第71話13―6.魔界の海竜

 エントランスには大きな庇が設置されており、LEDの照明が煌々と輝いている。しかし、そこから一歩先は暗闇で、青い雨が降っているだけだ。


 ソレルは入り口の自動ドアを出ると、建物に沿って左折した。志光とクレアも彼女の後を付いていく。


 屋外は相変わらずうだるように暑い。タキシードを着ていられる気温ではない。だが、志光は汗みどろになりながらも、黙って褐色の肌に従った。


 ビルの端には両支持型通路用シェルターが設置された舗装路があり、別の建物まで続いている。邪素の雨が降り続ける魔界では、屋根付き通路は便利なことこの上ない。


 建物から離れた三人は、数分後に別の建物に到着した。こちらは最初の建物ほど高くないものの幅は広い。


 狭い入り口の前に歩哨がいるのはドムスと一緒だ。黒尽くめの青年達は、ソレルを見ると頭を垂れる。


「お待ちしておりました、女主人(ミストレス)」

「出発の準備は?」

「できています」


 青年達とやりとりをした褐色の肌は、志光とクレアに手で合図をした。二人は彼女と一緒に入り口から建物の中に足を踏み入れる。


「ここは……!」


 内部の様子を見た志光は、甲高い声を上げた。高い天井に間仕切りの無い広い空間があり、そこに飛行機が何機か置かれている。間違いない。ここは航空機の格納庫だ。


 自室の警護さえトラップで済ませていたソレルにしては、大人数を使って監視をしていた理由がこれではっきりした。飛行機がある場所で、仕掛け爆弾は使えない。


 ただし、格納庫にある航空機の数はそれほど多くない。ここにある機体数でカジノやディスコにいた全ての悪魔たちを運べるとはとても思えない。邪素の海が危険で通れないとすると、考えられる手段はただ一つでゲートだ。


「どうしたの?」


 ソレルが整備士らしき男性と話をしている間に、クレアが少年の傍らに立った。彼は己の考えを口にする。


「ここの飛行機じゃ、さっきカジノやディスコにいた人達を運ぶのは無理だなって思っていました。あの人達は、麻布十番のゲートを利用しているんですよね?」

「そうよ。魔界の中で、ゲートが無い場所が発展する可能性は無いわ。もっとも、ゲートが現実世界のへんぴな場所と繋がっていても発展はしないけど」


 クレアは驚きと嬉しさが入り混じった複雑な面持ちで志光の顔を見る。


「ゲートの重要性を理解したのね?」

「はい」

「貴方が棟梁になりたいなら、決して手放してはいけないものの一つよ」

「はい」

「日本人の人口が減って、その分だけ外国人居住者が増えれば、魔界日本以外の悪魔にも解放している、麻布十番ゲートのようなエリアが重要になってくるわ」

「解ります」


 二人がそこまで話をしたところで、ソレルが戻ってきた。


「そろそろ行きましょう」


 志光とクレアは彼女の案内で一機の航空機の前に立つ。


 その白い航空機は小型で、ボディの形状はイルカを想わせた。尾翼がV字型である点と、背中にエンジンらしきものを背負っている点が特徴的だ。


「乗って。操縦は私がするから」


 褐色の肌は二人を上下に開いた航空機の扉に誘導した。彼らが奥の座席に座ると、彼女はハイヒールを脱いで操縦席に腰を下ろしてドアを閉める。


 ヘッドフォンを装着したソレルが管制官らしき人物とやりとりしている間に、格納庫の扉が開いた。


 格納庫の出入り口はエプロンになっているようで、幾つかの鉄塔に装着した照明灯からかなり強い光が降り注いでいる。エプロンの奥には、飛行場灯火らしき灯りが見えるので、恐らくそこが滑走路なのだろう。


 小型ジェット機はエプロンを通ると右折して滑走路の端まで移動すると、徐々にエンジン出力を上げて離陸を開始した。後部座席に乗っていた志光は、やがてふわっと浮くような感覚を覚える。


「おーっ!」


 少年は窓から外を見て感嘆の声を上げた。真下に青く輝く邪素の海が見える。恐らく〝虚栄国〟の面積がそれほど広くなかったからだろう。


 それにしても奇観だ。海では黒と青色の邪素が大理石模様に混ざり合っている一方で、空は真っ暗で何も見えない。現実世界とは真反対の光景だ。まるで、宇宙から地球を眺めているような、そんな錯覚すら覚えてしまう。


「ベイビー、窓の下を見て」


 ソレルは一瞬だけ背後を振り返ると、ジェット機を左に傾けた。窓に張り付いた少年は、邪素の海を凝視する。すると、白く長大な生物が海面でのたうっている姿が目に入ってきた。比較対象物が無いので、正確な大きさは不明だが、とてつもないサイズなのは間違いない。


「あれは?」

「ウミヘビとも、魔界ヒモムシとも呼ばれている、魔界特有の生物よ」

「ひょっとして海路での交通が難しいのは、あの生き物のせいなの?」

「そうよ」

「大きさは?」

「確認された範囲では、最大で一キロメートル近くだと言われているわ」

「一キロ! 冗談でしょう?」

「下に見えているのだって、五〇〇メートルは超えているはずよ」

「なんでそんなサイズに?」

「邪素の海そのものが、あの怪物の栄養源だから、無制限に大きくなれるみたいなの」

「うわあ……」


 志光は改めて細長い怪物を目で追った。地球上で最大の生物は菌類で、例えばアメリカで発見されたオニナラタケの菌床は約八.九平方キロメートルの大きさがあるそうだが、少なくとも動き回って人類を攻撃することは無い。


 しかし、眼下にいる怪物は邪素の海をのたうち回っている。その動きは、ヘビと言うよりもミミズを彷彿とさせる。


 あんな化け物が船にぶつかってきたら何が起こるかなど火を見るよりも明らかだ。悪魔たちが海に出たがらないのも無理は無い。


「そろそろ着陸態勢に入るわ」


 数分間の遊覧飛行が終わると、ソレルはそう言ってジェット機を水平に戻した。一分も経たないうちに、前方に飛行場灯が見えてくる。


「意外と近いんですね」


 志光が空の旅の感想を述べると、クレアが頷いた。


「だいたい二〇〇キロほどだったはずよ」

「近いのか遠いのかはっきりしませんね」


 二人が会話をしている間に、小型ジェット機は高度を下げた。続いて着地の衝撃が腰に伝わってくる。


 無事に着陸した飛行機は、地上で旋回してエプロンから格納庫に入った。ソレルはヘッドフォンを外すと背後に顔を向ける。


「到着~」

「お疲れ様」


 クレアは労いの言葉をかけ、シートベルトを外す。志光もシートベルトを外し、褐色の肌が上下に開く扉を開け、操縦席から出るのを待った。


 地上では美作純が三人を待ち受けていた。陶磁器のような模様が施された白いドレスを身にまとった少女は、ソレル、クレアの順番に握手すると、最後の少年に抱きついた。

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