第70話13―5.粛清

 だからといって、フードコートまで併設されているわけでは無い。邪素さえ飲んでしまえば生きられる、悪魔ならではの「省略」なのだろう。


 二人は通路を練り歩いた。カジノやディスコに比べると、客数はずっと少ない。東洋系とそれ以外の比率は半々ぐらいだろうか? 日本語では無い言語を話す、日本人と似た外見の悪魔もいる。


「あの人達は?」


 志光が目線で彼らを示すとソレルは唇を彼の耳元に近づけた。


「中国系の悪魔。魔界でも一大勢力なのよ。幾つか派閥があるけど、有名なのは〝魔鬼党〟ね。あちらの読み方ではモーグィダンだったかな?」

「日本との関係は?」

「魔界では地理的な接点がないから、商売と買い物と旅行以外で関係を持つことはほぼないわ。韓国系の悪魔も同じよ」

「良かった。余計な揉め事を抱えたくなかったんだ」

「歴史的な関係が深いからややこしいものね」


 褐色の肌は、そこまで言ったところで片眉を吊り上げた。


「チェンバレンが後ろからついてきているわ」

「どうするの?」

「気付かないふりをして、私の言った通りに歩いて」

「分かった」


 志光が同意すると、ソレルは正面を向いて歩調を更にゆっくりした感じに変えた。同時に少年への密着度を上げる。


 二人は通路を無駄に動き回り、とうとうレストルームに近い場所で停止した。邪素の摂取で生きられる悪魔にとって、トイレは不要な場所に思えるが、麻衣のように飲酒の習慣が抜けないなどの理由から、特に小用が必要な者が相当いるらしい。


 ソレルは女子トイレの出入り口から少し離れた場所で志光に目配せすると、同時に真後ろを向いた。そこには、背の高い初老の白人男性が立っていた。


 男はやや垂れ目の人なつこい顔立ちで、白髪混じりの金髪を短く刈っていた。褐色の肌は不敵に微笑むと、男に語りかける。


「さっきから、ずっと私の後をつけ回しているみたいだけど、どのようなご用件で?」

 立ち止まった男は、ニッコリと微笑むと両手を広げてみせる。

「初めまして、ソレルさん。私の名前はチェンバレン。アソシエーションのメンバーです。貴方に質問したいことが幾つかありまして……」


 チェンバレンが弁術を駆使し始めたところで、彼の背後にある女子トイレからクレアがぬっと姿を現した。彼女は片手に下刈鎌のような武器を手にしている。


 背の高い白人女性の両目は怒りで吊り上がり、モデルのように端整な相貌は歪んでいた。志光は初めて見るクレアの憤怒の形相に声を失った。


 彼女は音も無くチェンバレンの背後に近づくと鎌の柄を両手で持ち直し、野球のバッターに似た構えを取った。そして、全身から青いオーラを立ち上らせつつ、鎌を全力で振った。


 L字に曲がった刃先が、喋っていたチェンバレンの首に食い込んだ。白人男性の頭部は、笑った状態で胴体と分離した。


 しかし、大量の出血は見られなかった。チェンバレンは死亡すると直ちに黒い塵と化した。


「終わったわ」


 密告者を殺害すると、クレアは深いため息をついた。


「お疲れ様」


 ソレルは背の高い白人女性をねぎらってから、志光の頬にキスをする。


「ベイビーもお疲れ様」

「いや、僕は特に疲れてないけど……あの人から情報を引き出す必要は無かったの?」

「探りを入れれば、面白い情報の一つや二つは出てきたかもしれないわね」


 褐色の肌は少年の見解に同意しつつ、彼に大切なことを思い出させるのも忘れなかった。


「でも、その情報を掴むまで、ベイビーが敵から攻撃される危険が何度起こるのかしら?」

「ああ……それは嫌かな」

「コバンザメに張り付かれるのはまっぴらだわ」


 クレアはそう言うと、鎌を床に放り出した。ステンレス製の柄がタイルに当たると、鈍い音を響かせる。


「後片付けはウォルシンガムにやらせるわ。私はベイビーを連れて魔界日本に戻るつもりよ。あなたはどうするの?」


 ソレルはやや疲れた顔をしている背の高い白人女性に今後のスケジュールを訊いた。クレアは肩をすくめ、褐色の肌の質問に答える。


「私も戻りたいわ。着ている服が昨日と一緒なの」

「魔界を通るつもりだけど、いいの?」

「ゲートを使って、麻布から大塚に移動するんじゃないの?」

「しないわ。ずっと時間がかかるけど、ベイビーに魔界の風景を見せてあげたいのよ」

「それは面白い趣向ね。私も貴女についていくわ」

 クレアが同意をすると、ソレルは宙に向かって二言三言喋った後で笑顔を志光に向けた。

「それじゃ、今から空港に行きましょう」

「空港?」


 志光は目を瞬かせ、褐色の肌が発話した単語を繰り返す。


「ちょっと待って。魔界に空港があるの?」

「あるわよ。航空機もあるわ」

「初耳なんだけど」

「元々、魔界ではお互いの居住地を行き来する習慣は無かったの。正確には、難しかったのね」

「どういうこと?」

「魔界の海は見ているわね?」

「うん」

「邪素で満たされた海には、悪魔でも対処が難しい怪物が何匹かいて、今でも危険だから、海路を利用した往来が極めて限定されているという意味よ」

「怪物? 怪物は魔物じゃないの?」

「人工的に悪魔が製造した存在が魔物で、自然発生的に魔界に誕生したのが怪物ね」

「魔界は邪素がなければ成立しないから、現実世界に人間が誕生した後に現在の形になったと考えるのが自然だって聞いているんだけど」

「正しい説明よ。ただ、その短い期間でも、魔界に生態系らしきものは出来たのよ。極めて貧弱だけれど」

「その貧弱な生態系の生物が、悪魔にも対処できないぐらい強いと言うこと?」

「そうよ。そのために、現実世界で航空機が開発されてから、かなり早い時期に魔界にも導入しようという動きがあったようね」

「飛行機で飛べば襲われない?」

「見れば解るわ」


 ソレルはそう言うと、ショッピングモールの通路を歩き出した。クレアと視線を交わした志光は、彼女の後を付いていく。


 その途中で箒とちりとりを持ったウォルシンガムとすれ違った。陰気な青年は軽く会釈をすると、無言でレストルームがある場所に消えていく。


 恐らく、かつてチェンバレンだった塵を掃除するのだろう。死んだ悪魔の扱いなど、その程度のものなのだ。


 人間も死ねば塵になる。ただ、母の遺骨がどうだったかまでは覚えていない。


 葬儀の状況はおぼろげながら記憶しているのだが、火葬場に行った後の事がどうしても思い出せないのだ。きっと辛かったのだろう。


 志光が物思いに耽っている間に、三人は一階の出入り口までやって来た。ガラス張りの出入り口は防御力とは無縁で、ここがドムスのような砦でないことをあからさまに語っている。

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