第百八回 諸葛宣于は四雄の兵に説く

 晋帝の司馬衷しばちゅう永嘉えいかと改元した頃、丁卯ていぼうの年(三〇七)に齊王せいおう司馬冏しばけい成都王せいとおう司馬穎しばえいと漢を平定すべく天下の軍勢を糾合し、二十四路に鎮守する親王、刺史はそれぞれに軍勢を率いてぎょうへの道に就いた。

 さらに、漢兵の帰路と糧道を断ってその巣穴を覆すため、夷族の主帥とも語らってこの戦に加わらせようとしたのであった。

 漢の劉淵りゅうえん陳元達ちんげんたつの画策により夷族の出師を阻むべく、諸葛宣于しょかつせんうを遣わした。諸葛宣于は平陽へいようを発って遼東りょうとうにある慕容隗ぼようかいの許に向かう。

 慕容氏は有熊氏ゆうゆうしの子孫の慕容扈ぼようこという者から発していると言う。慕容扈は遼東の右部長ゆうぶちょうとなった公孫度こうそんどに仕え、知略に優れて次第に威勢を高め、遼東の英雄を麾下に収めてその軍勢は十万にまで増えた。晋朝もこれを制しがたく、遼東の刺史に任じたのであった。慕容隗はその子にあたり、軍勢は慕容扈の代を凌ぐに至っている。

▼「有熊氏」は軒轅けんえん氏と同じく黄帝こうていの姓と伝わる。

 一日、洛陽らくようの朝廷より劉淵を破るために天下の軍勢を会するとの詔を受けると、諸将を集めて対策を諮った。意見は紛々として分かれ、晋を扶けず漢をそのままにして晋の外敵とすれば、晋朝は遼東を顧みる余裕なくして安全であるという者もあり、詔を奉じて軍勢を出さなくては劉淵を平定した後に封賞を得られぬという者もある。

 漢主の使者として諸葛宣于が聘問へいもんに訪れたのは、その議論が一決を見ない頃合いであった。


 ※


 慕容隗は衆人に命じて謀士を揃え、諸葛宣于を迎えて相見そうけんの礼をおこなう。礼を終えると問いかけた。

「漢の丞相じょうしょう遠路えんろ遥遥はるばるこの僻遠へきえんの地に来られるとは、吾らを利する方途があってであろうか」

「そうではありません。ただ非常の利益があってそれを使君しくん(慕容隗、使君は刺史への尊称)に報せるべく参りました」

「それは何のことであろうか」

「先に司馬冏が檄文を発して使君を幕下に収め、軍勢を発してぎょうに向かわせんとしていると聞き及びました。これは事実でしょうか」

「事実である」

「晋朝の不道は誰もが知るところ、司馬氏は内にあって血族が殺し合い、母をしいして子を殺し、后をちんして弟を戮しました。忠臣は排斥されて酒徒が朝廷に満ちております。人を用いるにあたって賢愚を問わず、その滅亡は日ならずして現実となりましょう。ゆえに、吾が主は晋朝の乱脈に惑う人心の上に興り、寸土を恢復して先皇の廟を祀ろうとしております。正に英雄は志ある者を扶くべき時機です。それにも関わらず、足下そっかは暴虐を助けて同類を凌ごうとされるのですか」

▼「足下」は相手を呼ぶ呼称であるが同等または格下の相手に使われ、官職を尊重する「使君」と比して軽い。ここで諸葛宣于は意図的に慕容隗を見下げて挑発している。

「そうではない。吾が父子は晋に仕えて封爵を受けている。詔を奉じて出兵せねば、宿世の徳に背いて大国の信を失うというものである。それでは叛臣と選ぶところがあるまい」

「今や中原は乱れて英雄はその志を伸べようとしております。ただ遼東だけが安寧にあるのです。兵法に『国を建てるを上とし、国を保つのはこれに次ぐ』と申します。今や足下の軍勢は晋朝に畏れられながら、時勢に乗じて尺寸しゃくすんの功業を立て、祖宗の名を後世に著す遠謀を廻らさず、区々たる鷹狗ようくのように人に使われるとは、足下のために惜しむところです。まして、足下が軍勢を南に向ければ、恐らくは段氏だんしが隙を狙って動きましょう。王浚おうしゅんはその婿であれば、協力して留守を襲うことさえ考えられます。また、劉琨りゅうこんと結んだ拓跋氏たくばつしもどのように動くか不透明です。これは古に趙魏が謀により智伯ちはくを陥れた時によく似ており、足下のために甚だ危ぶむところです。兵法に『勇を好んで遠地で戦うことは、明敏な者の避けるところである』と言いますが、まさに足下の現状ではありませんか」

 慕容隗は諸葛宣于の言に理があると考え、賓館に引き取らせて酒肴を薦めた。


 ※


 その間に衆人を集め諮って言う。

「諸葛の言を聞くに、理にあたるところが多い。お前たちはどう考えるか」

 裴嶷はいぎょくが進み出て言う。

「諸葛の言は時勢に適っております。今や中原は大乱に及んでおり、まさに境界を固めて民を安んじ、軍勢を養って鋭気を蓄え、後事を計るべき時です。遠路に軍勢を出して僥倖ぎょうこうを求めている暇はございません」

 游邃ゆうすいも言う。

「兵法では攻めるべき時と守るべき時を区別し、その時になすべきことをなして変化が起こればそれに応じるのを上策とします。晋朝のために軍勢を出したところで、必ず勝てるとは限りません。その間に奸雄が隙を突いて吾が境界を侵せば、吾ら自身が危うくなりましょう。禍がこれより起こることも考えられます。ゆえに、晋朝には『即日に軍勢を発する』と詐って答え、ただ延期して日を送れば面目も立ち、吾らも安んじておれましょう」

 その他の謀士、封抽ふうちゅう皇甫岌こうほきゅうも裴嶷と游邃の言に賛同して言う。

「遥か遠くに虚しい忠節を尽くして近くの大義を失っては本末転倒、さらに隣国の劉淵と怨恨を結べば後々の患いともなりましょう」

 慕容隗は聞いて意を決し、諸葛宣于を召し出して言った。

「謹んで教えに従い、敢えて晋朝のために軍勢を動かすまい」

 諸葛宣于ははなむけにさまざまな礼物を送られ、拝謝して退いた。

 それより西に向かって代郡だいぐんに到り、拓跋猗盧たくばついろとの謁見に望んだ。拓跋氏もその先祖を昌意しょういといって黄帝に発している。昌意の末子が拓跋川たくばつせんに封地を与えられ、代々その地に住んだために姓を拓跋と名乗ったのである。

 諸葛宣于は拓跋猗盧にも利害を分明に説いたため、拓跋部も出兵を取り止めて封境を守ることに決した。それより南に下って秦州しんしゅう蒲洪ほこう姚弋仲ようよくちゅうも同様に説き伏せ、夷族の軍勢はすべて出兵を取り止めたのであった。

 それより諸葛宣于が平陽に戻って報告をおこなうと、漢主劉淵と陳元達は嘆息して言う。

脩之しゅうし(諸葛宣于、脩之は字)は辞により四雄の心を動かして出兵を諦めさせた。これはまさに、往年の諸葛武侯しょかつぶこう(諸葛亮、武侯は諡号しごう)が呉の群儒を論破して赤壁の戦を決した故事に類するであろう」

 二人は宴席を設けて慰労したことであった。

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