第27話5-1.美作(みまさか)の誘い

 魔界日本のドムスはそれほど広くない。にもかかわらず、ここでは棟梁に従う幹部達が集まって暮らしている。


 とは言うものの、別に狭いスペースで肩を寄せ合って生きている訳ではない。中庭を取り囲む扉の奥が地下通路の入り口になっていて、そこから各々の個室に入るという仕組みになっている。つまり、地上から見えているドムス本館よりも、地下にある幹部達が生活する部屋の総面積の方が遙かに広いのだ。


 全体会議が終わり、美作純(みまさかじゅん)に誘われて彼女の部屋についていった地頭方志光は、その事実を知って呆れ果てた。


 もしも、自分が配下達を集めた居館を建てるのであれば、地上に出ている部分の面積を広くしたはずだ。その方が威厳もあるし、何よりデザイン的な統一感がある。


 最初に魔界を訪れた時もなんとなく感じた事だが、この世界では建築物に共通性を持たせようという試みがなされた形跡が無い。現実世界への出入り口は鳥居、ドムスの内装は古代ローマ式で、美作の部屋は中国風だ。


 部屋の奥には、雷文状の格子が填められた大きな引き戸があり、そこから白い光が室内に入ってきている。魔界には太陽は存在せず、そもそもここは地下なのだから、恐らく中庭と同じように扉の外側に照明を置いて照らしているのだろう。


 室内の照明も黄色で、邪素を利用したものとは違う。つまり、このドムスでは電気が使えるのだ。


 丸いテーブルの前に置かれた木椅子に座った志光が室内を見回していると、盆の上に茶器を乗せた美作が現れた。紫髪の少女はテーブルの上に盆を置くと自らも椅子に腰を下ろし、急須のフタを開けて黒い茶葉を中に入れる。


「プーアール茶を飲んだことは?」

「いや、初めてだと思います」

「お茶を飲むのは好き?」

「ええ。お祖母ちゃんが好きなので」

「それは良かった」


 小さな急須のような茶壺(チャフウ)に茶葉を入れた美作は、ポットからお湯を注いで蓋をすると、更にその上から湯をかけた。志光は紫髪の少女がお茶を入れる様子をうかがいながら、魔界にも水が存在するのかという疑問を抱く。


 邪素を飲んでいるせいか、魔界に来てから水分が欲しいと思ったことは無かったのだが、麻衣が持っていた酒以外で水を見るのは恐らく初めてだ。


 美作は熱した茶壺を少し置いてからガラス製のピッチャーの中で傾け、淹れたお茶を注ぎ込む。全ての茶がピッチャーに入り、濃度が均等になるのを見計らった紫髪の少女は、茶壺をどけてピッチャーを持ち、盃のような茶杯(チャーペイ)に注ぐと志光の前に置いた。


「本当は聞香杯(ウェンシアンペイ)という器に一度注いで匂いも愉しむんだけど、今日は略式で」


 美作はそういうと、自分の茶杯にもプーアール茶を注ぎ、立ち上る匂いを嗅いでから口をつけた。志光も少女につられてお茶に口をつける。


 プーアール茶は美味しいが、他のお茶とどこが違うかまではよく解らない。志光は茶杯をテーブルに置くと、美作に礼を言う。


「ご馳走様でした。美味しかったです。ただ、初めて飲むので、どう美味しいのかは説明できませんが」

「初めて飲んだんだから、解らないのは仕方ない。気にしなくて良いよ」

「でも、魔界ってお茶が入れられるぐらい水があったんですね」

「いや、ないよ。魔界に存在する液体の大半が邪素だよ」

「じゃあ、このお茶を淹れるための水はどうやって用意したんですか?」

「発電の副産物だよ」

「発電?」

「うん。でも、その前にボクの話を聞いてくれないかな? クレアさん直々のご指名だしね」

「クレアさんが美作さんを指名したって、どういう意味ですか? そういえば、クレアさんは僕がここに来る事を嫌がらなかったどころか、むしろ喜んでいたみたいでしたけど」

「彼女が全体会議でキミをおちょくったことは覚えているよね」

「そりゃあ、さっきやられたばっかりですから……まさかあんなことを言うなんて思ってもいませんでした」

「あれが彼女のボクに対するメッセージだったんだよ」

「どういう意味ですか?」

「魔界には大きく分けて三つの製造業がある。一つは邪素を飲みやすく加工する設備で、担当者は窪さんだ」

「あのガスマスクを被っていた人ですか?」

「そうだよ」

「漁師合羽を着ていたから、てっきり魔界の海で漁をしているのかと思いました」

「魔界の風景に騙されちゃいけないよ。ここは人間から発生した邪素が蓄積されることで成り立っている場所だからね。仮に人類しか邪素を出せないとすれば、現行の学説で人類が誕生したのが約十四万年前だから、それ以前にこの世界が存在したとしても今のような状態では無かったはずだし、少なくとも約四十五億年前に誕生したとされる地球とは比較にならないほど新しい場所のはずだ。だから、生物がいても現実世界ほど数は多くないし、生態系も複雑では無いんだよね」

「言われてみれば確かに。じゃあ、窪さんは邪素の海から邪素をくみ出して加工しているんですか?」

「後は空中から降ってきているものも集めて加工しているよ。そこで、邪素は青い飲みやすい部分と黒い粘性のある物質に分離されるんだ」

「どうやって分離するんですか?」

「見てみたい?」

「はい」


 志光が頷くと、美作は椅子から立ち上がった。彼女はそのまま別室に行くとしばらくして邪素の入った透明なプラスティックの容器と小さなビーズが大量に入ったビニール袋を持って戻ってくる。


「その袋には何が入ってるんですか?」


 美作が再び椅子に腰を下ろすと、志光は彼女が持ってきたビニール袋を指差した。


「シリカゲルだよ」


 紫髪の少女はそう言うと、ビニール袋の上側についたチャックを開ける。


「シリカゲルって……乾燥剤のことですか?」

「うん。二酸化ケイ素のことだね。化学式は解る?」

「……SiO2ですよね?」

「合ってるよ。実体化した邪素に二酸化ケイ素を加えると、邪素の黒い部分にケイ素が結合して青い部分と分離する。やってみよう」


 美作はプラスティックの容器にシリカゲルを投入した。邪素はパチパチと音を立てるシリカゲルと混ざると、時間経過と共にプラスティック容器の中で上側が青色、底の部分が黒色に分離し始める。

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