はできないものの、片方を支配者層専用にして、もう片方のセキュリティチェックを最低限にすることによって、大量の物資と悪魔の出入りを可能にしていることが、同地の繁栄を生んだ。


 しっかりした行政制度が無いため、魔界日本の人口というか悪魔数ははっきりしない。推計で四〇〇〇から五〇〇〇人というのが大蔵の見立てだ。


 魔界にいる悪魔たちには、邪素が無料で配布されるので飢え死にする心配が無い。彼らの何割かは一年の大半を魔界で過ごすが、邪素によって得られる超常的な力を手放したくないというのがその理由だと推測されている。


 そう。悪魔は邪素を消費しない限り、ただの人間と大差が無いのだ。そして、現実世界で邪素を飲み続けるには、ゲートを確保して邪素の補給を途切れない状態にしなければならない。


 しかし、そうした特権的な地位にある悪魔は少数しかいない。ところが、彼らの多くは現実世界と折り合いをつけているので、どちらかというと現状維持を望む傾向がある。


 悪魔が現実世界で大騒動を「起こしづらい」最大の理由がこれだ。また、大半の悪魔はそこまでして人間を支配したいと思っていない。その点に関しては、志光も彼らの気持ちが理解できた。人間と関わっている時間があるなら、ダラダラしている方が楽に決まっているからだ。


 自分は悪魔になった経緯が特殊だったため、魔界でも通用するような支配者になるべく、毎日ボクシングのトレーニングをしたり、挨拶回りをしたりしているが、もしもそういう事情とは無縁だったら、きっと何もせずに寝て暮らす生活を選ぶ。


 そんな魔界日本の住民を、自分は幹部連と一緒になって戦争に駆り立てる計画を進行させている。彼らは自分の鳴らす笛で踊ってくれるのだろうか?


「どうしましたか、マグロ乱交土下座ヤリチンさん」


 志光が不安そうな面持ちでこれから行く場所を見ていると、隣に座った茜が声を掛けてきた。志光は首を反対側に振ると、眼鏡の少女の顔に指を突きつける。


「過書町さん。その、新たに出てきたマグロって呼び方なんだけど、なんでついてるのかな?」

「文字通りの意味です。ソレルさんの家に泊まった時、〝そんなに俺の愛人になりたきゃ、親父以上のサービスをしろよ。風俗嬢みたいにな〟と言って、マグロみたいにベッドに寝っ転がって自分からは一度たりとも腰を動かさなかったそうですね。どれだけ風俗ごっこが好きなんですか? 女性に一方的な奉仕をさせるなんて、最低最悪の男ですね」

「一応訊いておくけど、情報提供者は?」

「申し訳ありませんが、情報提供者は明かせません」


 少年は無言で同じ車に乗っているソレルを睨めつけた。褐色の肌は顔をそむけると、口笛を吹き出す。


「信じないだろうけど、誤解だ」


 志光は比較的大きな声で弁解を開始した。


「誤解? 父親の愛人にソープランドごっこをさせるのの、どこが誤解なんですか汚らわしい」


 しかし、茜は手を振って拒絶の意思を表明しただけでなく、ラッパーもかくやとばかりに早口で喋りだす。


「それから、事前に言っておきますが、私を貞操観念の薄い皆さんと一緒にするのは止めてください。銭湯に入っても馴れ馴れしく声を掛けたり、ましてや身体に触れてこようものなら、一生後悔するぐらい酷いあだ名をつけて、みんなの前で罵ってやりますからね。後は、銭湯内では次の単語は全て禁止です。貧乳、ない乳、まな板、洗濯板、ビート板、つるぺた、ぺったんこ、スットン共和国、大平原の小さな胸、龍驤、RJ。以上です」


 志光は返事をする代わりに、視線を下げた。茜の胸は確かに小さい。薄暗い車の中という条件もあるのだろうが、服の上から確認するのが難しい。


 志光は続いてソレルの乳房に目を凝らす。こちらは薄暗い車内ですら形状がはっきりするほどの質量を誇っている。


 少年は目をつむり、ふっと鼻を鳴らしてから茜を慰めた。


「解った。過書町さんの言うとおりにするよ。でも、気にしなくて良いんだよ。木星と水星を比べる人なんていないから」


 眼鏡の少女は返事をする代わりに、少年の喉元にチョップを叩き込んだ。

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