第5話2-1.邪素

 地下の最奥に位置する、警備室と応接間を兼ねた部屋で、空調換気扇がうなりを上げていた。室温も真夏日とは思えないほど低く、どこかで冷房が稼働しているのが判る。


 黒革のソファに座った地頭方志光は、落ち着きなさげに周囲を見回した。リノリウムの床には、先ほど〝魔物〟の頭部を吹き飛ばした巨大なライフルが転がっている。


 クレアの話によると、これはラハティ対戦車銃と言って、元々は戦車を狙撃する目的で設計された「対戦車ライフル」と呼ばれるカテゴリの武器をコピーしたものだそうだ。彼女がこの武器を使った理由は〝魔物〟がこれ以下の威力しか無い武器で攻撃しても死ぬ可能性が低いからで、実際に拳銃で撃ってもほとんど効果が無いらしい。


 もっとも、そんな説明を受けたからといって、武器を使い比べたことの無い自分にとって、ピンとくるものは何もない。日本では銃の所持は厳しく制限されているし、仮にそうで無かったとしても、こんな鉄の塊がすぐ側に転がっている状況が異常だと理解出来る程度の判断力なら備わっている。


 そうだ。大塚駅を出て、ここで一息つくまでの一時間にも満たない間に、自分は非現実的な出来事に遭遇し続けた。


 後を追いかけてきた黄色い雨合羽を着た男が〝怪物〟だったこと。しかも、そいつはカニのような形状に変形した。


 それを迎え撃ったクレアの身体能力も人間離れしていた。六十キロ近い男性を抱え、全力疾走して息一つ切らさない女性が、この世にいるとは思えない。


 門真麻衣という女性も同様だ。ほんの少しの間だけだったが、彼女の拳には青い輝きがともっていた。あれは一体何だったのだろう? 麻衣は自らを〝悪魔〟と呼称していたが、彼女もあの〝怪物〟のように変わってしまうのだろうか?


 志光が対戦車ライフルを見下ろしていると、分厚い扉の向こう側からクレアと麻衣が姿を現した。扉を閉めた二人は少年の向かい側に腰を下ろす。


「お待たせ、志光君。これで、当分は奴らも中に入って来られないはずよ」


 クレアはそう言うと長い脚を組んだ。


「……何をしたんですか?」

「地上の出入り口から数えて三つめまでの扉に三角形の金具を接着してきたんだ。開けるのに一苦労するだろうね」


 麻衣は片手に持った業務用瞬間接着剤の大型ボトルを志光に見せる。


「ああ、押して開くタイプの扉だから、内側から金具をつけると開かなくなるんですね。でも、それじゃこちらからも開けられなくなるんじゃないですか?」

「うん。そうだね」

「そうだねって……どうやってここから出るつもりなんですか?」

「別の出口があるのよ。私達は、それを〝ゲート〟と呼んでいるわ」


 志光の質問に答えたのはクレアだった。彼女が目配せすると、麻衣はソファから立ち上がって奥の部屋に消える。


「扉を動かなくしたのは、志光君と話す時間を作りたかったからよ。事情は理解しておきたいでしょう?」

「もちろんですよ! 何がどうなっているのか、さっぱり解らなくて……」

「では、改めて自己紹介をさせていただくわ。私の名前はクレア・バーンスタイン。貴方のお父様、地頭方一郎氏から依頼を受けて、彼の財産を管理する役割についているわ。報酬に関しては、一郎氏が存命時に支払いは終わっているので、貴方からは何も要求しない。ここまでは納得してもらえたかしら?」

「はい」

「でも、ここからが難しいの。ここに来るまでに説明したけど、志光君が受け取れる遺産には、金銭的な価値があるものとそうでないものがあるわ。貴方を狙っている連中は、金銭的な価値が無い方の遺産を、貴方が相続するのを嫌がっているの」

「さっき、その連中の名前を言っていましたよね?」

「白誇連合ね。英語にすると、ホワイト・プライド・ユニオンよ」

「その人達は一体、どんなことをしているんですか?」

「それを説明するのも難しいのよね」


 クレアはそう言うと、腕を組んで考える素振りをした。その間に麻衣が奥の部屋から大型の台車を押して戻ってくる。


 台車の上には、大きな木箱が一つとやや小さめの段ボールが二つ載っていた。麻衣は一番上の段ボールを開けると、中から細長く黒い水筒のような容器を取り出した。


「これを見せないと話が始まらないんじゃないの?」

「確かにそうね。一本いただけるかしら?」


 クレアが頷くと、麻衣は水筒を投げた。黒い筒をキャッチした大柄な女性は、それをソファの前にあった机の上に置く。


「これは?」

「触ってみて。危険なものではないわ」


 志光は水筒を手に取り、ためつすがめつした。表面は黒く、マット地でてかりは無い。


 表面にはシンプルな白いフォントでDILVEという文字が印刷されている。何かのブランド名だろうか? どこかで聞いた記憶がある。


「フタを開けてみて」

「はい」


 志光はクレアに言われた通り、水筒のフタを開けた。そこには、青く輝く液体が入っていた。


 それは麻衣の両手にまとわりついていた光によく似ていた。少年は水筒の中身とクレアを見比べてから口を開く。


「この液体は、一体何なんですか?」

「我々は〝邪素〟と呼んでいるわ。化学式のはっきりしない物質で、この世界で長時間保存することが難しいの。ただし、原料は確定しているわ」

「原料って……放射性物質じゃ無いですよね?」

「チェレンコフ放射を疑っているのね。解るわ」

「違うんですか?」

「ええ」

「じゃあ、この液体の原料というのは?」

「〝邪素〟は人間から放出されている物質よ。ただし、この現実世界で感知することは困難なの」

「まるで現実世界ではない世界があるみたいな物言いですね」

「あるわ。我々は、それを〝魔界〟と呼んでいるわ」

「ははーん。話が見えてきましたよ。つまり僕の死んだ父親は、その〝魔界〟の関係者だったんですね」

「その通りよ、志光君」


 クレアはニッコリと微笑んだ。志光もつられて笑みを返しつつ、心の中で「こりゃ駄目だ」と思った。


 カニ男が自分を襲ってきたのは事実だ。クレアが人間離れした能力の持ち主である事も事実だ。それぞれを比喩として〝魔物と〟とか〝悪魔〟と呼んでいるのであれば、まだ理解することはできる。


 だが、現実世界以外に〝魔界〟があるのはいただけない。リアリティが全くないではないか。


 こういう時は〝悪魔〟だと言いつつ、実は某国が密かに研究した秘密兵器、みたいな設定にしておけば、まだ真実味があった。残念なことだ。

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