第77話15―1.DOX
十一月。もうすぐ「復員軍人の日(ベテランズデー)」がやってくる。
ニューヨークではフィフスアベニューで大規模なパレードが開かれる。ここから三十分ほど歩けば見物できるが、それほど観に行く気が起こらない。それ以前に、最近はドキシングに忙しくて仕事も滞りがちだ。
コリン・オーウェンはイーストヴィレッジにある自宅兼仕事場の机に置いた液晶モニタに目を凝らしていた。画面上には、画像掲示板やSNSを表示したウェブブラウザが幾つも開いている。それらは白人至上主義者が頻繁に利用するものばかりだ。
コリンがネット上での人種差別主義者の活動に興味を持つようになったのは、アートスクールに通い出した十代後半からだった。在学中に知人から誘われて、反差別運動のポスター制作を手伝ったのがきっかけだった。
学校を卒業してグラフィックデザイナーとして働き出しても、彼の関心は薄れなかった。学生時代に知り合った反差別運動のメンバーと連絡を取り、また個人的にも情報を集めている最中に知ったのがドキシングという手法だった。
DOXとは、個人攻撃を目的としてウェブ上で個人情報を公開する行為を意味するインターネットスラングだ。DOXするには、まずネット上で暴言を繰り返している白人至上主義者を見つけ、その人物が利用している掲示板やSNSを漁り、個人を特定できそうな情報を集めていく。そして、個人が特定できた段階で情報を公開することで、第三者の攻撃や社会的制裁を期待する。
デスクワークの時間が長く、デザインにパソコンを使っているコリンにとって、ドキシングはぴったりの反差別活動方法だった。反差別活動家たちと共同でドキシングを始めて五年もすると、彼は一流のドクサーになっていた。
ただし、ドキシングが効果を発揮するのは、ネット上での言動が常軌を逸したレベルで粗暴な白人至上主義者に対してだけだ。丁寧な言葉遣い、あるいは婉曲的な表現であれば差別は許されるし、ネット上に個人情報を公開しても、公人や大企業の社員で無い限り、それほど大きな社会的制裁を受けることも無い。
つまり、多くの人にとって人種差別は行儀作法(マナー)の問題に過ぎないのだ。たとえば、日本では反差別主義者の言動が粗暴だったため、ドキシングされて失職したケースが幾つもあると、仲間のドクサーから警告を受けた。
もしも、人種差別が道徳(モラル)の問題であれば、そんな倒錯した状況は起こりえないはずだ。他人の価値観に介入することは、内心の自由を侵害するおそれがあるので避けるべきだが、人種差別主義者だけは例外でも良いのではないか? 放っておけば、彼らが政治知的な力を持ち、有色人種を公然と迫害する可能性あるからだ。
コリンは椅子から立ち上がり、台所に向かった。そろそろドキシングを止めて仕事に取りかかる時間だ。反差別活動もけっこうだが、それを続けるためには生活を安定させなければならない。
ドクサーは電気ケトルに水を入れ、スイッチを押した。彼がインスタントコーヒーのビンを手にしたところで、玄関から奇妙な金属音が響いてくる。眉をしかめたコリンはビンを棚に置き直すと、眼鏡を直してから台所を出て足を止めた。
仕事部屋には、一人の男が立っていた。年齢は三十代ぐらいだろうか? 背は高く、肌の色は白く、頭髪は剃り落としている。黒いTシャツに迷彩柄のパンツという出で立ちは、少し前までよく見かけた白人至上主義者のそれだ。
「あんたは誰だ?」
コリンは後じさりながら、初見の男性に質問した。スキンヘッドは室内を見回すと、ニッコリ笑って回答した。
「コリン・オーウェンだな? 俺はキミの言うところのレイシストだ。キミに罰を与えに来た」
レイシストの回答を耳にしたコリンは台所へと飛び込んだ。電気ケトルに入れた水は既に沸いている。彼はケトルの蓋を開けると、台所の入り口までやって来たスキンヘッドに突きつける。
「帰れ。怪我をさせたくない。熱湯を被ったらどうなるかぐらい、お前にだって解るはずだ」
「もちろん、解るよ。何も起こらない」
レイシストは笑いながらコリンに迫って来た。彼は信じられない力でドクサーからケトルを奪いとると、自分の頭に熱湯をかける。
台所に大量の湯気が立ち上った。しかし、スキンヘッドはただ濡れただけで、火傷を負っている様子は見られない。
コリンが唖然としている中で、男はニヤニヤしながらザイルロープのようなものを取り出した。彼は黒い手袋を填めた手で紐を伸ばすと、それをドクサーの首に巻き付ける。
「今度は君の番だ。さよなら、コリン」
レイシストは、そう言うと両腕を左右に引っ張った。コリンは手を伸ばして男の目に指を突き入れようとしたが、その前に彼の首の骨が折れる。
ドクサーが死んだのを確認すると、スキンヘッドはザイルロープをポケットにしまい、台所から仕事場に戻った。彼は慣れた手つきでコリンのパソコンをシャットダウンすると、ケーブル類を外して用意していた大きめのバッグに収納し、落ち着いた足取りでその場から立ち去った。
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