はじめてのせんにゅう。

花 千世子

そのいち

 初夏の日差しが開け放たれたカーテンから容赦なく注ぎ込まれ、チコリーの白い肌をじりじりと焼き付けます。


「うぐぐ……」とチコリーは顔をしかめ、それから自分自身のいびきで目を覚ましました。


 彼女は宝石のように大きな青い瞳をぱちぱちとしばたたかせてから、小さな手で真っ白な頬をぺちんと一つ。


 眠気から少し解放されたチコリーは、辺りを見回します。


 ふと目に入った健太のベッドの上の布団は起きた時のままの形でふくれており、タンスは一段目が少しだけ開いていました。


「あ、もういないんだぁ」


 チコリーはそう呟いて、ベッドから跳ねるように下ります。

「相変わらず散らかってるなー。しっかりしなよね、中学生なんだから!」

 チコリーは自分のベッドのすぐ隣に広がっている健太のノートを眺めながら言うのでした。

 彼女から見るとノートもまるで白い絨毯のよう。


 ノートだけではありません。ノートの隅に転がるペンも消しゴムもまるで文具の形をした家具のようです。


 人間の使うものは彼女にとっては何もかもがビッグサイズ。

 ここはいつもの健太の机の上。そして妖精界からうっかり落ちて来たチコリーのお家でもありました。



 寒い雪の日に商店街のツリーに引っかかっていたチコリーが三橋さん家の健太君に拾われてもう半年。


 今や彼の勉強机の上は、チコリー専用の家具で三分の一が埋め尽くされています。

 お人形用のベッド、キャラメルの箱を積み重ねて作ったタンス、石鹸の空箱に銀紙を貼りつけた姿見まであるのですよ。


 最近は、健太に『ひゃっきん』に連れていってもらって、折り紙やシールなどでタンスを花柄にしたり姿見の周りをキラキラのシールでデコったりするのが、チコリーのマイブーム。


 チコリーは姿見の前に立つと、歯ブラシのブラシで寝癖だらけの金色の髪をとかし始めます。


 でも何度とかしても、頑固な寝癖は右や左に跳ねていたり上に向かって伸びていたりと自由気まま。

 チコリーは「もう!」と地団太を踏むとブラシを髪ゴムに持ち替え、たと思ったらサイドにお団子ヘアーができていました。


「よしよし」

 チコリーは満足そうに微笑むと、今度は洋服を選び出します。鼻歌混じりにタンスを開けようとして、ふと手を止めて呟きました。


「健太、今日もにっこにこのままかなあ」


 ここしばらく同居人の健太は、枕に顔をうずめて足をバタバタさせたり、突然おかしなポエムをぶつぶつと呟き、チコリーに「どう?」と聞いたりと奇行が目立っていたのです。


 でも、昨日学校から帰ってくると何かが吹っ切れたような爽やかな表情でチコリーに自分の分のおやつを分けてくれたのです。

『僕なんだかお腹がいっぱいで』と幸せそうにしている健太を横目にシュークリームにダイブしました。それから奇行はぴたりとなくなりました。


 だけど、健太が本当に元に戻ったのかチコリーは心配。


 家族関係はいたって良好な健太ですから、彼の奇行と変に気前が良かった原因は学校のでしょう。


 チコリーは十秒だけ考えてから、ブラシを頭上高く掲げて叫びます。


「よーし、今日のミッションは中学校へ潜入すること!」


 中学校へ潜入して健太に何が起こったのか突き止めようという作戦。

 時刻は午前十時。今から支度をすれば十分、間に合うでしょう。


「まずは潜入捜査用の服!」

 チコリーは人差し指をぴっと立てて言うとタンスを開け、服を引っ張り出しました。


 ちなみに彼女の服はすべて健太ママの手作りで月に二、三着は新作が追加されます。


 南国風のワンピースを手に取りますが、ハイビスカスが散りばめられたカラフルな柄はとても目立ちます。

 今日は中学校にこっそり潜入するのですから、地味な色が良いですね。


 チコリーは体に比べると、大きめの頭をゆらゆらと揺らしながら考えます。


 そして、サロペットを体に当てて姿見で確認してみました。デニム生地のサロペットに黒のギンガムチェックの半そでシャツ。


「これなら潜入チックだし、おまけにかわいい!」

 チコリーは大きく頷くと、早速着替えました。


 少し地味な気がしたので花の形のキラキラと輝くブローチをワンポイントでつけます。

 ゴールドの縁にキャンディーのような赤色の宝石がついたデザインで、まるで花のようでかわいいのです。


 そうそう。言い忘れていましたね。

 実はチコリーは魔法で人間サイズの物も自分ぴったりの大きさに変えることができるのですよ。

 もちろん元のサイズに戻すことも可能。


 そしてこのブローチも、元は人間サイズだったのです。人間界に落ちた時に初めて拾ったもので、今はお守りのように感じています。

 

 服装が決まったチコリーは、インスタントコーヒーのふたで代用したテーブルの上に朝食を準備しました。


 スコーンのかけらとミルクだけの簡単なものです。

 食器は三橋家のお隣の橘家の娘さん達がくれたもの。


 消しゴムの椅子に腰かけ、スコーンを食べ始めました。

「プレーンも好きだけど紅茶味もおいしい」

 チコリーはうんうんと頷くと、カップのミルクを一気に飲み干して立ち上がりました。


 ポシェットを斜め掛けにしてから、すうっと息を吸いむとこう叫びました。

「ヒジキ―! ヒジキ―!」

 すると、階段を駆け上がってくる音が聞こえたかと思うと、ドアががちゃりと開きます。


 一匹の黒猫が部屋に入ってきました。

 黒猫はヒジキという名前で、三橋家の飼い猫。特技はドアの開け閉め。


『呼んだ? 呼んだ?』

 ビー玉のような瞳でヒジキは部屋を駆け回ります。


「ドアを開けてほしかっただけなの」

 チコリーはそれだけ言うと、たたんでいた羽を広げました。トンボのような形をしていて七色にきらきらと光っています。


 ふわりと飛び立ってから、思い出したようにポシェットから二匹の煮干しを取り出します。チコリーのポシェットはあの猫型ロボットのポケット並に沢山物が入るんですよ。


 二匹の煮干しをヒジキあげると、彼はあっという間に完食。

『いいの? 二匹も?』

「あとは玄関のドアのぶん。お願いねー!」


 チコリーは部屋を出て、階段の手すりの上を飛び始めます。

『分かった! あれ? 玄関のドアってことは……もしかしてお外に行くの?』

 一緒に階段を降りていたヒジキはそう尋ねました。

「うん。とってもとーっても重大な任務があるの。あ、これ内緒ね」  

 チコリーは神妙な面持ちで唇に人差し指を当てて見せます。


 ヒジキは「わかった!」と言って階段を駆け下りると、風のように廊下を走り去っていきました。


 チコリーが玄関に着くと、黒猫はドアを開けて待っていてくれます。

「ヒジキ、執事みたいだね」

『羊じゃないよ? 猫だよ?』

 ヒジキはきょとんとして言うと、チコリーは「まあいいか」と呟きます。


『お外は危ないから、気を付けてね! 遅くならないうちに帰るんだよ!』

 ヒジキがママの口ぶりを真似して言うので、チコリーは思わずぷっと吹き出しました。

「いってきまーす!」

 彼女は大きく返事をして、とびきりの決め顔をヒジキに見せると、玄関のドアを飛び出します。

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