第64話12―1.治療

 白色の天井には、複数のスポットライトが照明として設置されていた。地頭方志光は、ベッドに寝かされた状態でライトの黄色い光を眺めつつ、半開きにした口から息を吐いた。


 麻衣に強烈なボディーブローをお見舞いされてから先の記憶はあやふやだ。空を飛んだのは間違いないのだが、地面に落ちてから後の事を全く覚えていないのだ。


 気がついた時には仰向けに寝転がった姿勢で身体を拘束されていた。ストレッチャーの上にいるようで、点滴バッグが金属製の棒にぶら下がっているのが見える。中に入っているのは邪素で、どうやら血管に直接流し込まれているらしい。


 意識を取り戻してしばらくすると、ソレルが顔を覗き込んできた。彼女はメディカルティッシュの封を切り、丁寧に顔と首を拭いてくれる。


「ベイビー。意識が戻ったみたいで何よりね」


 清拭が終わると、褐色の肌をした女性は少年の額にキスをした。


「あの……僕はどうなったんですか?」


 何度か深呼吸した後で、志光はソレルに質問する。


「麻衣に殴られて空を飛んだわ」

「それは覚えてます」

「偶然だけど、近所の公園に落ちたから、私とウォルシンガムで回収したの。道路だったら、追加で車に轢かれていたかもしれないわね」

「ここは?」

「ここは〝虚栄国〟の私の部屋よ」

「麻衣さんは?」

「アルコールが切れるのを待って、他の三人がどうにか取り押さえたわ。彼らは魔界日本に戻っているはずよ」

「それで、僕の身体はどうなってるんですか?」

「痛みは感じる?」

「いえ。ただ、動けないんですけど……半身麻痺とか?」

「一時的には、そうなるかもしれないけれど、いずれ回復するわ。私達は見かけこそ人間だけれども、中身は相当違うのよ。邪素を大量に供給されれば、どんな怪我でも治ってしまう。ギリシャ神話に出てくるヒュドラのようにね」

「それで、邪素を点滴されているんですか?」

「飲むより効率的なの。点滴を使って大量の邪素を投入すれば、外見を変化させる事も可能よ」

「この方法かどうか分かりませんけど、美作さんも同じ事を言っていました」

「美作が悪魔になったのは、美少女になりたかったからだという話を聞いたの?」

「はい」

「ベイビーも変わりたい?」

「今のままで良いです」

「まあ、そのうち私も込みで取り巻きの女性連中に、嫌でも変えられるはずよ」

「どういう事ですか?」

「言葉のままの意味よ。一〇〇日かけてボクシングを習うんでしょう? 嫌でも身体が変わるわよ。男らしくね」


 ソレルはそういうと、少年の胸や腕を手の平で優しくなで回す。彼はそれで、自分が裸だという事実に気がついて顔を赤らめた。


「あ、あの、服は?」

「背骨が折れていたから脱がせたわ。身体をまっすぐに固定してから邪素を流し込まないと、背骨が曲がったままくっついてしまう危険があるの」

「ああ、それで固定されているんですね」

「ええ。ゆっくり休みなさい。何か甘い物を持ってきてあげる」


 ソレルはそう言うと、ストレッチャーから離れた。しばらくすると、彼女は陶磁の皿に切った果物を載せて戻ってくる。


「食べて。人間性を維持するためよ」


 志光は頷いて、楊枝で刺された白い果実を頬張った。梨だ。シャリシャリした食感と共に甘い果汁が口内に広がっていく。


「美味しいです」

「他に欲しいものは?」

「いえ」


 志光が首を振ると、ソレルは更に梨を勧めてきた。褐色の肌の介護を受けながら、少年は彼女のきめ細やかな対応に心を癒やされる。


 万事が荒っぽい門真麻衣とは大違いだ。父親がソレルを側に置いていた理由が何となく分かる。女性に甘えたい男性にとって、彼女は理想的な存在に違いない。


 志光が梨を食べ終わると、ソレルは彼の口を拭いてくれた。それから一時間も経たないうちに、全身の感覚が蘇ってくる。


「すみません。首から下の感覚が戻ってきました」

「痛みは?」

「無い……と思います」

「まだ修復中の箇所があるかもしれないわ。動かないで」

「はい。あの……」

「何?」

「作戦は成功したんですよね?」

「したわ。画竜点睛を欠いたけど、敵の監視拠点は壊滅したし、今後は私が定期的にゲート周辺を監視するつもりよ」

「ありがとうございます」

「悪魔になって一週間も経たないのに、こちらから仕掛けた戦闘で勝ったのだから、上々の滑り出しじゃない?」

「何度も襲撃されるのは嫌ですからね」

「それもあるけど、身内の評価もね」

「ああ……臆病よりもマシって事ですか?」

「臆病でも良いのよ。逃げるのに、周囲が納得できるだけの理由があれば」

「今回は違う?」

「ベイビーが判断した通りよ」

「敵の戦力が落ちている、と考えたと言うことですか?」

「ええ。悪くない状況判断だったと思うわ」

「ありがとうございます」


 志光が礼を述べると、ソレルは首を振ってその場から立ち去った。


「お礼は言わないで。そろそろお風呂を入れてくるわね」


 彼女が視界から消えて一分も経たないうちに、水音が聞こえてくる。どうやら、この部屋もベッドルームに浴室が隣接した構造のようだ。


「そろそろかしら?」


 少年の側に戻った褐色の肌は、点滴バッグが空になったのを見計らい、彼の手首から針を抜いた。彼女は医療用具を片付けると、少年を拘束していたベルトを外し、白いタオル地のバスローブを持ってきてくれる。


 ストレッチャーから起き上がった志光は礼を言いかけてソレルが自分を冷たい目で見つめているのに気がついた。彼が無言でストレッチャーを降りると、褐色の肌は背後からバスローブを羽織らせてくれる。


「そうよ、ベイビー。お礼は言わないで。これは私がすべき事なんだから、あなたは黙って受けなさい」

「でも……」

「女にも色々いるのよ。クレアや麻衣みたいながさつな連中と一緒にしないで欲しいの」

「……はい」

「それから、慣れたらで良いけど敬語も止めて。私、男女平等とか好きじゃ無いの。男には庇って欲しいタイプだし、その分だけ尽くすのに喜びを感じるの」

「努力します」

「お願いするわ」


 ソレルはそう言うと、少年の背中を軽く押した。寝室と風呂場を仕切るガラス製の扉は開いており、中から湯気が漏れている。そのせいか、室内の温度も湿度も高い。

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